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本日は旧暦では5月1日ですが、宣化天皇元年五月一日に「食は天下の本」との詔がありました。

※暦は何度も改暦されていますので単純に旧暦にあてはめています。

 

食は天下の本、黄金が万貫あれど飢えは癒せず、真珠が千箱あっても凍えは防げない。
筑紫の国は遠近の国々が朝貢してくるところ、往来の関門とするところである。外つ国は潮の流れや天候を観測して船を出し貢を奉る。
応神天皇(第十五代)の御世から今に至るまで、籾種を蓄え凶年に備えてきた。
賓客をもてなし、国を安んずるにこれに選るものはない。
我も阿蘇君を遣わし河内国茨田郡の屯倉の籾を運ばせる。
蘇我大臣稲目宿禰は尾張連を遣わして尾張国の屯倉の籾を運ばせよ。物部大連麁鹿火(あらかい)は新家連(にいみのむらじ)を遣わして新家屯倉の籾を運ばせよ。阿倍臣は、伊賀臣を遣わして、伊賀国の屯倉の籾を運ばせよ。
官家(みやけ)を那津(なのつ:博多)の口(ほとり)に建てよ。
また筑紫・肥国・豊国の三国の屯倉は離れ隔たり、急に備えること難し。
諸郡に命じて分け移し、那津の口に集めて、非常に備えて民の命を守るべし、早く郡県に下令し朕の心を知らしめよ。

「歴代の天皇で読む日本の正史」より


この詔はこの-三年前、宣化天皇の前の天皇である同母兄の安閑天皇が、天下の歓び・・・五穀豊穣こそ国の基本 との詔を出され関東から九州まで屯倉を大量(30カ所以上)に設置し、それに伴いその守衛のための犬養部も設置されたことをさらに補強したものだといえます。

屯倉と官家はともに「みやけ」と読み、稲穀を納める官の倉という意味です。また大和政権直轄の田畑で自ら畿内に開発したものや、地方に設定して中央から管理者を派遣して管理したものなどもいいました。

 

 

 

古代の頃の天皇の業績をみると、宣化天皇、安閑天皇だけでなく多くの天皇が屯倉の設置を各地に増やしています。


なお宣化天皇の父君である継体天皇は、帝王自ら耕作し后妃自ら養蚕する詔を出されていますから、宣化天皇は父君が詔されたことを兄君ともに補強されたことにもなります。

 

 

安閑天皇は、皇后のために屯倉の地に宮殿を建てるよう詔をされており、古来宮殿が田畑と共にあった事を物語っています。考えてみれば、神武天皇に始まる古来より天皇はずっと平野に宮を設けてきており、それは田畑とともにあるためであったのかもしれません。仁徳天皇などの難波の宮や南朝の宮以外は、全て平地に宮があり、もしかしたら都が大きくなる以前の宮とは田畑、稲に囲まれてあるのが本来の日本の宮、宮殿の姿だったのではないかと奈良の古の都を見るにつけ考えるようになりました。都が大きくなりそれも叶わなくなりましたが、昭和天皇は現在の皇居に田を造られ稲を育てていたのは御存知の通りであり、上皇陛下、そして今上陛下へと引き継がれていらっしゃいます。

 

天皇陛下の今年の種もみまきとお田植え

 

 

 

天智天皇の百人一首の一番歌は天皇が稲刈りを歌った歌から始まります。

 

秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ

 

この歌は、天皇自ら稲刈をしたから露に濡れた歌だと『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』にあります。だからこそこの歌は一番の歌なのです。それは稲穂の国の天皇として当たり前のこととして藤原定家が選んだというのです。

 

我が国は、三代神勅の一つ「斎庭(ゆにわ)の穂の神勅」に象徴される稲穂の国です。その斎庭の穂の神勅とは、

「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の稲穂を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」

これは天照大神が穀物を人々の主食と定め天上(高天原)に設けた田畑の稲穂を地上にもたらすよう命じたものです。

 

 

このような成り立ちの神話を持つ我が国であるからこそ、稲をはじめとする穀物が大切にされ、そのためのお祭りである祈年祭や神嘗祭、新嘗祭に真剣に取り組んできました。

 

祈年祭は、一年の五穀豊穣を祈るお祭りで春に行われ、その対となる神嘗祭と新嘗祭は秋にその年の収穫に感謝するお祭りで、元々は神嘗祭と新嘗祭は同じ日に行われていたものが別れたものです。


新嘗祭はいつ始められたのか分からないほど長い間続けられてきたものです。どのぐらい古いかということは、その神饌の御供えに表れています。新嘗祭は天皇陛下が自ら行われるお祭りですが、このお祭りでは陛下が神嘉殿の神座に天照大御神の御霊をお招きして、米、粟をはじめとする穀物の今年の出来を奉告、感謝し、また新穀で作ったご飯やお酒を陛下が御自身で天照大御神のにお供へになり、且つ又ご自身でもお召し上がりになる、神秘的な儀式です。

 

神様へお供えするものを神饌といいますが、その神饌は古代の食事そのものとなっています。そしてその神饌が盛り付けられる容器には、柏の葉を何枚も重ねて作られた平皿「平手(ひらで)」、小鉢型の「窪手(くぼて)」、またお酒を供へる「平居瓶(ひらいかめ)」などが使用されます。

 

写真のAが平手、Bが窪手で両方とも柏の葉で作られたもの。國學院大學の冊子から。

写真の模型は國學院大學内の美術館にあるもの。トングのような形のものは古来の箸です。


大切なお祭りには最上最高のものを使用します。つまりこのお祭りが始められた時、この神饌の器が当時最上最高の器であった事を意味します。ということはこれはお皿ができる以前から続けられてきたお祭りであるということになります。日本で最古の土器といえば縄文土器ですが、縄文土器の草創期は16000年前とされています。つまりそれ以上前からつづけられてきたのが宮中祭祀でありそれを司られた御歴代の天皇ということになります。


神話は計り知れないほど大昔の人々の物語を神に例えて伝えたものといわれますが、宮中祭祀は元々は天照大神が高天原で行われていたお祭りであることが記紀の須佐之男命が高天原で暴れる箇所からわかります。このお祭りを、天照大神の地上に降りたその御子孫である天皇が続けられてきたのです。器の起源から考えてみれば、神話となるほど大昔から続けられ伝えられてきたということがとても分かりやすく表れているのではないかと思います。


私達は現在葉っぱのお皿などは通常使用していません。しかし例えば五月五日、端午の節句の日には柏餅を供えます。柏餅は柏の葉に包まれているお餅です。この習慣ができたのは江戸時代、九代将軍家重から十代家治の時代の頃、江戸で柏餅が出来たことによります。柏の葉は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついで端午の節句に柏餅を供えるようになったものです。そしてこの文化は参勤交代により日本全国に行き渡っていきました。この江戸時代に広まったお餅により、私達は普通は見ることのできない宮中祭祀での神様に供える神饌の香りを垣間見ることができます。


仁徳天皇のエピソードには、皇后の磐の媛が紀国に出かけた話がありますが、この紀国へ出かけた目的が御綱柏(みづなかしわ)を採りに行くためであったことから、皇后自らが器を用意されていたことがわかります。

 

 

食が天下の本であるからこそ、古来から稲作に励み食に対して真剣に取り組んできた国が我が国であり、宮中祭祀や日本全国の神社でお祭りされている祈年祭や神嘗祭・新嘗祭に形として残り伝わっているのです。そうしたことをしっかり知り広めることは我国の食のあり方を考える上でもとても大切な事だと思いますし、機会がある度に考え伝えていくべきなのは、なにか事が一度起これば食に影響することは現代でも変わらないことだからです。私たちは、そうした現実を自然災害等が起きるたびに目の当たりにさせられ、ウクライナ侵攻により、世界中で食糧危機がいわれるようになり、最近問題となっている過去に存在しなかった昆虫での昆虫食など異常なものも登場しています(日本を含め世界各地に昆虫食はありますが、食べられてこなかった昆虫には意味があるでしょう。そうした昆虫を使用した昆虫食は異様です。)だからこそ、食に対して考え続けることは、現在またこれからの未来の多くの問題の解決に結びつくはずです。そしてその時にまず考えることは、過去に例のない昆虫食などという異常なものより、基本に立ち返ることが大事でしょう。つまりは、我が国では神話の時代から伝えられえてきた農業です。

 

テレビ番組やネットでは、グルメレポートや料理関連のものがたくさんあります。コロナ禍以降、ネットや動画配信での料理関連がさらに増えて当たり前になりましたが、つまり究極最後は食の充実こそが幸せの源であるということの表れではないかと思います。ひところ、大食い番組の人気がありましたし、今でも大食い競争があったりしますが、あれほど無駄で醜い行いはありません。そして巨体のグルメレポーターを見るたびに、このような不健康な生活をさせていることに疑問を持ちます。有名な巨体のグルメレポーターの若い頃の姿が今と全く違うことを知っているからです。もったいなくて不健康なことは、もう止めた方がいいのではないですか?

 

ちょっとうれしいニュース、先日ありました↓

農林水産省は30日、2024年産主食米の作付面積について、4月末時点の都道府県別の意向調査結果を公表した。11道県が前年と比べ増加傾向と回答し、前回1月末時点の調査から6県増えた。宮城や福島などが前年並みから増加に転じた。農水省の担当者は「足元のコメの需要が堅調で、生産を増やす判断をした」と指摘した。

秋田や新潟など25都府県は前年並み、岡山など11府県は減少傾向と回答した。兵庫が前年並みから減少に転じた。全体としては大きな増減がなく、前年並みになるとみられる。

前回調査から増加に転じた地域はコメどころの東北や、北関東に多かった。インバウンド(訪日客)の増加を背景に外食用などが伸び、コメの価格は高めで推移しているという。

能登半島地震の影響で前回は調査対象に含まなかった石川は、前年並みと回答した。

 

しかし、ここ24年で農業従事者は半減しているニュースが翌日にありました。上記記事を考えるとその一因に農水省の意向も影響していることがわかります。

政府は31日、2023年度版の農業白書(食料・農業・農村の動向)を閣議決定した。気候変動や国内の生産者の急減を受け、食料安全保障の確保は「歴史的転換点に立っている」と強調。29日に成立した改正食料・農業・農村基本法に基づき、国民一人一人に安定して食料を届けるため、国内の生産拡大などによる供給基盤の強化が重要だとアピールした。

冒頭の特集では、初改正となった基本法が「良質な食料を合理的な価格で供給すること」を掲げていると説明。ロシアのウクライナ侵攻による穀物供給の不安定化や、世界的な人口増加による調達の競争激化を挙げ、法改正の経緯に言及した。

白書によると、日本で農業を主な仕事にする「基幹的農業従事者」の数は、00年の約240万人から23年には約116万人に半減した。うち60歳未満は約2割の24万人程度にとどまり、高齢化が深刻となっている。農家の担い手確保や生産性向上は急務だ。

 

 

 

最後に・・・

お店にもよりますが、柏餅は6月中旬ぐらいまで販売されています。きっと、旧暦五月五日ぐらいまで柏餅は店頭に置くということなのではないか、と考えています。柏餅を食べたくなったら、和菓子屋さんに確認してみてください。なお、今年気が付いたのですが、柏餅の葉に柏の香りがないものがあります。消毒され過ぎたのかどうか香りが消されていたのです。私は子供の頃この柏の葉の香りが好きではなくて、柏餅が苦手でした。しかし、今ではこの柏の葉の香りがあるからこその柏餅だと考えています。桜餅もそうですよね。だから、柏の葉の香りのない柏餅なんて柏餅ではない!と思えてがっかりでした。和菓子屋さんの柏餅で、何も考えていなかったのですが、たぶん輸入の柏の葉なんだろうと思いました。香りのない柏の葉は、ビニールの葉のように味気ないものです。柏の葉も輸入しなければならないのかと思うと残念でなりませんし、食は天下の本、ということからもやはり柏の葉も国産の香りがきちんとあるもので作ってほしいものだと考えます。

 

 

 

 

 

 

最後が「いただきます」と「ごちそうさま」の和歌で終わる「豊葦原の瑞穂の国」、とても美しい歌です。流石神職である歌手 涼恵さんが作られた歌です。君が代もとても美しい。

 

「いただきます」と「ごちそうさま」の祈り、和歌は本居宣長が詠んだもの

 

 

 

 

 

 

 

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