1825年(文化3年)7月26日、「鶴屋南北さん」の

「東海道四谷怪談」が、江戸の「中村座」で

初演されたことを記念しています。

 

「幽霊」とは、

・死者が成仏できず姿を現したもの、

・死者の霊が現れたもの、

とされていますが、

 

西洋の「ドラキュラ」、「フランケンシュタイン」

等の映画も、怖いもの見たさと緊張感で

恐る恐る映画館に入ったことを思い出します。

 

日本でも「牡丹灯籠のお露さん」、「番町皿屋敷の

お菊さん」、「東海道四谷怪談のお岩さん」などは

本当に怖かったですし、「雨月物語」あたりは、

ぞくぞくしながら読み耽ってしまったものです。

 

洋の東西を問わぬ「幽霊、お化け」では有りますが、

私の印象ですが「西洋のお化けは活力が有りそう」に

見える一方で、

「日本のお化けは、血の気の引いた虚無のかたまり」

のように印象に差が有ります。

 

「日本の幽霊の足」ですが、江戸時代前期の

元禄年間(1688年~1704年)の「お伽はなし」では

皆、二本の足が有りました。

 

その後の享保年間(1716年~1736年)の間に、

段々足の影が薄くなり、手もしなだれて行く

スタイルが定着しだしたようです。

 

これには「円山応挙さんの浮世絵」も

大いに影響しているのではともされていますが、

以降は「真っ白な血の気の引いた顔に両手先を

下に向けての恨めし気な表情」が日本の幽霊の

定番的なスタイルになっていったようです。

 

「肉体を遊離した霊魂」の存在や、

「再生、生まれ変わり」については、

信じる、信じない他諸説あるところですが

「良いにつけ悪いにつけ」不思議と言えば

不思議ですが「因果応報、報い」というものは

有るように思います。

 

「宗教観」にも絡むものが有りますが、

「便乗商法」など「金銭的な営利」が絡んでくる

気配の有る場合は、先ず「眉に唾を付けて観察する」

必要があるように思います。

 

昨今、世間を騒がせている「統一教会」の話題も

そうですが、「火の無い所に煙は立たぬ」という

諺も有ります。

用心が必要ですし、用心するに越したことは

有りません。

我家の“リオ君”は

「怖がり屋さん」です。

 

小さな「アリンコ」、「トンボ」、

「セミの抜け殻」、「かたつむり」、

「クワガタのおもちゃ」など、

どれも触れません。

 

「扇風機、掃除機」も

動き出すと逃げ回ります。

 

未だ、

「リオ君は強いよ、平っちゃらだい」の

魔法も通じません。

 

サッカーやラグビーの

大好きな“リオ君”です。

 

“平っちゃら、リオ君”に

変身するのが楽しみな

“リオ君です。”

まだまだ「コロナ騒動」は

続きそうです。

 

「マスクへの名入れ」の

ご用命も後を絶ちません。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト