パパ・パパゲーノ -58ページ目

憮然

 「憮然」という言葉は「ムッとする」という意味で覚えていませんでしたか? 私は、長いことその意味だと思い込んでいました。『問題な日本語』という本で、本来の意味(落胆して、驚きあきれて、呆然とするさま)を知って、それこそ「憮然」としてしまいました。憮然の憮の文字は、立心偏に無ですから、「心がなくなる」から、「失意、がっかり、しょんぼり」などを意味するのだそうです。
 
 文化庁が毎年(平成7年から)行なっている「国語に関する世論調査」の19年度版にも、この「憮然」の意味を聞く項目がありました。70.8%の人が「腹を立てている様子」のほうを選んだとあります。「正解」した人はわずかに17.1%。
 
 他にも、「話のさわり」の「さわり」とは、「要点」のことでしょうが、そう答えたのは35.1%で、話の「最初の部分」だと答えたのが55%だったそうです。
 
 こういう調査報告が出ると、朝のテレビ番組で紹介されます。新聞でも第一面で報道される。見ていて、読んでいて腹立たしいのは、この調査が何の目的でなされ、調査結果をどうしようというのか、それが伝わってこないということです。もちろん、公式の目的「国語施策の参考にするため」というのは出ますが、いっこうに、その「国語施策」が実行されたようには見えないのがおかしい。
 
 70.8%もの人が間違えて覚えている言葉なら、その間違いを正用法にしましょうと提案してみればいいのに、と思います。「新しい」という今は普通に使われる言葉だって、「正しく」は、「あらたし」でした。言葉は変化するものだから、変化を是認しよう、というのはひとつの立場です。文化庁は、しかし、口が裂けてもそういう提案はしないでしょう。そろそろ、こういう世論調査はやめにして、世の流れにまかせたらどうなんでしょうか。


お茶        お茶        お茶        お茶        お茶

冷房

 暑い日が続くので、上着は脱いで、半袖のシャツだけで通勤を始めました。腕を露わにしたままで電車に乗ると、なんと寒気がしてくるのですね。冷房の効かせすぎです。うっかり居眠りでもしようものなら風邪を引きかねない。若いころと違って、皮膚が、外気温に臨機応変に対応することができなくなっています。これからは、上に羽織るものを用意して電車に乗り込むようにします。


 地球の温暖化が大問題のように言われていますが、なぜそれがいけないのか、素人には分かりません。それにしても、冷房装置を動かす電力消費がなまじっかなものでないことは分かります。そんなに冷やしてどうするの、と言いたくなるくらい、食堂や、CDショップや、本屋さんや、の冷えていることといったらありません。


 エアコンディショナーの装置は家にも何台かありますが、めったにつけません。汗だくになってパソコンのキーを押す日が何日か続きましたが、背中から「弱」にした扇風機の風を受けるだけでしのぎました。暑い日には、パソコン自体を冷却するモーターが回る、その口から出てくる温風がじつにうっとうしいものですね。暑い日は、仕事なんかしないで、昼寝をしていたほうがいいようです。


クローバー        クローバー        クローバー        クローバー        クローバー

石鹸

 池内紀(おさむ)先生のエッセイのなかに、泊ったホテルの石鹸をおみやげ代わりにもらってくるということが書いてありました。四角や丸の小ぶりな、あの石鹸のことです。
 
 ヨーロッパ中を旅行している方なので、集めた石鹸もたくさんあるのだそうです。どういうふうに使うのか、書いてはあったと思いますが、くわしいことは忘れました。石鹸の香りで、かつて訪れた街を思い出す、という趣旨の文章であったのはたしかです。
 
 池内先生は、もちろん、ただ、石鹸の香りを嗅ぐだけではなくて、実際に、ご自宅のお風呂でその石鹸を使うと言ってらっしゃった。
 
 そのことがかすかな記憶にあったので、ミラノのホテルで残った石鹸をひとつもらってきました。何泊かすると、毎日新品の紙を破って使うわけではありません。包み紙に包まれたのが、大抵残っている、それをカバンに入れて持ち帰ったのです。
 
 その石鹸を、ゆうべ使ってみました。香料の種類など何にも分かりませんが、かなり、きつめの匂いがします。ずっと前に、パリで買ったという石鹸をもらったことがあって、有名ブランドの品物でしたが、匂いがきつすぎて使い切ることができなかった。それに比べたらマイルドな匂いです。ですが、日本でついぞ嗅いだことのない匂いです。


 自慢にもなんにもなりませんが、嗅覚の鈍いことでは人に負けません。犬に生まれていたら、とっくに家系が断絶していただろうほどの鈍さです。それでも、この香りにつられて、心はスカラ座近辺まで飛んで行きます。


  チョコレート             チョコレート                チョコレート

万歩計

 ケータイ電話の機種を変えてみました。番号やメールアドレスはそのままにしてもらったので、不便はありません。前の電話だと、「圏外」の表示の出ることが多かったので、ちょっとはよくなるかと期待しています。室内、とくに自宅の室内は、前と同じようなもので、うまくつながっていないように感じますし、いったんつながったと思っても、すぐ、電波状態が悪くなってしまいます。パソコンの画面を見ながら、サポートセンターに電話をして相談したりしたかったのですが、うまく行きません。家が建て込んでいるのでやむをえないのかもしれません。


 前のケータイは、電話機自体は10円だか100円だか、おそろしく安かったのに、カメラもついていました。経験から、電話と、メール(は受信専用)ができれば十分なので、一番かんたんな機種にしてもらいました。それでも、電話機だけで3万円と何千円かしました。値段の仕組みが理解できません。


 この機種は、いわば「老人仕様」と呼ぶべきものなのでしょうね。もうひとつの機能がついていて、それが「万歩計」です。朝、駅まで歩いて行きますが、それがざっと2500歩。都心の駅から事務所までがざっと1500歩。通勤している限り、7~8000歩は歩く勘定です。毎日記録されますから、それを見るのが楽しみになってきました。


 昨日なんて、帰宅して記録をみたら、なんと12800歩くらいでした。新聞社に縮刷版を見せてもらいに行った帰り道を、いつものように(暑かったけれど)歩いたので増えました。初めて使った万歩計ですが、同世代の連中がおもしろがっていたわけが少し分かったような気がしています。


ヒマワリ        ヒマワリ        ヒマワリ        ヒマワリ        ヒマワリ

無洗米

 「無洗米」というものが出始めてからもう何年もたち、自分でもそれを炊いたり食べたりしていますが、いまだにこの名称になじめないでいます。


 無のつく言葉は、普通、「無」に続く「こと・もの」がない、ことを意味します。
 
 無塩:塩分を含まない
 無益:利益にならない
 無償:報酬がない
 無料:料金がいらない
 無線:電線がない
 
 「無」という接頭字が従えるのは、名詞(あるいは名詞的成分)です。動詞が続くケースというのは思い当たらない。わずかに、
 
 無為:なすところがない
 
の「為(なす)」が、それにあたるかもしれません。


 ところが、「無洗米」というのは、「洗う必要がない米」という意味ですね。「洗う」という動詞を形容している上に、「洗う」自体を否定しているのではない、という、二重に複雑な構成になっているように思います。日本語の造語法に素直に従えば、意味は「洗っていない米」になるところです。「無塩バター」は「塩味のないバター」のことだし、「無縁仏」は「(死後を弔う)縁者のいない仏」のことですから、どうしたってそうなります。
 
 では、他にどう言えばよいか、といっても、名案があるわけではありません。そういう言葉だと割り切って使うしかないのかもしれません。
 
 ところで、「無心」という語を聞いて、まず思い浮かぶのは「雑念がない」という意味でしょう(「無心に遊ぶ子ども」などと使う場合)。「30歳を過ぎても親に無心する息子」のように、「金品をねだる」という場合にも使われます。室町時代の文献にも出てくるそうで、ずいぶん昔から併用されてきたもののようです。


お茶        お茶        お茶        お茶        お茶