幸と不幸と現実と 37 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

この物語は『半フィクション』です
どれが現実でどこが妄想なのかは
読み手であるあなたが決めてください
この物語は1996年から1997年の
あもんの記憶の中の情報です
現在の情報とは相違がありますので
ご理解ご了承お願いします



『すみません。大空沢の入口ってどこっすか?』
あもんは漁網を手入れしているおじさんに聞いた
『ああ、そこじゃ』
島人であるおじさんはそれ以上の事は言わなかった
仕事が忙しかったのか、単にシャイなのか、それとも大空沢のことを語りたくないのか
良く分からなかったが、あもんはお礼だけを言っておじさんの指を差す入口に向った
入口と言っても入口では無いような気がする
そこは海につながる川の出口で、川と言っても水は流れていない
大きな転石が広がる水の無い川のようであった
しかし目の前には遠く利尻富士がそびえており、利尻富士からここまでは繋がっていると確認できる
昨日出会った彼の山岳地図でもこの辺だし、さっきのおじさんが嘘をついている様子では無かった
『とりあえず、行ってみようか』
『うん』

あもんとミクねぇは水の無い川を利尻岳に向って歩き始めた


大空沢の道は大きな転石だらけだったので足跡なんて有るはずもない
規則的な階段を歩くのとは違い、不規則に並べられた転石はとても歩きづらい
歩きづらい道は体力の消耗を早める結果となる
だが、川である為、視界は常に開けており、常に利尻富士がこっちを見ている
道案内は無かったけれど、利尻富士が“こっちだよ”と言っているようだったから、不安はなかった
それがあもん達の道しるべとなっていた
川にとって終りは河口、つまり海
始まりは水源、それは山の麓にある
終りがあるならきっと始まりはある
始まりから歩き始めた時は終りがあるかどうか分からない
しかし、終わりから辿っていけば、必ず始まりはあるはずだ
海へと流れる始まり、そこに万年雪がある
その意志があもんとミクねぇの一歩の力となっていった





『やべぇ、足が震えて来た』
『あもん君も?私も…』

歩き始めて30分弱ぐらいだろうか、あもんの足が震え始めた
疲れ切った足腰なのか、先の見えない恐怖感からなのか
どちらも正解の様な気がしたが、それを言ったらこの道を諦めるきっかけとなってしまう
そう思ったあもんはそれ以上足の震えについては話さなかった
あもんは適当な流木を2本見つけミクねぇに1本渡した
『ちょうどいい杖になるじゃん。これ使って行こうぜ』
『ほら、徐々に川幅が狭くなっていっとるじゃろ。麓に近付いとる証拠じゃけん、徐々に利尻富士も近付いとるけん』
『うん、そうやね』

あもんに恐怖感はあったが、絶望感は全くなかった
今までの経験がそうであったように、諦めた時に全ては終わる
逆にいえば、諦めさえしなければ、全ては終わらない
そして恐怖は克服できるが、絶望は乗り越えることはできない
絶望を始めたら後は堕ち朽ちて行くだけだ
あもんは利尻富士をまた見上げた
利尻富士は“おい!あもん!どうした!”と言っていた




相変わらず視界に広がるのは転石と利尻富士だけだった
この時からあもんは時折、転び始める
転び立ちあがり、また転び立ちあがり、何度もそれを繰り返す
繰り返すうちに少しずつ利尻富士は大きくなっているように見えた
しかし、繰り返すうちに意識が遠ざかっているようにも感じた
『あもん君、大丈夫?』
とミクねぇが話しかけてくれていたのは分かったが、あもんに返答する余裕はない
意識が徐々に無意識に変わって行ったからだ
“ここはどこだろう?”意識の断片でそう思うようになった
相変わらずの転石がここは利尻島だという意識を奪って行く気がしてきた
意識は無くなれど、意欲はある
それが今のあもんの全てだった
無意識はやがて存在を忘れさせるようになった
しかし、あもんは今、確かに歩いている
意欲を持っているだけで、歩くことができている
あもんはまた、転んだ。そして立ちあがった



『あもん君、見てみぃ』
ミクねぇは立ちあがったあもんの顔を両手でつかみ、あもんの顔を道の奥に向けさせた
『おおおお!白いじゃん。白い川があるじゃん』
あもんの意識はそこで一瞬にして戻った
見通すとそこには利尻富士の麓に挟まれた白い雪で作られた川があったのだ
『あははは!やっぱ間違ってなかったんじゃ!』
『そうやで、あもん君は間違ってなかったんやで』

あもんは思わず走り出した
走り出したが、雪の川は少しも近くならない
あもんはまた転んだ
『あもん君、ゆっくり行こ。ゆっくりでええねんで』
『うん』






それからの道のりも相変わらず転石だらけの道だった
ここからの道のりは今までの倍以上の時間がかかった
しかし、水の無い川に少しずつ水が流れているのに気付き
水の音が徐々に大きくなっていった
気温も少しずつ下がっているようだったが、あもんの体温は逆に上がって行った
信じて歩いていた道に信じたモノがある
何度転んでも信じていたモノは待ってくれている
その現実があもんにとって興奮源のひとつだったからだ
そして、隣にはミクねぇがいる
今回は多くを語らなかったが、言葉など必要はない
一緒に信じたモノを感じられればいいのである
歩き始めて3時間後、あもんとミクねぇは万年雪に出会った









『あはは!雪だるま作ろうとしても、作れんわ!』
あもんは大はしゃぎだった
この時期の雪はさすがに水っぽく、雪だるまは作ることはできない
さらにこの雪を歩くことは少々危険だ
あもん達はここから先に行くことは止めた
ここまで来ただけで、得られたモノは十二分にあったからだ
『あもん君、はじまり、見つけたよ』
そう言ったミクねぇがずっと見つめていたのは“雪融けの水”だった
そこでは万年雪の先からポツリポツリと水滴が絶えず落ちていた
それが直ぐ下の水たまりに落ち、水たまりは小さな出口を作っていて、水は小さな川として下に流れていた





ゆっくりとゆっくりと“はじまり”は続いていた
万年雪は決して融けない雪では無い
ゆっくりとゆっくりと融けている雪なのだ
そして融けきらないうちにまた雪が降り積もり
万年続く雪となっているのである
『いつから始まったのかな?』
『何万年前から始まっているよ』
『いつまで続くのかな?』
『きっと何万年先まで続くよ』
『これが命のはじまりなんだね』
『ああ、これが命のはじまりなんだ』
『何万年も続く命のはじまりなんだ』

あもんとミクねぇは命のはじまりを手で掬い、ゴクリと飲んだ





キャンプ場に帰り、数日前に浜辺で拾った利尻昆布を使って味噌汁を作った
味噌汁を飲んだ二人は早々にテントに戻り、眠りに着いた



次の朝、夜明け間に目が覚めた
テントから出るとミクねぇが座って利尻富士を眺めていた
『ミクねぇ、寝てないの?』
『ううん。ちょっと早く起きただけ…』
『そう、なら良かった。コーヒー入れようか?』
『うん』

あもんとミクねぇは暗闇の中、利尻富士を見上げた
『あもん君、私ね。はじめようと思ったの』
『え、何を?』
『今からよ』
『今から、“幸せ”をはじめようと思ったの』
『今まで不幸だったんだから、いいでしょ。幸せはじめたって』
『ああ、全然いいと思うよ。はじまりは何度迎えてもいいもんだ』
『あもん君は今から何をはじめるの?』
『とりあえずは、また北海道旅をはじめるかな』
『もう、何度目?』
『何度だっていいんだ。何度、はじまってもいいんだ』
『ねぇ、あもん君、北海道から出る時、ウチに来なよ』

と言ってミクねぇは札幌の住所を書いたメモをあもんに渡した
『えっ、うん。分かった』





『ほら、はじまったよ』
とミクねえは利尻富士を指差した
指先の向うには今日の始まりである朝日があった





続く