ピカドン | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

2010年8月 記


広島に原子爆弾が投下された時刻

1945年(昭和20年)
8月6日 午前8時15分


広島の原子爆弾による昭和20年末までの死者数

約14万人


ピカドン
誰も知らなかった
子供たちの原爆体験記




$あもん ザ・ワールド



本書は2000年に広島県広島市己斐小学校の倉庫から
約50年ぶりに発見された作文集『原爆の思い出』をもとに編集したものである
文集は5~6年生の児童が4~6歳だった被爆当時の思い出を書いた作文からなっている
敗戦からの数年間、占領軍は広島長崎の被爆の実相を隠し続けた
被爆の発言や出版が困難な時代であった
そんな時代に綴ったこの文集は
今の我々のために封印されていたのである





人格を形成していく小学生の頃
恐ろしい体験をした子供にとって
原爆が落とされた真意など知る由もないであろう
ただただ目の前の現実を見つめ
震える記憶を植え付けさせてしまった


戦争はまず子供たちに恐怖の思い出を作らせてしまう
大人達に子供たちの楽しい思い出を奪う権利はないものであるのに




この文集に『平和』という言葉が綴られていることに驚きを隠せない

太平洋戦争1周年記念に公募された『国民決意の標語』で
有名となった入選作品の一つがある
“欲しがりません 勝つまでは”
この言葉は当時小学校5年生の子供が綴った言葉である
敗戦が濃厚となった終戦間際に
“鬼畜米兵”“一億玉砕”“神州不滅”などのスローガンが小学生達に教育された
そして、終戦の6年後に出来たこの文集で
“平和”という言葉が小学生によって綴られている



事実を隠し、誤魔化しを伝えた大人達
選ぶことのできない教科書で
子供達は大人達の為に成長していった時代であった
だが、現代は
大人達が子供達の為に成長していかなければいけないのである





己斐という町は爆心地から2~5Kmの距離である
当時の賢明なる消火活動の結果
中心地のような延焼にはいたらなかったみたいだ
この文集で彼女は
『私は幸せだ』と綴っている
今、命があることの有難さを伝えているのだと思われるが
命がありながらも被爆体験を語れない子供達も少なくはない
本当の恐怖は思い出したくないものである


『忘れよう、忘れよう』と念じている被爆者は多くいる
よって真実はいまだに全ては語られていないのである

現在では90歳を超えた当時の小学生


今もあの恐怖の記憶と闘っているのは事実でもある


『忘れるな、忘れるな』と唱える非被爆者も多くいる
あもんもその一人である
平和学習をしていくうちに
あもんはひとつの葛藤にぶち当たったのも事実である


戦争は
人の生涯を苦しめるものである


しかしこの文集で彼女は
『原爆で灰になった広島の町は平和になった』と綴っている
それも間違いなく事実でもある