ジュリエット
ヴェローナの街に「ジュリエットの家」という場所がありました。「ジュリエットのモデルが住んでいたと伝えられる家」というように、もってまわった説明がガイドブックには出ています。まあ、伝説のようなものでしょう。
この家の狭い中庭(といっても石畳、不自然に高い位置にバルコニーもあった)に、「ジュリエットの像」(銅像)が建っています。170センチくらいかなあ。その前で、それと並んで、かわるがわる写真を撮る人が絶えません。さわるとご利益がある、と伝えられて、頭のてっぺんがピカピカに磨り減っている布袋さんが、方々のお寺にありますが、この「ジュリエット」さんも、胸のあたりが、もとは薄絹をまとった像だったらしいのが、すでに裸身で、しかも、テカテカに減っていました。
アメリカ人とおぼしい高校生の団体が、群れをなしてジュリエット詣でをしているようでした。男の子たちは、おおっぴらに胸元をなでまわしていましたね。なにかご利益でもあるのかしら、と思ったことでした。
ところで、シェイクスピアが書いた「ロメオとジュリエット」の芝居で、ジュリエットの年齢はたしか14歳だったと思います。今なら中学生です。身を焼くような恋を少女たちはその年でするのですね。ミラノでもフィレンツェでも、その年頃のお嬢さんたちの、発育のいいことといったらなかった。もっとも、八百屋お七だって、それよりいくらも年上ではなかったですよね。
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ローマの「親戚」
ローマに着いたのは6月2日でした。その日に電話で連絡をとって、次の日、ローマ在住の若いご夫妻(ご主人がイタリア人、奥さんが日本人)と、その二人のお嬢さん(上が4歳半、下が2歳ちょっと前)とお会いすることになりました。
このご夫妻とは、6年前(お二人が新婚の頃?)、フィレンツェで偶然お目にかかったのです。サンタ・クローチェ教会の前にカップルが座っていました。近くのトラットリアを探していた私どもに「どちらかお探しですか?」と、日本人のお嬢さんが声をかけてくれたのです。そのすぐ後、たまたま同じレストランで食事をしているのが分かって、食事の後コーヒーを一緒に飲みながらお話をしたのでした。
ほどなくお二人はローマに住むことになり、最初の娘さんが生まれ、3年後に2番目の娘さんが生まれ、と、ときどきの出来事をメールなどで知らせてもらっていたのです。
コロッセオで待ち合わせをし、ご主人の運転で、市内をドライブして、ときどき降りては案内をしてもらいました。夕食までご馳走になって恐縮しました。
このご夫妻がちょうど私どもの子どもと同じ年代なので、そのお嬢さんたちに会うのは、なんだか孫娘に会うような錯覚におちいりました。私自身には孫はまだいませんけれど。このお嬢さんたちの、まあ、その、可愛いのなんの。日本語とイタリア語のバイリングアルに育ててらっしゃるのです。今度の旅行のハイライトです。写真もたくさん撮ってきましたが、残念ながら、ここにお出しするわけにはいきません。
この奥さんが「親戚が遊びに来てくれたようで」と書いてくれました。これからは、私どもも、「親戚のつもりで」お嬢さんたちの成長を見守りたいと思っています。
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落書き
連日、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の映像がテレビに出てきます。言うまでもなく、最近バレた日本語の落書きのせいです。「(フィレンツェの)ドゥオーモ」という名前のほうが通りがいいはずですが、舌を噛みそうな正式名称で紹介されています。
薄い緑と乳白色の大理石を組み合わせた壁面の美しさにはいつ見ても、テレビ画面でも、目を見張らされます。6年前にも見物しましたが、そのときは、表面の汚れが目立って、写真でみるほどではないなあ、と思ってしまいましたが、この何年かのあいだに洗浄したのだろうと思います、あざやかな景観をよみがえらせていました。
レンガ色のドーム(クーポラと言っていました)が、フィレンツェのランドマークなわけで、まあ、どこからでも見えます。そのてっぺんに登ることができるので、480数段の石段を登ってみました。「おのぼりさん」というのは、これでしょうかね。360度市内が見渡せるのでいい気分になります。そのてっぺんのまわりの石壁にも落書きを見たような気がします。日本語だけではありませんよ。
ジョージ・ルーカスの出世作のタイトル『アメリカン・グラフィティ』の「グラフィティ(Graffiti)」は、「(柱や壁に傷をつけて書かれた)掻き文字(絵);(壁などの)落書き」という意味ですね。しかも、イタリア語起源です。だからでしょうか、英語としては珍しく「グラフィーティー」とフィを強く発音する単語です。
遺跡で言えばポンペイの落書きが有名です。昔からやっていたのですね。だからと言って、今でもやっていいということにはなりませんが。
それよりも、びっくりしたのは、市内を走る地下鉄の車体の落書きでした。あるいは、鉄道の駅の(倉庫や事務所のような)建物の壁に描かれた落書き。どちらも、スプレー・インクで「カラフル」に描いてあるけれど、美しいとは言えませんでした。
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ガイドブック
「るるぶ」とか「マップル」とか「地球の歩き方」とか、他にもあるでしょうが、旅行に欠かせないのが、こうしたガイドブックです。地図帳がはずせるようになっているのが増えて、ローマならローマのところだけ、さらに切り離して持って歩きました。
気をつけなければならないのは、情報が少し古くなって、地図の示す場所に、目指す店や施設がない場合があることです。去年、ニューヨークで探し当てたと思ったダンスセンターは、壁にはその名前が残っていたのに、ずいぶん南のビルに移っていました。今年も、ミラノのJTBのオフィスは探していったビルから引っ越して、メトロの駅を二つ北に行ったところにありました。
もう一つは、地図で見ているのは平面なので、どうしても道路と並ぶ、すなわち1階にあると思ってしまうのですが、現地へ行ってみると、お店は2階にあったり、インフォメーション・センターが地階にあったりします。
そういうこともあると思って利用すれば、いまのガイドブックはいたれりつくせりとも言えます。どこを見る、どこで食べる、どこで買う、どこに泊る、みんな教えてくれますから。
インターネット・カフェ(イタリアでは、カフェと言えば「飲み物」に強い連想がはたらくらしく、インターネット・ポイントと言っていました)の場所と使い方を(読者が寄せた)コラムで紹介していたのは、「地球の歩き方」だったと思います。初回はパスポートの提示が必要(これは実際はカラーコピーでもOKでした)とか、日本語が入力できるパソコンがあるかないか、の確かめ方とか、読んでおいてよかった、と思えるサジェスチョンでした。これからのガイドブックには、この情報は必須だろうと思います。
今まで使ったガイドブックで、一番よくできていると感心したのは「ナショナル・ジェオグラフィック」社のそれです。読む本としても、情報の豊かさも、写真の的確さ(これは本職ですから当然)も、どれをとっても素晴らしいものでした。難点は、厚くて重いことです。イタリア編も持っていますが、このたびは持っていかなかった。
各地のガイドの日本語訳が、大きな書店の旅行ガイドの棚にあると思うので、これから外国に出かける予定の方は、一度ごらんになってみてください。東京編もおそらくあるはずですが、それの翻訳は、まだ見たことがありません。
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世界遺産
1日ヴェローナへ日帰り旅行を試みました。オペラ・ファンなら、アレーナ(英語読みではアリーナ)の野外歌劇場で、ヴェルディの大仕掛けのオペラを見物したいところです。当日夜にたぶん『ナブッコ』か『アイーダ』があるらしく、舞台装置がすでに準備されていました。
この街も、街全体が世界遺産ですって。フィレンツェもヴェネツィアも街ごと世界遺産。イタリアは、世界遺産だらけですが、そこで生活する人々にとってはどんなものなのでしょうね。京都あたりで、古い家を残すために日常生活の不便に耐えている人のことを見たこともあります。
アレーナは、もとは(昔々)闘技場ですね。グラディエーターの世界。今の平土間にあたる客席は、かさ上げした板張りの上に椅子を並べてありました。(写真上)
街の北側(?)に、もうひとつ、考古博物館+テアトロ・ロマーノという一続きの遺跡を利用した施設がありました。シェイクスピアの芝居などをやる劇場でした。すりばち型の小さな円形劇場。その上が博物館でした。そこからの眺めがさすがは世界遺産!!(写真中)
そこから自動車道路に降りて、振り向けば、石橋と川と、風景。たっぷりした水量の川でした。遠くアドリア海へそそぐのでしょう。(写真下)


