パパ・パパゲーノ -122ページ目

カヴァレリア・ルスティカーナ

 マスカーニ(1863-1945)のオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』は、短い前奏曲のあと、テノールの朗々たるアリアで始まります。これは、主人公トゥリッドゥが、かつての許婚、いまではアルフィオの妻になっているローラを恋う歌なんですね。いくさに出かけているあいだに別の男と結婚してしまった。


 いまの彼女はサントゥッツァという名前。ローラとトゥリッドゥが再び関係ができたことを知ったサントゥッツァが、アルフィオに告げ口し、男二人は決闘にいたり、主人公は死んでしまう、という話です。


 原題は、Cavalleria Rusticana 、カタカナでそのまま表記したのがタイトルになっています。「田舎騎士道」というのがイタリア語辞典の定訳のようです。イタリア南部の、名誉を重んじる男の道義心のことを指すらしい。してみると、このオペラはアルフィオの復讐譚ということになるのかな。


 筋はそうですが、なんと言っても、全編、とうとうと流れる美しいメロディーと、華麗なアリアが、途切れることなく続くのが聞きどころです。私が聞くのは、ドミンゴとアグネス・バルツァ(サントゥッツァ役)の組み合わせ。指揮はシノーポリ。ドミンゴの素晴らしいのは言うまでもないが、とりわけ、バルツァのソプラノが心を揺さぶります。メゾ・ソプラノの歌い手として知られるこの歌手(カルメンも当たり役)の、ハイ・キーの伸びやかなことといったらありません。


 で、オーケストラが奏でる間奏曲。これあるがために、このオペラは、もちろん作曲家も、千載に名を残したといってもよい。ロマンティックのきわみの旋律です。


 この作曲家も私が生まれたときは、まだ生きていたのですね。

東御苑

 丸谷才一の新著『袖のボタン』(朝日新聞社)の1編「街に樹と水を」にこんなことが書いてありました。


 「たとえば、東京なら銀座四丁目や数寄屋橋の交差点の中心に一本の大樹を植え」ることを(芦原義信が)提案していた。賛成。


 読んでいて私もそれは賛成だ、と思いました。ケヤキの大木が銀座4丁目の真ん中にあったらさぞやいい気分のものでしょう。新宿の駅前広場にもあればいいなあ。


 幼少のころですが、やっと舗装ができたバス道路の真ん中に楠か欅の大木があって、根元に小さな祠を残してあったのを思い出しました。車はその木を迂回して通過する。切り倒すとタタリがあるんだって、と聞いて、子ども心にコワイ思いをしましたね。何年かのちには、切り倒されてしまいましたが。 【8月9日訂正この木(槻の木と言っていましたが、ケヤキのこと)は健在だったそうです。どの木のことか分かっている人が、現場で確認してくれました。ありがとう、レイコさん。


 他の国の都市に比べて、東京は樹木が少ないのではないか。その根拠の一例として、


 人口一人あたりの公園面積は、ロンドンは26.9平方メートル、東京は4.45平方メートル


という、注記も書いてありました。東京は人口がケタ違いに多いはずですから、比較すればこうなるかもしれません。公園(ロンドンならハイドパーク、東京なら上野・日比谷公園などか)同士の比較なのかしら。


 私の印象では、東京ほど緑の多い都市はないのではないか、と思います。小さな神社がそこらじゅうにあって、大きな樹が枝を張っていたりする。椿山荘や八芳園【六義園や清澄庭園も】のようなところもうっそうとした樹木に囲まれています。


 そうして、東京の緑の真打は、皇居東御苑です。江戸城の本丸・二の丸のあと。ここは、原則、月曜・金曜以外は、中に入ることができる。タダです。今なら、亭々たる大木が見渡すかぎり鬱蒼としており、ひろびろとした空がのぞめて、じつにいい気持になります。花の季節もよろしい。春先のサンシュユも。


 田舎から親戚やともだちが来たりすると案内します。ウチの庭ではないのに、自慢したくなるのがおかしいですね。


 

柴田武

 柴田武先生がお亡くなりになった、と今朝の新聞が報じました。12日のことだったそうです。享年八十八。低酸素症と病名が書いてありました。


 お若い頃、国立国語研究所に所属していて、筑摩書房から出ていた雑誌『言語生活』の編集もなさってました。雑誌作りに一家言をお持ちでした。駆け出しの編集員だったころ、教えていただいたことを今でも覚えています。「雑誌の特集が成功したと言えるのは、1本の論文でいいから、賛否いずれでも強い反響があったときです」という意味の助言でした。


 何本かの論文を集めて特集を構成するのですが、核になる文章をどこかに配するということを考えます。いつも柴田先生の教訓を思い出していました。こちらが期待したとおりの反応があるとはかぎりませんが。


 著者として何冊かの本、何本もの論文をお書きいただきました。70台になってからのことだったでしょうか、ヒザを悪くなさって、いわゆる「びっこ」をひくようになられたことがあります。この単語を聞くと、本当に「痛いんです」とおっしゃいました。書くときも話すときも、お手本にしたいほど、ことばの選び方が素敵な先生でした。


 「自転車」の発音は、NHKの『アクセント辞典』では、「ジンシャ」とにアクセントが落ちて後続が下がるように書いてあります。東京生まれの人たち(今60台から50台)の発音を聞くと、ほとんど全員「ジンシャ」と、ではなくです。しかも平板に発音する。という発見(?)をお伝えしたら、名古屋出身の柴田先生は「それなら名古屋とおんなしだ。せっかく苦労して覚えたのに」とお答えになりました。たったひとつだけモノをお教えしたことになりました。誇らしい思い出です。


 ご冥福を心からお祈りいたします。

煙草の害について

 私は見たことがない(読んだこともない)のですが、チェーホフに 『煙草の害について』という1幕芝居があるのだそうです。標題と内容とが一致しているものではない、という。こういう題で講演しながら、芝居には出てこない女房のことを気にする、というような内容。

 

 山口瞳のエッセイに、この作品のことが出てきたことがあります。彼もヘビー・スモーカーだったはずで、禁煙の苦労を語るところで、言及していたと記憶しています。


 私も、19歳で吸い始めてほぼ40年間タバコ中毒でした。途中4年ほど休んだこともありますが、復活したら前にもましてヘビーなスモーカーになった。発心して、再度禁煙に挑戦し、今のところ、20か月間、続いています。この分だと、まあ、やめられると思います。


 いろいろな方法があるようですが、私の場合はひたすらガマンしただけです。飴もなめなかったし、なんとかパイポも使わなかった。


 体重が増えませんか、とお聞きになる方もいらっしゃいますが、ピクリとも増えません。ものの味が際立って食事がおいしいでしょう、とも言われますが、それも変化なしです。イロケのないことです。


 唯一よかったのは、飛行機の長旅で、ガマンする必要がなくなったことでした。


 タバコのみにはつらい時代になりましたね。ほとほと同情するのみであります。

土川そば

 この季節になると、土曜・日曜のお昼は大抵おそばをゆでます。冷やし中華も食べたくなってつくりますが、やっぱり日本そばに落ち着きます。


 ここ10年ほどは、土川(つちかわ)そばに決めています。1年中切らしたことがありませんね。年越しそばもこれです。グーグルで探すと出てきますから、興味のある方はネット経由で注文してみてください。私の家では、いつも電話注文しています。


 乾麺です。日持ちがよい。たっぷりの湯で表示通り8分ゆでるといい歯ごたえのそばにあがります。前は固めが好みだったので、5分も湯がかずに食べていました。


 このおそばの特徴は、ネットでも宣伝している通り、時間が少々たってもおそばが伸びないことです。ほんのり甘い、いい味のそばです。


 市販の「つゆ」を薄めて、ネギを散らし、ワサビをちょっとしぼり入れて食べる。いたってザッカケナイ食い物ですが、そばをたらふく食べ終わって、そば湯をすくい、つゆを落としてそれをすする時には、いつも「うまい」と口走りますね。


 日本全国からうまいものを取り寄せることができるようになって、なんていい時代に生きていることか、と思いますよ。そばですから、そんなに高いものでないところも気にいってます。