落語事始め | パパ・パパゲーノ

落語事始め

 落語に興味を持ちはじめたのは小学校の5年生くらいだったと思います。ラジオの落語番組がたくさんあったような気がします。NHKの第1放送。子どもにも分かりやすいハナシをしてくれるので、三遊亭金馬という落語家が好きでした。三代目。いまの金馬(四代)はそのころ小金馬と名乗っていた。
 
 「孝行糖」という与太郎が飴売りになる噺とか、「錦明竹(きんめいちく)」という上方弁で早口の口上を述べる噺とか。「寿限無」「時そば」「長短」などなど。
 
 古今亭志ん生という、志ん朝のお父さん、と、この金馬師匠は同時代人です。二人とも大酒呑みの遊び好きなものだから、しょっちゅうピーピーしていたのだそうです。質屋にいれる質草もないので、噺を質にいれることをしたことがある、と語っていたのをどこかで耳にしました。質屋に行って一席うかがう。それに対して質屋がお金を貸してくれたんだとか。のんびりした時代だったのでしょうね。もちろん、請け出すまではその噺を高座にはかけない。
 
 あるとき、質屋に金を借りにいったら、先に来て落語をやっているのがいた、それが志ん生だった、という話もしていました。
 
 立川談志に『現代落語論 』という本があります。むかしは三一書房という出版社から出した新書でしたが、現在は、新刊本の本屋さんではおそらく手に入らないものです。講談社の大遺言集 とかいう「談志全集」の1冊におさめてあるようです。
 
 「落語は人間の業(ごう)の肯定である」ということを手を変え品を変えて述べたものでした。論理的な文章ではないけれど、これを言わないでは死ぬに死ねない、というような気迫が感じられるものだった記憶があります。


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