藤原咲子 | パパ・パパゲーノ

藤原咲子

 1949 年に刊行されて大ベストセラーになった藤原てい著『流れる星は生きている』は今も中公文庫の中に入っていて、引き続き読者を獲得しているようです。


 満洲の新京(現・長春)の気象台に勤務していた夫(後の作家・新田次郎)との間に3人の子どもがいた26歳の妻が、1945 年8月9日、新京を逃げ出さなければいけなくなります。敗戦が決定的になって、関東軍も撤退を始めたからです。後始末の仕事が残る夫とは別行動をとらざるをえなくなって、うら若い母親が一人で3人の子を連れて、まず朝鮮の都市(宣川)まで逃げます。そこでほぼ1年を過ごし、1946 年9月12日博多港にたどりつくまでの、壮絶としか言いようのない逃避行を描いたものです。


 6歳の長男、3歳の次男は歩いてついてきますが、1歳の長女は母のリュックサックのなかです。それが、藤原咲子さんです。『父への恋文』『母への詫び状』(いずれも山と溪谷社刊)の2つの作品は、作家の両親をもって感受性豊かに育った娘が、愛憎をないまぜにしながら生きてきた軌跡を静かに反芻した佳作です。


 『流れる星は生きている』のなかに、お兄ちゃんたちが赤ちゃんのために食べ物を我慢するシーンが出てきますが、それが一種のトラウマになって、「私なんか生きてはいけない」と思い込んだりします。『流れる星は生きている』をまだ読んでいない方は、ぜひお読みになってみてください。


 この中で、しばしば危機におちいる(肺炎にかかったり、川で溺れて助けられたりする)次男が、今や知らぬ人とていないであろう、あの藤原正彦先生です。この人の数多い作品の中では、『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)が一番よくできていると思います。


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