様々な分野に詳しい子供達が登場する「博士ちゃん」が好きでTverで良く見ているのですが、その中でもよく登場するお城博士ちゃんの栗原響大君のファンです。栗原君に教えられることも多いのですが、その中に食べられるお城というのがありました。

 

栗原君の魅力がわかる動画\(^o^)/

 

そうしたら、『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』にも書かれていました。本書の第三章は、「お城にはなぜ松が植えられているのか」というタイトルになっていて、「植物を戦いに利用した戦国武将」という副題がついています。

 

松といえば、日本ではおめでたい樹木として有名です。松竹梅や、松に鶴、そして神社など神聖な場所にも松があったりとしますし、不老長寿のシンボルともなっています。縁起の良いものとしてお城に松があるのは自然なことのように思えます。

 

しかし、松があるのはそれだけではなかったのです。

 

お城というのは、いざという時には戦う場所となります。防御的機能を持った軍事施設としてあります。戦国時代について知ると、籠城などというのが何度も登場しますが、そうなると兵糧攻めなども行われる食料が絶たれたりもする場所でもあります。お城にはもともとも水や食料の備えがあるものです。井戸を掘り、米や塩を蓄えていても長期間になれば、それも減る一方となります。

 

そこで、非常食となるのが松です。松の木の皮を剥くと白い薄皮があり、この薄皮は脂肪分やたんぱく質を含んでいます。この皮を粉にして米を加えて餅にしたのです(松皮餅)。

 

また、松の木は樹脂を多く含んでいますので、この脂分を燃料にし、さらに止血薬としても使いました。

 

そんなわけで、松の木は軍事用の植物として城に欠かせないものだったのです。

 

軍師として有名な黒田官兵衛の息子、黒田長政が築いた福岡城では、多聞櫓が現存しているそうですが、この櫓の壁材は竹で編まれているそうです。櫓は「矢倉」というだけに弓矢などの武器庫としてありました。戦の時は、壁材の竹を利用して矢を造るようにもなっていたといいます。しかもこの竹を編んだ紐がただのひもではなく、干したワラビで竹を編んでいました。つまり干しワラビを水に戻して食料にすることもできたわけで、緊急時の食料としてワラビを隠していたのです。

 

お城の中には、梅園がよくあるそうです。これも梅が携帯食や携帯薬になる重要な戦略物資になるためでした。梅干しは万病の薬といわれていて、食中毒の予防や負傷した場合の殺菌や消毒にも用いられましたから、必需樹木だったわけです。

 

上杉家の軍記『北越軍談』には、「城中にかねて植えおくべき草木のこと」という項目があり、「まつ、くり、えのき、うめ、あおき、くわ、茶、ところ、山芋、かぶら、しょうが、大根」など多くの植物が記されているそうで、さらに「食用になる草木を植えるのを心掛けよ」ともあったそうです。籠城となれば、外部からの物資の供給が遮断されますから、食料はもちろんすべてのものを城内で賄えるようあらゆるものを植えたわけです。ここには、植えるべきものとして「渋柿」も記載されていたそうです。渋柿は干し柿にすれば、甘味のある栄養豊富な保存食になるからで、干し柿は戦国時代の兵糧食としてよく用いられたそうです。

 

現在、ウクライナ侵攻により、ロシアへの制裁処置が行われていますが、これは言葉を変えた兵糧攻めだといえばわかりやすいのではないでしょうか。

 

こうした多くの城がある中で、特に籠城に備えた城として建てられたことで有名なのが熊本城です。熊本城といえば加藤清正です。加藤清正は、明出兵として朝鮮半島に赴いたとき厳しい籠城戦を経験したため、こうした築城になったといいます。畳の芯には藁の代わりに里芋の茎であるズイキと呼ばれる保存食を使い、土壁のつなぎとしても藁ではなくズイキを使用しました。また壁にはユウガオから作った干ぴょうも練りこんだといいます。また、熊本といえば辛子蓮根が有名ですが、これも熊本城の堀に非常食として栽培していたもの。熊本城はいたるところに救荒食が隠された食べられる城だったというわけです。

 

こちらの最後の方にも、熊本城内の案内で食べられる城が出てきます↓

 

 

お城には食べ物だけではなく、建築材料となる杉が外部からの視界を遮る目隠しとして植えられました。ヤダケと呼ばれる笹は、槍や弓矢の材料として植えられました。

 

熊本城には楠がたくさん植えられています。楠は常緑広葉樹で水を多く含んでおり、燃えにくいため防火用として植えられていました。姫路城にはタラヨウがたくさん植えられていますがタラヨウも常緑広葉樹で、やはり防火用として植えられたものと考えられています。

 

お城の中にあるものは、樹木にいたるまで全て意味があったわけです。

 

水戸の偕楽園といえば梅が有名です。偕楽園は幕末の大名である徳川斉昭によって造園され、梅が約3000本植えられたそうですが、平和な時代であっても軍事用として植えられました。いつの時代も備えておくにこしたことはありません。

 

そう考えると、多くの田畑を潰し、多くの水源や土地を外国資本に売り渡し、国内でできることをどんどん海外に持って行き、それでなくとも資源の少ない我が国でできるものまで手放している我が国の無防備さを恐ろしく感じます。

 

一方でウクライナ侵攻により、そうした危うさに気づく人が増えているから、本屋で『民間防衛』のコーナーができているということなのかもしれないとも考えています。

 

 

 

 

 

 

 

鎮守の森や生け垣は、防災施設としての機能も併せ持つ↓

 

 

2年前のこの時期、なにを言おうとしていたのか・・・

 

3年前の今日は、『TWO WEEKS』の公開前でワクワクしていたんだよね。

そして『日本製』で取材したプラスアクトの宣伝も。

4年前は単発ドラマの番宣もしていました。今となってはこのドラマに対しても色々言われていますが・・・。

 

 

 

 

 

 

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