戦場のコックたち | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

 

戦場のコックたち 戦場のコックたち
2,052円
Amazon

(あらすじ)※Amazonより

1944年6月、ノルマンディー上陸作戦が僕らの初陣だった。特技兵(コック)でも銃は持つが、主な武器はナイフとフライパンだ。新兵ティムは、冷静沈着なリーダーのエド、お調子者のディエゴ、調達の名人ライナスらとともに、度々戦場や基地で奇妙な事件に遭遇する。不思議な謎を見事に解き明かすのは、普段はおとなしいエドだった。忽然と消え失せた600箱の粉末卵の謎、オランダの民家で起きた夫婦怪死事件など、戦場の「日常の謎」を連作形式で描く、青春ミステリ長編。

一晩で忽然と消えた600箱の粉末卵の謎、不要となったパラシュートをかき集める兵士の目的、聖夜の雪原をさまよう幽霊兵士の正体…誇り高き料理人だった祖母の影響で、コック兵となった19歳のティム。彼がかけがえのない仲間とともに過ごす、戦いと調理と謎解きの日々を連作形式で描く。第7回ミステリーズ!新人賞佳作入選作を収録した『オーブランの少女』で読書人を驚嘆させた実力派が放つ、渾身の初長編。

 

◇◆

 

第154直木賞候補作である。

 →あもる1人直木賞選考会の様子はこちら・・・

 「あもる一人直木賞(第154回)選考会ースタートー

 「あもる一人直木賞(第154回)選考会ー途中経過1ー

 「あもる一人直木賞(第154回)選考会ー途中経過2ー

 「あもる一人直木賞(第154回)選考会ー結果発表・統括ー

 

直木賞(第154回)選考会時にこの深緑野分さんの「戦場のコックたち」を読んだ時、腰を抜かしそうになったことがまるで昨日のことのように鮮やかに甦る。


ひぇー!どえらい作品が出てきた!!!

しかもまさかこの作品を女性が書いているなんて・・・と再び驚いたのである。


太平洋戦争のアメリカ軍のコック兵の話であるのだが、最初から最後まで不思議な話であった。
戦争を真正面から書いているわけでもなく、あくまでも一人のコック兵のお話。
しかしコック兵と言えども普段は兵士として戦っているため、戦争の悲劇、興奮や恐怖などはぎゅっと絞り込んで描くことでリアリティを残し、若いコック兵が友情や生死に触れ、成長していく様子も描かれている。
時に残酷に、時に感傷的に。
 

主人公もヒーローなんかじゃなく、常にそこらへんにいるちょっとお人好しの普通の若者を等身大に描くということに作者が細心の注意を払っていることがよくわかる。
しかもこの作品のおもしろいところは、そんな生死を分けるような深刻な戦争のさなかに軍の中で起こる奇妙な数々の事件も解決するミステリーの側面も見せていることである。
アメリカ人が主人公の物語で、舞台はヨーロッパの戦地ということもあり、二段組に編集されてい、外国の翻訳小説という形式をとっている。
そして文体もちょっと変わっていて、日本人の文体ではないような匂いさえする。
 

そんな物語を読めば読むほど、戦争というものがいかに戦略的に進めなければいけないのか、やみくもに前に前に戦い進んで行っても意味がないのか、ということを知る。

コック兵が存在する、ということでまずそのことを知る。
食料を確保し、食料をいかにおいしく食べさせるかを考え、また闘い疲れた兵士を無駄なく交代させ癒し、そしてまた闘いに出させる。
ただそれだけのことがいかに大事でいかに難しいことか。

(ちなみにどうでもいいが、ドイツ軍の料理の方がおいしそうだった笑)

戦争ってそういうことなんだなあ・・
ドンパチやってるイメージしかなかったが、実はそうやって戦っているのね。それが戦争の本当の姿なのだ、と改めて思い知らされた。
フィクションとはいえ、知らない世界を読者に見せてくれる作品はよい作品である。

とにかくいろんな顔を持つ作品で全体的にゴチャゴチャしていたにも関わらず、それが逆に美点となって読めるという本当に不思議な作品であった。
戦時の混乱と描かれる世界の混乱が重なり合って、美しいゴチャゴチャ感がそこにはある。
 

よって、この作品がこの直木賞選考会時の目玉になったことは言うまでもない。

 →詳細はこちら『本物の直木賞選考会(第154回)~結果・講評~

 

この時の講評担当である宮城谷さんのコメントを転記しておく。

 

深緑さんの『戦場のコックたち』の評価は高い。日本人が1人もでてこないアメリカのコック兵の話。「ノルマンディー上陸後の連合軍の話を、よく日本人がここまで書けた」と、感嘆の声があった。

「小説はボーダーレスで、日本人がアメリカ人に成り代わって書いてもいい」と。とはいえ、「日本人にアメリカ人が書く以上の力量があるのか」と危惧する人もいた。「米国で翻訳され、米国で読まれたときに直木賞の選考委員として胸を張って押せるのか」という否定的な意見もあり、大層白熱した議論になった。大量の死者を出した戦争について、この作家はどのような向き合い方をしているのかを含めて議論になった。ただ、小説として評価したときに、志願兵がコックになる道筋の起伏が少し弱い。もう少しダイナミックに料理をどのように活用したかなど、書き込んでも良かったのではないか。今回の選考会の山場となった作品。

 

青山さん(第154回直木賞受賞作家)だけ過半数を取った。しかし、深緑さんの『戦場のコックたち』について議論し、簡単にこれを外していいのかという意見がでた。宮下さんの『羊と鋼の森』の点数も過半数には届かなかった。ただ、点数が低くても、存在しつづける作品もある。『戦場のコックたち』はそれだけ存在感があった。日本人が、米国人になって米国軍のことを書き抜いたという珍しいケースをどう評価するか? 新しい小説を書く人の中には、別の国の人になりきって書く人がでてくると思う。この作品はその先駆けになるかもしれない。これほど問題になったということは、国境や国民性の問題をどう考えていくのか、これからの新たな課題であり、ひとつの問題提起になっていく感じがする。


わたくし歴史とかに詳しくないもんで、よく日本人がここまで書けた、とかそんな偉そうなことは言えず、どこまで書けてるのかもピンときてはいないのだが、パラシュート部隊の上陸作戦の描写は知識がなくとも面白く読んだ。

またこの時、青山さんが過半数をとったにも関わらず、3作品で決選投票になっている。そりゃ宮城谷さんも作品の詳細には触れず、選考の経緯に重きを置いて話すわけである。この深緑さんの『戦場のコックたち』は簡単には手放しがたい、それほどの魅力をもっているのだ。この作品が受賞を逃したのはつくづく残念である。

また選考会では、私がそんなに重要視しなかった「戦争」について熱く議論していたようである。
この議論はすごく大事だと思う。「戦争」という非常にナイーブなテーマを扱う以上、避けては通れない問題である。
その議論の詳細については記事にはなっていなかったが、私は深緑さんがこの「戦争」というテーマに誠実に向き合っていたと感じている。
作品として、戦争の悲劇をここに書き留める!のように真正面からとらえてはいないものの、本当に誠実だったと思う。

小説はボーダーレスなんだし、あらゆる実験的なことがなされてもよいと思う。アメリカ人では書けないことを日本人が書けることだってあるはずだし。
「ラストサムライ」(映画)なんて、作品自体がいい悪いは別として日本人の視点からじゃ撮れない。そして結果的に成功している。
ぜひ深緑さんには世界に羽ばたいてもらって、こんなくだらん議論をせせらってほしい。

 

とにかくこの作品は欠点も大いにある作品だとは思うが、熱く語りたくなる良作である。

最近、深緑さんの作品を直木賞選考で見かけないが、再びすばらしい作品をひっさげて候補に挙げられる日を首をなが〜くしてお待ちしております!