(あらすじ)※Amazonより
第169回直木三十五賞受賞作
やる気なし
使命感なし
執着なし
なぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?
動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて、鎌倉府の信用は地に堕ちていた。
足利直義は、怠惰な兄・尊氏を常に励まし、幕府の粛清から足利家を守ろうとする。やがて後醍醐天皇から北条家討伐の勅命が下り、一族を挙げて反旗を翻した。
一方、足利家の重臣・高師直は倒幕後、朝廷の世が来たことに愕然とする。後醍醐天皇には、武士に政権を委ねるつもりなどなかったのだ。怒り狂う直義と共に、尊氏を抜きにして新生幕府の樹立を画策し始める。
混迷する時代に、尊氏のような意志を欠いた人間が、何度も失脚の窮地に立たされながらも権力の頂点へと登り詰められたのはなぜか?
幕府の祖でありながら、謎に包まれた初代将軍・足利尊氏の秘密を解き明かす歴史群像劇。
※物語全体について詳細に触れています。ネタバレにご注意ください。
◆◇
第169回直木賞受賞作である。
↓あもる一人直木賞(第169回)選考会の様子はこちら・・
2段組の小さい文字が私の老眼を、そしてその分厚さと重さが私の顔を直撃!
←寝ながら読んで顔に落とす。
第169回直木賞受賞!
三度目の正直、垣根さんおめでとう。
私の中では3位だったけど。
でもまあまあ、2位の高野さんとは接戦って事で。
前半(意味深w)面白かったなあ!!!
私たちのイメージする武士や侍って戦国時代や江戸時代のものなんだよな〜と改めて感じる作品でもあった。
鎌倉時代や室町時代の武士って、まだ統制も取れてないし、武士道のような規律?めいたものもないし(多少はあるのかもしれんけど)、ものすごく野生的で粗くて意識も戦国時代の武士とはまるで違う。だから私たち読者の根底には無意識に「武士像」があるため、戦国時代以降を描いた時代小説って読みやすいのだと思う。
まだまだ混乱しまくっていた、世界も人も明瞭でない鎌倉時代から室町時代という時代の移り変わりとその時代に変化に翻弄される武士たち(足利尊氏と足利直義(尊氏の弟)、高師直、そして楠木正成ら敵方)を描いた、大変面白い作品であった。
前半はもう完璧!
序盤の、海にたゆたう小枝を幼き頃の尊氏・直義兄弟が見ながら、波の動きを見ながら枝の行き先を当てる尊氏・・という描写に、あ~またこのパターンか~、と一瞬思った私。
垣根さん、「信長の原理」でもそういうシーン(働きアリの法則)を書いていた。
今回もたびたびこの「波にたゆたう小枝」「水は方円の器に従う」というキーワードが出てくるのだが、そのキーワードにふさわしい尊氏の描写となっていた。
足利直義(尊氏の弟)と高師直(尊氏の側近)の視点から尊氏中心に起こる事象を交互に描く。
自分のことだけではなく、他人にも関心がない。だから保身に走ることなく、ただみんないい感じに収まってくれればいい。
という尊氏のな~んも考えてない(ように見えるし、実際尊氏本人視点からの描写がないので結局わからない)フワフワとした感じと、ただ弟は自分より大事!という性格がよく描けていた。
弟・直義の大ピーンチ!!!!
しかし足利家の威信にかけて弟を助けにいってはいけない場面。
で、尊氏は足利家の威信なんかどうでもええわ、自分の命より大事な弟・直義を助けねばー!
と必死に引き留める部下を振り切って、猛ダッシュで弟の死闘の場に駆けつける。
やってきた兄の姿に直義は激怒する(足利家の威信が~)も、尊氏は
「エヘヘ。来ちゃった(テヘペロ)」
てな具合。
そんなゆる~い尊氏に力が抜けた直義、命の危機を救われたこともあり、泣き笑いするのであった。
このシーンでわたしゃ腹抱えて爆笑しました。
ただこういうシーンはマレで、尊氏は部下の言うことに耳を傾け、基本的にはそれに従う。
担ぐ神輿は軽くてパーがいい
という言葉があるが、まさにいい意味でも悪い意味でも尊氏を「軽い神輿」として描いていた。
政治的なことは全く分からないが、みんなに優しいおおらかな尊氏を足利家、ひいては日本の武士社会の頂点として、有能な弟・直義と側近である高師直が脇を固めて導いていく。
・・・導いていくものらが常に正しければそれでいいのだが・・・
・・・導いていくものらが常に仲が良く、同意見であればいいのだが・・・
中盤からは流れてくるその不穏な雰囲気もよく描けていた。
ではあるのだが、途中から急に作者のナレーションが入ってくる。
え?突然!?
と私は戸惑った。
中盤以降、わりと頻繁に作者の声が登場。そして超絶駆け足!!タッタカター。
最後まで直義と高師直の視点からじっくり描いていってもよかったのではなかろうか。
とは思うものの、室町幕府を誕生させたあとも、あちこちで揉めまくってて「直義と高師直の視点」だけで描くのも限界ではあったのだろう。
時代小説の難しいところは、事実が点として存在しているところ。
そのまばらに散らばる点をいかに物語としてつなげていくかが作家さんの腕の見せ所。
でも事実は小説よりも奇なりという言葉があるように、なんでそういう行動をとったのか、というのが本人に聞いてみなけりゃわからないようなことも多く(例えば本能寺の変などは数え切れないほど説がある)、主人公の性格や考え方を詳細に描けば描くほど事実から離れていくことも多々ある。そうなるとその事実の点まで強引に理由付けをして持っていくしかなく、直義と高師直の視点からだけでは語れない色々もあったのだと思う。
この作品でもそういう部分がちらほら見られた。
時代小説の難しいところだよなあ・・・
尊氏は「軽い神輿」で自分や他人についてしがらみ無く、部下や弟の言うことに従う、という人物像ではあったが、自分の意思や保身で動くことも多く、それでも周りの尊氏の人物評は一貫して「軽い神輿」であることへの違和感。
作品全部を読んだとき、尊氏って結局自分のことが一番大事だったのではないかな、と思った。
それならそれでいいし、結果としてわりと一貫してそういう感じで描いたのだから、だれかがそのことに触れてもよかった気がするのだ。
とまあここまで散々文句を言ってきたが、面白かったのは間違いない!
特に褒め称えたいのは敵方・新田義貞、楠木正成らの描写。
いずれもよかったわ~。
あと私のお気に入り、赤松円心。おじいちゃんス・テ・キ!!
(ナウシカのミト爺みたいなイメージ。どうでもいいけどミト爺って40歳だそう。まさかの年下!)
あとはねえ~武闘派皇族たち。彼らについてはあまり詳細には書かれていなかったものの、どいつもこいつも(あ、皇族の皆様に失礼><)好戦的でそういう時代だったということがよくわかる。
そういう時代だったというのがよくわかる、というのは他にもあって、とにかく皆が節操なく寝返る。戦国時代に入るともう少しマナー?秩序?みたいなのがあって動きがわかりやすくなるのだが、この時代はまだ混乱しまくっていて、さっきまで足利側にいたよね?という人がもう敵方にいるし(佐々木道誉とか。婆娑羅~)!やりたい放題の混乱の極み!
室町幕府の畿内って血なまぐさかったんだなあ・・・と全く見知らぬ土地ではあるが畿内という地に思いを馳せるのであった。
そんな魅力的な敵方に対し、主人公周辺のキャラがムムム。
ホニャララとした尊氏はともかく、弟の直義が途中まではステキ石頭だったのだが、すごくデキル人描写なわりに結構トンマ笑。しかも戦下手・・でもなぜかデキル風。ちょっといい動きしたら高師直が大絶賛・・さっきさんざんけなしてたのに><
高師直も似たような感じ。直義に比べるとわかりやすくて、ちょい悪でよかったけど。
しかもそれが何度も繰り返され(そして周りの部下はさすが殿~と絶賛するだけ)、ワンパターンな気がした。またそれかい。てな感じ。
ただ幕府誕生後の直義と高師直の対立の描写はよかった。
どちらにも言い分がある、という。私もどちらにも味方しちゃいたい気分であった。
それは現代でも同じことが言えるよね。
簡単に白黒つけられる問題ばかりならどんなにいいか・・。
講評に立った浅田次郎氏は
「垣根さんの「極楽征夷大将軍」は大変な力作。とても長い小説だが、なかなか一般読者には親しみがない足利幕府の成立経緯について、太平記の時代の物語に沿って丁寧に小説として表現した。とても重厚な力作である。」
「個人的意見だが、「極楽征夷大将軍」の主人公である足利尊氏に対して、私の世代は皇国史観の影響で悪者としてのイメージを持っている。だが、そこに垣根さんの小説は面白い一石を投じたと思う。また、室町時代は歴史の中でもかなり地味。おそらくほとんどの方が知識を持たない時代を描いたという意味でも大変面白く読んでもらえると思う。」
浅田氏の言うようにある世代より上の方々には、皇国史観の影響で足利尊氏は天皇に弓引くものとして悪者というイメージがあるらしい。そして一方の敵方である楠木正成は天皇側についたから善(だから皇居にも像がある)。
その尊氏をこういう姿で描いたのは興味深いと思う。
しかも私も書いたが戦国時代の侍は一般的にイメージしやすいが、鎌倉・室町時代のことって一般的にも知らないことが多い。足利尊氏って何した人?って言われても、室町幕府を開いた人・・それだけだもんね。実は湘南・鎌倉出身ということも知らなかったりする。京都の人とか思ってませんでした?私は10年くらい前までそう思ってました。
いや〜小説から知ることって多いなあ笑
そういう意味でも浅田氏のいうように、知識を持たない時代を描いたという観点からも評価できる作品と言える。
とりあえず禁煙を始めて太ったという垣根さんには西村賢太式ダイエットをオススメしときます笑