1948年(昭和23年 私の生まれ年)8月17日、
横浜ゲーリック球場で「中日ドラゴンズ対
東京巨人軍」との間で、
日本で初めてのプロ野球の「ナイターゲーム」が
開催されました。
開始は午後8時8分、終了は午後10時1分でした。
結果は、中日軍が3対2で勝利しました。
翌日の朝刊各紙では「空前の超満員」の観衆を
集めたと報道されています。
私にとっても、プロ野球と言えば「ナイター」が
大きな魅力の一つになっていたものです。
名古屋駅のすぐ手前の「尾頭橋駅」から歩いて
球場に向かいます。
未だ、明るい、試合前の時間帯でしたが、
駅から球場の間の道路は、観戦客で
一杯でした。
球場に着きますと、投手はブルペンで投球練習を
していますし、野手もキャッチボールなど、
最後の調整練習をしています。
間近かで見る投球練習には迫力が有りました。
「ボールが指先を離れる音」、
「キャッチャーめがけてボールの飛ぶ音」、
「キャッチャミットに吸い込まれ、バスッ、ドスッ
という捕球音」、
「キャッチャーの人のヨシッ、良いぞッ、もう一丁ッ、
という逞しい声」など、
見ているだけでも、惹きつけられてしまいます。
試合の開始が近づくと、ライトが一斉に点火し、
一際球場中が明るくなります。
球場の芝生の鮮やかな緑が目に焼き付きます。
外野席からは応援団の大音声が響きだします。
試合開始の場内案内で、両軍選手が整列し、
攻守に分かれて、駆け足で守備位置に
散ります。
投手が数球最後の投球練習をすると、
主審の手が上がり、サイレンが鳴り、
いよいよ試合開始です。
横に座る父親も本当に美味しそうに
ビールを飲み干していました。
バックネットの裏に売店が有り、
行く都度口にしていたのは「ラーメン」です。
行きかう人が多く、席までラーメンをこぼさない
ように、静かに、慎重に歩いたことも
良く覚えています。
自分が大人になり、子どもを連れて
何回かは中日球場へ足を運びましたが、
「ナゴヤドーム」が完成し、以降は、
中日球場への足は途絶えてしまっています。
小学校の高学年になっていたとは思いますが、
今でも、鮮烈な記憶として残っている
経験です。
中日では「本多、杉山、杉下、西沢、石川(克)、
石川(緑)、森、江藤、権藤、中、…」、
本当に楽しませてもらいました。
ありがとうの“プロ野球ナイター”です。
我家の“リオ君”も
もう少ししたら
“ナイター”へ連れて行きたいと
思っています。
手始めでも有りませんが、
先日、安城の「デンパーク」の
花火に行ってきました。
午後7時15分の開始ということで、
5時過ぎには家を出て、
園内で食事を取り、
恐竜コーナーを見て
「花火会場」へ向かいましたが、
なかなかの人出で、
天車をしたり、場所に余裕がなく
若干、窮屈な思いをしました。
7時15分になり、「花火」が始まると
期待しましたが、
アイシンやデンソーなど、
協賛企業のPRを兼ねた前振りの
「デジタル映像」が延々と続き、
「花火」が打ち上げられたのは、
8時になり、約10分間ほどのものでした。
短い時間でしたが「花火」は
目の前でのことも有り、
綺麗で迫力のあるものでした。
“リオ君”は、音や迫力に
少し怖がりながらも
大喜びの様子でした。
車で行きましたので、
駐車場から出るにも大渋滞の
様相でした。
早々に、車の中で
すやすやと眠りにつく
“リオ君”でした。
翌日、もうこりごりかなと
「又、行きたいですか」と聞いてみると
「又、行く」と大きな声で
答えてくれましたので、
「又行くことになりそうな」、
“リオ君”です。
「コロナとの共存」の感覚が
出来始めたためでしょうか、
そこそこの人を集めての
「結婚式」が予定されるように
なってきたようです。
結婚式に関連して、
「席次の案内」、
「新郎、新婦のメッセージ」など、
お手伝いできる仕事を
頂き始めています。
来年の「カレンダー」の
受け付けも進んでおり、
今年も、
時間だけは留まることなく
刻々と流れていることを
実感します。
今日もよろしく
お願い致します。
アンクリエイト

