パパ・パパゲーノ -66ページ目

藤の花

古い電柱を利用して作ったという藤棚です。幅2間、奥行き6,7間の棚が5つほど、撮影したのは5月18日。 








 










色のきれいなつつじもあったのでつい。





















その日に泊った温泉のそばを流れる川。岸の砂地を掘ると温泉が湧くのだそうです。たしかに、さわった川の水はなまぬるかった。


この集落では、各戸の風呂に温泉が引いてあって、流しっぱなしにしているのだという。








  

孫世代と同じ校歌を歌う

 今使っているマシンで写真のバイト数を下げるやり方がわからないので、花の写真紹介を先に延ばして、今日も別の話。


 藤棚に藤の花が咲きこぼれる公園で、「藤見祭り」の催しが行なわれていました。テントを張って、住民がジュースやおでんを売っています。それとは別に、各町会が町会ごとに持ち寄りの宴会を開いていました。午前11時に花火があがって花見の開始です。花火を上げたヘイさんは私の同級生です。


 宴たけなわになったころ、カラオケのセットが広場の中央に持ち出されました。最初に、「秋田の美空ひばり」というあだ名のヤナコさん(これも同級生)が、「愛燦々」を熱唱し、会場中の(200人くらいか)絶賛の拍手を受けました。


 何人かが歌を披露したところで、実行委員の一人、トーフ屋のヨシタカさんが提案して、小学校の校歌を歌うことになった。もちろんアカペラです。


 朝の天台(あまだい:小学校に後背する山の名前)

 明るい光


と始まるその校歌は、戦後すぐにできたものですが、今に至るまで校歌であり続けています。なにしろ、明治7年(1874)開校の小学校ですから歴史は古い。


 現役の小学生男女10人くらいが歌いだしたところへ、ヤスユキさんと私とが駆けつけ、6年生のとき私どもを担任してくださったコヤマ先生(先生もこの小学校の卒業生)も駈け寄り、ジイサンたちと孫たちの斉唱になりました。年寄りは、もはや歌詞がうろ覚えなので、子どもたちに正しい歌詞を教えてもらいながら歌いました。50年前の小学生と今の小学生とが同じ歌を歌う。涙がこぼれそうになりましたよ。


 まもなく、別の小学校との統合がなされるのだそうで、この校歌もおそらく60何年かの歴史をとじることになるのでしょうね。


チューリップ黄        チューリップ赤        チューリップ紫        チューリップピンク        チューリップオレンジ

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

 小学校のクラス会に出かけるために、夜行バスに乗りました。定員27人くらいなので、座席のリクライニングは十分です。ゆっくり寝て行くはずが、ちょっと寒くて予定通りにはいかなかった。満開の藤の棚を見ながら、晴れた日の公園での宴会は楽しいものでした。花の話題は明日にして、バスを待つ間に見た映画の話。
 
 『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』が封切になった17日、夕方の上映の席がとれました。土曜日の夜7時台に始まるというのに、客席には4、50人しかいない。テレビでずいぶん宣伝している割には評判が高くならなかったようです。
 
 アメリカ下院議員ウィルソン(トム・ハンクス)が、ほとんどひとりで、ソ連の軍隊をアフガニスタンから撤退させるところまで追いつめた、という話。「実話に基づく」と最初にクレジットが出ますが、本当の話だとしたら、ずいぶんアコギなことを、アメリカもイスラエルもやったもんだと思いました。
 
 下工作に暗躍する、ハズレもんのCIAエージェントがフィリップ・シーモア・ホフマンです。「タフなスパイ」の役を生き生きと(おそらくは楽しみながら)演じます。儲け役というべきものです。


 下院議員の選挙区テキサスで「6番目の富豪」をジュリア・ロバーツが演じる。富豪夫人ではなくて、当人が富豪です。豪華な衣装をまとい、なんであれ自分の望むことを押し通す自我のかたまりのような金持ちオバサンなわけですが、これが、なんだか似合わないの。
 
 『プリティー・ウーマン』のときの、お茶目な愛敬も出していない。『ザ・メキシカン』における、むき出しのヒステリー的絶叫も聞かせない。『ノッティングヒルの恋人』で見せた、有名人ゆえの悲哀も、おもてに出さない。
 
 複雑な心理描写を必要としない、一本調子のお高い女は、ジュリア・ロバーツでなくても演じにくいということはあるのでしょうね。誰だったらはまり役だろうか、と想像してみましたが、シャロン・ストーンかなあ、違うなあ。
 
 名前を知らない美人女優(この議員の秘書に男はひとりもいない。5人いる秘書がみんな美女!)も、美人女優のハダカも出てきますが、アメリカ政治や政治・外交史に興味のある人のための映画ですね、これは。


クローバー        クローバー        クローバー        クローバー        クローバー



落語事始め

 落語に興味を持ちはじめたのは小学校の5年生くらいだったと思います。ラジオの落語番組がたくさんあったような気がします。NHKの第1放送。子どもにも分かりやすいハナシをしてくれるので、三遊亭金馬という落語家が好きでした。三代目。いまの金馬(四代)はそのころ小金馬と名乗っていた。
 
 「孝行糖」という与太郎が飴売りになる噺とか、「錦明竹(きんめいちく)」という上方弁で早口の口上を述べる噺とか。「寿限無」「時そば」「長短」などなど。
 
 古今亭志ん生という、志ん朝のお父さん、と、この金馬師匠は同時代人です。二人とも大酒呑みの遊び好きなものだから、しょっちゅうピーピーしていたのだそうです。質屋にいれる質草もないので、噺を質にいれることをしたことがある、と語っていたのをどこかで耳にしました。質屋に行って一席うかがう。それに対して質屋がお金を貸してくれたんだとか。のんびりした時代だったのでしょうね。もちろん、請け出すまではその噺を高座にはかけない。
 
 あるとき、質屋に金を借りにいったら、先に来て落語をやっているのがいた、それが志ん生だった、という話もしていました。
 
 立川談志に『現代落語論 』という本があります。むかしは三一書房という出版社から出した新書でしたが、現在は、新刊本の本屋さんではおそらく手に入らないものです。講談社の大遺言集 とかいう「談志全集」の1冊におさめてあるようです。
 
 「落語は人間の業(ごう)の肯定である」ということを手を変え品を変えて述べたものでした。論理的な文章ではないけれど、これを言わないでは死ぬに死ねない、というような気迫が感じられるものだった記憶があります。


クローバー        クローバー        クローバー        クローバー        クローバー

もてない男

 もてる男と言えば、ブラッド・ピットのように、大勢の美女が行く手をふさいで身動きがとれない(ような)男を普通はイメージします。日本人では、たとえば作家の伊集院静が代表か。夏目雅子が最初の奥さんで、京都の芸妓佳つ乃さんを恋人にし、今の奥さんが篠ひろ子ですよ。艶福家というのはこういう人を指すのでしょうね。
 
 たいていの男は、しかし、自分はもてない、と思っているはずです。だまっていれば向こうから女が寄ってくるはずなのに来ない、というのがそもそもの勘違いです。
 
 小谷野敦の『もてない男』(ちくま新書)は、10年ほど前、ベストセラーになりました。こういうタイトルなのに、読めばもてるようになるかと期待した読者が多かったからでしょうか。実際に小谷野さんが書いたのは、「自分が好きな人に好きになってもらえない」男(この場合は作者本人)を「もてない男」と呼んでいました。それも、いい気なもんだと思いましたけれど。
 
 さいわい、小谷野さんは、二度目の結婚をしたそうです。それも20歳くらい年下の人と。ある人を、尊敬の気持をもって好きになることを英語ではアドマイアと表現するようです。ファンと言わずに「アドマイアラー」と言う場合があります。その、アドマイアラーの女性と結婚したのだから、小谷野先生も立派な「もてる男」になったということです。おめでたいことですね。
 
 男と生まれたからには、一度くらい、群がり寄る女たちを振り払ってみたいものだと、見果てぬ夢を見ているところであります。


チューリップ黄        チューリップ赤        チューリップ紫        チューリップピンク        チューリップオレンジ