今日は“チンチン電車の日”です
これも懐かしい記念日です。1903年(明治36年、日露戦争真っただ中)、東京電車鉄道の“チンチン電車”が、日本で初めて新橋と品川間で営業を開始した記念日です。いわゆる「道路に軌道を敷く路面電車」が“チンチン電車”と呼ばれる所以ですが、一つは、当時は一つの車両に「車掌さんと運転手さん」の二人が乗り込んでおり、車掌さんが運転手さんへメッセージを送る際に、ベルを鳴らして合図としていたこと、もう一つは、車外への警告音として、運転手さんが足元のペダルを踏み、「チンチン」という警告音を出して走行していたということからいつの間にか“チンチン電車”という呼び名が定着したというです。私の地元、愛知県の西三河地方では、今では、全線廃線になってしまっていますが、「国鉄岡崎駅」を起点に、一番の繁華街であった「康生町」から「伊賀」、「井田」を経て、「岩津」、更に、「細川」から矢作川を渡って、「渡刈」から、現在の豊田市ですが、「上挙母駅」まで路線が敷かれていました。国鉄バスと名鉄バスが、並行したり、迂回したりしつつ同様の路線を走っていましたが、“チンチン電車”も岡崎市を南北に貫き、市民の生活の足として,市民に愛され利用されていたように記憶しています。私の幼少の頃の「国鉄岡崎駅」は市街地から随分離れており、岡崎の繁華街と言えば「康生町」の名前が挙がったものです。小学生だった私ですが、「たつき百貨店」、「緑屋」、「山田屋(お汁粉の店)」、「本文書店」、「岡崎書房」等から、映画館、菅生川の河川敷、岡崎公園グランドなど魅力に溢れた地域でした。話は飛びますが、岡崎側から挙母市側へと繋ぐ、矢作川の鉄橋の下で遊んだこともあります。下流の配津、下渡刈の渡場(どば)から川に入り、泳いだり、魚を追いかけたりしながら上流へ遡行して行きますと、上渡刈を超すと、鉄橋に到ります。そのころは、所々に急流となっている深場も有りましたが、広大な砂場が広がり、ほとんどは膝程度までの深さの流れが続いていました。偶々来た電車が轟音を上げて鉄橋を渡るのを下から見上げて手を振っていたものです。又、話が飛んでしまいますが、中日新聞で一年に亘り掲載されていた新聞小説「かたばみ」が昨日で終了してしまいました。「木内昇さん」執筆によるもので、私も毎日楽しみにさせて頂いたものですが、あっけなく終了しました。戦中から昭和の時代背景にも共感できる部分が多くあり、毎日新聞を手に取りますと、先ずは「かたばみ」に目を通したものです。“チンチン電車”も「かたばみ」も、いつの間にか「昭和」といえば「レトロ」と帰って来そうな今ですが、私の頭、胸の中では、つい昨日のことのように、次々に、カラフルに多彩な人間模様が繰り返され、風景も全く色褪せるものでは有りません。それも有ってか、「明治村」も大好きな私です。“チンチン電車”にも「ありがとう」です。我家の“リオ君”はペダルの無い自転車で交通ルールをしっかり守ります。昨日は、市内の錦町の遊園地で、「踏切り」と「信号交差点」の渡り方の練習をしました。本物として使っていた踏切と交差点の信号機で、しっかりと声を出して「安全確認」が出来ました。その後は、すぐ横の「小山(こやま)」の上から滑れる「スベリ台」で繰り返し遊びました。しっかりと「安全確認」のできる“リオ君”に「ご苦労様」です。「コロナ」がなかなか治まりません。しかし、趣味のサークルの「展示会」や「発表会」は相次いで企画され始めています。一役買える達成感こそ仕事の励みになるものです。今日もよろしくお願い致します。アンクリエイト名刺・封筒・シールの相談は アンクリエイト|名古屋で印刷のことなら当店にお任せくださいテレビ塔からスグのアットホームな印刷ショップです。デザイン制作、データ調整。名刺、封筒、チラシ、メニュー、ラベル、ステッカー、ポスター、コピー、データ出力、伝票、会社案内、看板、Tシャツやノベルティ、製本、はがき、DM、ファイル、会報誌などのご相談まで承ります。データ持ち込み大歓迎!お気軽にお問い合わせください。www.an-create.com