北澤美術館
長野県諏訪市、諏訪湖のほとりに北澤美術館があります。1983年の開館だそうです。
東山魁夷や加山又造の絵(2階)もありますが、なんといっても、ここのコレクションで特筆すべきは、アール・ヌーボーの代表と言ってもいい、エミール・ガレのガラス器です。ヒトヨダケをモチーフにしたランプが、1階の展示室を入ったすぐのところにあります。他にも、たくさんのランプが展示されていて、みんなため息の出る作品です。ガラス館と称する別館もだいぶ離れた(湖岸)ところにあって、そこにある花器の豪勢なことといったらない。
http://kitazawamuseum.kitz.co.jp/suwa/
のサイトでいくつか見ることができます。
キッツというスポーツジムも各地に展開する、キッツ・グループ(元北沢バルブ)という会社をおこした、北澤利男という方の収集になるもの。ガレのコレクションとしては、おそらく世界一なんじゃないでしょうか。オルセー美術館に「ガレの部屋」というのがあって、見てみましたが、比べるほどのこともない貧弱な数しかなかった。
諏訪湖方面においでになる機会があったらぜひ見物してみてください。
ガレのランプのレプリカを作っている工房がルーマニアだかにあるのだそうです。そこから輸入して日本で販売しているところがあります。
それが、私の家にやってきました。と言っても、買ったものですが。5年くらい前でしたか。ちゃんとガレのサインがアルファベットで書いてあります。
あるとき、笠を割ってしまって、泣き泣きボンドで貼り付けました。時代がついたような雰囲気が出たような気もします。負け惜しみですけれど。
これは、割れる前の原型をとどめる我が家では貴重な写真というわけです。
ノッティングヒル
ジュリア・ロバーツとヒュー・グラント主演の映画『ノッティングヒルの恋人』は、ハリウッド・スター(ジュリア)と、しがない書店員(ヒュー)が恋仲になるという、ありえないような話でした。『ローマの恋人』を換骨奪胎したものですね。最後の、記者会見のシーンで、ああ、あれをパクったのかと気がつきました。
ヒュー・グラントが、想いを断ち切れずに、街を歩くシーンを覚えていますか。左から右へ歩いていく。日が照ったり、雪が降ったり、季節の移り変わりを示しながら、通りを通過する仕掛けがちょっと面白かった。
4年前、そのノッティングヒルへ行ってみました。1キロくらいの商店街。とくに素敵なお兄さんがいるとも思えない場所です。本屋さんも、骨董屋さんもありましたけど。
食堂と呼んだ方がいいようなお店でお昼を食べました。イギリスに限らず、行ったことのある西洋の都市では、店のトイレはたいてい地下にある。同行した人が、注文してすぐに、トイレを使おうと下に降りかけたら、「ダメダメ!」とおかみさんに断られてしまいました。
仕方がないので、急いで食事を終え、近くの「スターバックス」だったか、喫茶店に入って、トイレを借りられるか聞いてみました。ここもダメだという。商店街のはずれに公衆便所があります、と教えてくれた。球形のトイレです。そこで、スッタモンダがありましたけれど、別の機会があれば書きます。
外国人労働者が入ってきたころ、排斥の動きがはげしくなって、「ノッティングヒルの暴動」ということが、ずいぶん以前にあったということは、もちろん、あとになって知ったことです。
雑貨屋のおじさんとその奥さんが、誇らしげに、1週間後にあるお祭りのことを話してくれました。ぜひ見にきなさい、と誘ってくれましたが、次の日の飛行機に乗って帰らざるをえません。人がたくさん集まる時のトイレはどうするのかしら、と思ったことでした。
納豆サンド
ニコルという人が書いたのを読んで試したことがあります。
食パンを焼いてバターかマーガリンをぬる。レタスがあればそれを敷きます。なければキャベツでも。そこへ納豆を一パックのせる。納豆は、ご飯のときのようにかきまぜなくともよい。その上にケチャップをかけます。もう一枚でふたをしてかぶり付く。
私は、暖かい牛乳とともに食べました。腹もちがよくて結構なものです。
いろんな人にすすめましたが、試したのは二人だけでした。
エスカレーター
東京の地下鉄千代田線の新お茶の水駅を毎日利用しています。北側改札口はJRのお茶の水駅に通じています。そこが小高い丘になっているために、中のエスカレーターがものすごく長いので有名です。4機のエスカレーターが稼動していますが、いつ乗ってもなにかの舞台に上がったような気分を味わいます。スピードが他のよりもゆっくりしています。
立ったままの人々は左側に寄り、先を急ぐ人々は右側を歩き登ります。関西ではこの右左が逆なのだそうですね。
丸谷才一の小説『裏声で歌へ君が代』の冒頭、エスカレーターを登ってきた主人公が途中で下りに乗り移る場面があったと思う。そうは書いていませんが、このシーンはこのエスカレーターに違いないと思いました。
いつだか、ブダペストの地下鉄のエスカレーターに乗りました。新お茶の水駅のそれより長いかと思わせる高い高いエスカレーター。びっくりしたのはそのスピードです。こわいくらいに速い。お茶の水のそれの倍は優にありました。
ドナウ川の底の下を地下鉄が通るので深いのだ、とガイドブックに書いてあった。しかし、線路は川底のはるか下にあるような感じです。シェルターとして使う目的もあるのだろうと思いました。
それよりもっとずっと前、パリの地下鉄のエスカレーターにも乗ったことがありました。スピードは日本のより速く、ブダペストのより遅い。それでも、年寄りや子どもにはちょっとつらいだろうスピードです。登りの階段の前で、うまく飛び乗ることができずにモジモジしているおばあさんがいました。後から来た、40代くらいの屈強な婦人が、ばあさんの手をひっぱって、「来なさい!! マダム」(Venez! Madame!)と太い声を出して乗せてあげました。ばあさんは、蚊の泣くような声で「ありがとう、マダム」(Merci, Madame.)と答えるのでした。
一ツ橋の学士会館という建物の外にも、20段もないくらいのエスカレーターがつきました。ここを利用するのは年寄りが多いので、ゆーっくり動きます。
後宮からの誘拐
モーツァルトのオペラ『後宮からの誘拐』(『後宮からの逃走』という訳もありますが、ドイツ語の原義や、他の言語の訳語からは、「誘拐」のほうが適切なのだといいます)について、もっとも印象的な批評をしたのは、『魔弾の射手』の作曲家ウェーバーのようです。
下の引用は、池田博明という方のホームページで読んだものです。この人は、神奈川県の高校の理科の先生だそうです。モーツァルトについて、たくさん読み、たくさん聞き、それを情熱的に語ります。
http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/music/mozartopera.htm
で、薀蓄の詳細を知ることができます。
さて、ウェーバーの引用:
わが信ずるところをここにあえて表明するとすれば、モーツアルトが芸術的に熟達したのは『後宮』においてであって、その後は世慣れた作品を作っていっただけである。『フィガロ』とか『ドン・ジョヴァンニ』とかいったオペラなら、彼はいくつも書けたが、『後宮』のような作品はもう二度と書けなかった。(ウェーバー)
たしかにあんな若さで死ななければ、いくつ傑作オペラを書いたかわかりませんね。『後宮』は25歳のときの作品です。
このオペラは、のちにあらわれる複雑な重唱こそありませんが、若さの輝きがまばゆいばかりの名曲です。アリアの粒だっていることは後年の傑作群に一歩もヒケをとらない。一音も余計な音符はありません、と皇帝ヨーゼフに誇らしく語った自信作です。
グルベローヴァのコンスタンツェ、キャスリーン・バトルのブロンデ、ショルティ指揮のCDを聞いています。バトルがでしゃばらないので成功した、という評を読んだことがあります。これは歴史に残る名盤です。