長崎市を歩く19~広島人であるから、長崎で感じたかった!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2017年9月17日

 

2017年現在、あもんは旅歴25年となった

その旅歴の中で、長崎県旅を思い出してみると

1994年、熊本から天草5橋を渡り長崎市でちゃんぽんを食べた

1996年、五島列島の福江島に渡り、福江ねぶたに参加した

1997年、再び五島列島の福江島に渡り、福江ねぶたに参加した

1999年、壱峻島へ渡り、麦焼酎を飲んだ

2000年、対馬へ渡り、韓国を遠望したかったが、できなかった

2005年、オランダ坂を登った後に軍艦島へ向かったが、この時は上陸禁止だった

という長崎旅歴である

ここで、あもんは、思いました

『広島人でありながら、長崎の原爆のことを学んでいない!』と

“大人になってからの平和学習”を始めた頃から、いつか長崎市を歩きたいと思っていました

“戦争で同じ想いをした町”を歩き、あもん流の平和学習を行いに長崎に来たのであります!

194589日 午前112

広島原爆投下の3日後、長崎に原爆が投下されました

 

その爆心地に辿り着きました

今日の雨もあの時の涙なのでしょうか?

爆心地より少し歩き、まずは【長崎原爆資料館】で学びます

 

 

『それは、長崎の運命だった』と言ったら不謹慎でしょうか?

ポルトガル船の来航により日本の貿易港となり

明治時代近代化の先駆者として造船の町となった長崎

その町が日本国の戦争に巻き込まれていったのは運命だったの?

 

 

あの日、原爆を搭載したB29は、長崎上空に侵入するも、最初の標準点であった長崎市中心部の常盤橋付近を雲に遮られ、確認が出来なかったそうです

燃料切れによる墜落の恐れからも帰還も検討していたと言います

 

しかし、この時の爆撃手は2つの工場の中間に雲の切れ間を見つけました

その雲の切れ間を狙い原爆は投下されました

 

広島に投下された原子爆弾の呼称はリトルボーイ

重量は約4トン、爆発威力は約1.5万トンです

対して、長崎に投下された原子爆弾の呼称はファットマン

重量は約4.5トン、爆発威力は約2.5万トン

広島原爆の結果全てを知らぬうちに、日本国の降伏が届かないことを理由に

長崎には広島以上の原爆を落とされてしまいました

原爆がさく裂したのは松山町交差点上空580

その0.2秒後に火球は半径200mとなり、表面温度は79000度に達し、強烈な熱線と放射線が四散しました

轟音と共に直径3000mに渡る竜巻が発生

火球は虹色と紫、オレンジ、赤と次々に変容し、高度7500mで白いきのこ状に膨らみました

 

 

原爆被害は広島が約14万人に対して長崎が約7.4万人

当時の人口は広島が約35万人に対して長崎が約24万人

被害比率が長崎が少ないのは多分、山に囲まれた地形だったからでしょう

爆心地となった浦上盆地の工業地帯は壊滅しましたが、行政や商工業の中心部であった中島地区は丘陵によって爆風と熱線の破壊から保護されました

 

一方、丘に挟まれた地形によって凄まじい爆風は南に吹きおろしたそうです

丘に囲まれた狭い地形で、広島を上回る威力の原爆を投下されたので、爆発力は広島以上だったのではと予想されます

 

 

 

 

アメリカ軍の長崎原爆投下までの年表が掲示されていました

 

17都市の候補の内、なにゆえ広島と長崎となったのか、誰かハッキリと教えてください!

2回目標検討委員会で長崎は設定から外れています

何ゆえ、長崎に原爆が投下されたか、誰かハッキリと教えてください!

8月8日では長崎は第2目標で設定されています

何ゆえ、小倉から長崎に方向を変更したのか、誰かハッキリと教えてください!!

“戦争が国にとって必要なコト”とは、国が教えてくれたので分かっていたつもりですが

何ゆえ、ここまでの悲劇を経験しないといけないのか、誰かハッキリと教えてください!!

“何が正しくて、何が誤っているのか?”そんな疑問を持つことさえ忘れてしまっていたこの時代に

何ゆえ、ここまで痛いおもいをしないといけいないのか、誰かハッキリと教えてください!!

誰か!

ハッキリと!!

教えてください!!!

 

でもね、

誰も、ハッキリとは、教えてくれませんよ

 

ハッキリとするためには

平和学習を行った自分自身が

感じて、行動して、気付くしかないのです

みなさん!

どうか『大人になっての平和学習』を行ってください

負の遺産を受け継いでいるのは私たちです

今後生まれてくる赤ちゃんに伝えるのも私たちです

あもんが少年の頃に見たケロイド跡の老人はもう見ることができません

命を削ってまで創ってくれた負の遺産は日本国にとって宝物です

負の遺産を後世に残すことが私たちの使命です

そしてそれが世界恒久平和への道のりなのです

 

あもん詩集~ティーンに捧げる宝物~より

 

『負の遺産に花を』

 

あの人たちは戦った

疑うことを忘れて戦った

母国のために 愛するひとのために

そして なくなった

………

………

 

生まれ変わろう

新たなる意志は鍬を持たせた

おなかいっぱに食べよう

新たなる夢の種を蒔いていった

そして いつか

原野に咲く 花が見たい

………

………

 

やがて種は捨てるほどに育ち

原野に咲いた花は遺産となった

………

………

 

そして いま

正と負があるように

創られたものの下には壊されたものがある

美しきものの裏には卑しきものがある

イエスとノーがあるように

満足の数が増えるほど夢の数が減っていった

空を飛ぶために踏ん張った靴の底で一厘の花が倒れていった

………

………

 

だから もういちど

負の遺産に鍬をいれておくれ

あの人には咲かせられない

僕にだって咲かせられない

君たちだけに咲かすことが出来る

新たなる花を

そしてこの詩の続きを綴っておくれ

 

未来は君たちのためにあるのだから

 

 

続きます