だいぶ前のことなのだが、スタインウェイを弾こうイベントに参加した。
私は発表会も近いことだし、と7〜8割くらいに仕上がりつつあったショパンのノクターン2曲で参加することにした。
スタインウェイの文字が眩しい!キラキラッ!!音もキラキラッッ!
↓突然開催が決定した発表会に合わせて、慌てて選曲した記事はこちら・・
もっといい写真はなかったんか笑
と思われるでしょうが、そんな写真なんかを気にしている場合ではない。
目が、目が〜!!!
老眼が進んでるせいか(せいで)、楽譜の「シ」の音が「レ」に見える瞬間が。
私(ん!?んん!?いや、次の音、レに見えるけどシだったよね!?)
と0.0005秒ほど迷う。
しかし自分の勘(勘!)を信じて、
ええい、ままよ!
とシを弾きましたらば正解でした!←こんなこといってるレベルで人前で弾く厚かましさ。
その後も楽譜に一番ピントの合う距離を取りながら弾いていましたらば、同世代の方々に
「わかるぅ〜」
と共感されておりました笑
老眼鏡かけながら演奏する日も近い・・・こわっっ!!!
・・って、今日の記事はそんな進みゆく老化の話を書きたいわけではない。
老眼に共感された、という話でわかってもらえるかと思うが、こういうピアノのイベントって私と同世代の方々が圧倒的に多い。
私たち世代(いわゆる団塊ジュニア)は猫も杓子も女子はピアノを習うという時代で、しかも当時のピアノの先生は恐怖政治タイプも多く(私は違ってよかった・・)、みんな上手。
で、そんな我ら世代が子育てが一段落した今くらいの時期に一斉にピアノを再開したのだと思われる(私の場合は介護が一段落)。あとはコロナ禍ってのも後押しになったのかも。
↓中年女子多め(笑)の数ヶ月前の演奏会の記事。
そのせいもあってか、大人のピアノレッスンに力を入れているピアノ教室も多い。
(少子化だわ、習い事の多様化だわ、で今の習い事事業は生き残りが大変だ。)
うちの大人蔑ろのポンコツ教室も見習ってほしい・・・。
そしてそんな大人のアマチュアを対象としたピアノコンクールもめっちゃたくさんある。
らしい。
そして今、コンクールの季節真っ只中。
らしい。
(実際今回のスタインウェイを弾くイベントでも、コンクールに出ると言う人が何人かいた。)
「らしい」というのも、そもそもコンクールなんぞ出る能力ないやろというのは置いといて、私は子供時代含めて過去一度もコンクールなるものに出場したことなく、そういうものに非常に疎い。
しかしSNSなどでコンクール出場してみた、とかいうのを見ると、ふむふむなるほどね〜とか思う。今んとこ出る気全くないけど笑
なぜ出ないか。
音楽は競うものじゃないと思う。
・・・な〜んて高尚なこと、全く思ってなくて(笑)、どうせ出るなら負けず嫌いあもちゃん、優勝したいの(優勝っていうの笑?)
でもやっぱりコンクールの猛者たちが集まるわけでしょ?
そう簡単には優勝できないと思うわけ。
そもそも私の奏でる素晴らしいピアノを審査員たちはちゃんと判断できるのかしら。←ナニサマ!?
しかもちょっと調べただけでも、どのコンクールも結構金かかる・・
例えば予選、本選の2階建て方式の場合、予選でン万円支払い、そしてめでたく予選通過して本選に出るならさらに支払いが待っている・・・
私の素晴らしいピアノを聴かせてあげるってのに、なんで金出さないといけないわけ!?←ナニサマ!?
ま、そんなことは瑣末なこと(でもないけど)。
一番の理由は私がコンクールに向いていないということであります。
私のピアノ演奏スタイルが向いていない、とかそんなレベルの高い話ではなく、私のメンタルがコンクールに向いていないと思う。
コンクールの結果が良かろうが悪かろうが、その結果を次につなげられるタイプの人は向いていると思うが、私はそのタイプじゃない。
根拠ゼロだが絶対優勝すると思ってる、そんな私が万が一(笑)、優勝できなかったら絶対メンタル削られる。
コンクールの結果がダメで実家に戻っちゃったのだめの気持ちが痛いほどわかる・・・ってレベルが全然違うけど。
コンクールなんてミズモノだし、その時の審査員の構成で良しとされる傾向が違うというのは、世界的に有名な国際コンクールでも同じである。
でもわかってはいてもやっぱり優勝できなかったら悲しいと思うの。
それともいろんなコンクール受けまくってたら、そんな落ち込んでるヒマないのかしらね。
・・って金がいくらあっても足りんわ。
ただ審査員から講評がもらえるコンクールが結構ある、ということはいいなと思う。
私のことをまるで知らない人からコメントをもらえるって勉強になりそう。
・・・・辛口コメントだったら死ぬかもしれんけど笑
何十人もの演奏を聞かされるだけじゃなく、コメントもしないといけない審査員も大変だ・・と思うも、SNSで見る限りその講評はすごく誠実で、奏法や今後の練習についてのアドバイスを交えたものもあるらしい。
どこぞの選考委員に聞かせたい話ですなあ。
ここでようやく本題です。
やる気がないなら辞めちまえ(そこまでは言ってないが!)、の記事↓
>「私が幽霊やオカルトを好まないところがあり、作者の意図に及ぶことが到底できなかったので、作品の佳し悪しの言及は避けたい。」
と言ってのけた伊集院選考委員だが、私が清水の舞台から飛びおりる気持ちで大枚叩いてコンクールに出たとして、その講評が
「私はあもるさんの演奏を好まないところがあり、演奏者の意図に及ぶことが到底できなかったので、演奏の佳し悪しの言及は避けたい」
というものだったら、
演奏の佳し悪しを言及するために己はそこに座っとるんやろが!
とあもちゃん確実にキレ散らかしてると思う笑
20世紀最高のピアニストの一人と称される、スヴャトスラフ・リヒテルなるお方がおりますが(あもちゃん、リヒテル好き〜)、人生に一度だけコンクールの審査員をしたことがあるらしい(チャイコフスキーコンクール)。
リヒテルは「好みの演奏以外に点数がつけられない」と20人中15人に0点をつけ、その時の選考委員長だったギレリスがキレ散らかした話がウケる。
で、結局その1回で審査員はやめ、それ以降二度と審査員をすることはなかったそうな。
↑参考動画はこちら。
もちろんリヒテルの気持ちはわかる。
自分の好きな演奏以外にどうやって点数つけりゃいいのさって。
でも最終的には好みの演奏を選んじゃうのは仕方ないとして、審査員である以上、色々な側面を見て評価してほしい。
この動画で審査員としてあるべき理想の姿はやっぱり「できるだけ自分と違う解釈にも耳を傾けたい」とするダン・タイ・ソンだろうなあ。
リヒテルはそれができないから、多分審査員を降りたんだと思う。
まあ忙しい身でもあるし、若しくはクビになったのかもしれんけど(笑)
ショパンコンクールなんて、すでに反田さんのような人気ピアニストの地位を確立しているようなピアニストがこぞって参加するコンクールなので(なんなら審査員よりも上手な場合も)、教育も何も結局好みでしか選びようがない、それも一つではあるとは思うが、基本的に審査員って評価する立場であり聴衆でもあるけど、教育者という面もあると思う。
アマチュアのピアノコンクールの審査員の講評ですらちゃんとしてるのに、一応日本全国に名の知れた「直木賞」の選考委員でかつ直木賞の選評を書く以上、好みじゃないことを理由に作品の良し悪しに言及できないならリヒテルのように辞めないといけないのでは?
(しかもリヒテルなら0点の理由を細かく聞いたら、どこが自分の好みじゃなかったかなど色々な点をきっと挙げたはず)
何度も言うが、私がコンテスタントでこんな講評貰ったら、多分事務局に殴り込みに行ってる。
とりあえず金は返してもらおうか笑