無洗米 | パパ・パパゲーノ

無洗米

 「無洗米」というものが出始めてからもう何年もたち、自分でもそれを炊いたり食べたりしていますが、いまだにこの名称になじめないでいます。


 無のつく言葉は、普通、「無」に続く「こと・もの」がない、ことを意味します。
 
 無塩:塩分を含まない
 無益:利益にならない
 無償:報酬がない
 無料:料金がいらない
 無線:電線がない
 
 「無」という接頭字が従えるのは、名詞(あるいは名詞的成分)です。動詞が続くケースというのは思い当たらない。わずかに、
 
 無為:なすところがない
 
の「為(なす)」が、それにあたるかもしれません。


 ところが、「無洗米」というのは、「洗う必要がない米」という意味ですね。「洗う」という動詞を形容している上に、「洗う」自体を否定しているのではない、という、二重に複雑な構成になっているように思います。日本語の造語法に素直に従えば、意味は「洗っていない米」になるところです。「無塩バター」は「塩味のないバター」のことだし、「無縁仏」は「(死後を弔う)縁者のいない仏」のことですから、どうしたってそうなります。
 
 では、他にどう言えばよいか、といっても、名案があるわけではありません。そういう言葉だと割り切って使うしかないのかもしれません。
 
 ところで、「無心」という語を聞いて、まず思い浮かぶのは「雑念がない」という意味でしょう(「無心に遊ぶ子ども」などと使う場合)。「30歳を過ぎても親に無心する息子」のように、「金品をねだる」という場合にも使われます。室町時代の文献にも出てくるそうで、ずいぶん昔から併用されてきたもののようです。


お茶        お茶        お茶        お茶        お茶