先週の25日、天皇陛下がお田植をされたニュースがありました。昨年は上皇陛下がお種まきをされて、田植えと稲刈りは天皇陛下がされ、まさに引き継がれた形となりました。そして、種まきの最初から天皇陛下がなされるのは今年からとなりました。
テレ東NEWS
これは「お田植え」と呼ばれる毎年恒例の行事です。
先月陛下が種まきをして育て30センチほどになったうるち米ともち米の苗を手際よく植えられていました。
お田植えは先週の予定でしたが雨で今週に延期されていました。
稲刈りは秋に予定されていて収穫されたコメは新嘗祭など宮中祭祀に使われる予定です。
お田植えは日本の農業振興などを目的に昭和天皇が始められ上皇陛下
天皇陛下が自ら育てた苗を植えるのは初めてです。
※赤字訂正は敬称もれを入れています。
あらみたま 🇯🇵 君が代ー我らはひとつ We are One & We will win@aramitama9
海外「皇帝の称号を持つ方なのに…」 天皇陛下が田植えを行う様子に感動の声が殺到 https://t.co/HBAwiEiSJ9
2020年05月28日 08:58
・ああいった行為は今こそ求められているものなのかも。 ドイツ
この中で、最後にあげたドイツ人のコメントは、こうした非常事態にこそ日常を繰り返すこと、日常的な行為が大切であることが古今東西変わらないことを表しているかと思います。天皇陛下が、春にお田植をされ、秋に稲刈りをされることをニュースで取り上げられることは、日本の毎年の恒例であり、天皇陛下がこのお田植の時期に、お田植の姿を私たちに見せてくださったことが、私たちに日常の大切さを示されてらっしゃるようにみえます。
今回、上皇陛下が東日本大震災のときに下されたようなお言葉がない、などと言う人がいるようですし、女性誌などでそうしたことが書かれているのを見ました。確かに全世界的な非常事態の中で不安な日々を送ってきたわけですが、とりあえず家に籠って不要不急な外出をしなければ感染は防げ、実際日本では防いで、被害をなんとか小さいまま緊急事態の解除がされたわけですから、世界中の感染がどんどん蔓延した国々の君主や世界中に信者のいる法皇とは違ったわけです。もしも、日本が他の国々ように、どんどん蔓延が広がり、不安が拡大していくようであれば、もしかしたら天皇陛下の御言葉が頂けたかもしれませんが、そうではなかったのでお言葉もなかったのだと思います。
天皇陛下の御言葉が必要となるような状態にならなかった日本は、本当にありがたい国ですし、お言葉はなくても陛下がお種まきやお田植をされ、日常を見せていただけたことは、お言葉の替わりになりうることだと思うのです。ちょうど春の時期でしたから、お種まきとお田植の両方、二度にわたって緊急事態時期に行われたというのも良かったのではないかと思います。私達日本人は本当に恵まれていると思います。
こちらは先月、陛下がなされたお種まきのニュース
テレ朝news
お種まきについてのニュースを話題にされる竹田恒泰氏の竹田恒泰チャンネル
この天皇が稲作をされるのは、近年の場合は昭和天皇から始まったものですが、我が国の神話では、天孫降臨の際に斎庭の稲穂の神勅が下されたように、皇室と稲作には深いつながりがあります。だからこそ、上記動画で、明治天皇の玄孫である竹田恒泰さんが、昭和天皇から始まったことに驚いたわけです。
斎庭の稲穂の神勅とは、神話で天照大神が天孫降臨される瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三大神勅と呼ばれる言葉を与えたうちの一つをいいます。なお残りの二つは天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅と宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅です。
斎庭の稲穂の神勅
吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の稲穂(いなほ)を以(も)て、亦吾(またあ)が兒(みこ)に御(まか)せまつる
これは「私が高天原で栽培している神聖な田の稲穂を我が子にお任せする」という意味です。
すなわち天皇陛下の御先祖である天照大神自らが高天原では稲穂を栽培されており、稲作が神話から続く伝統であることを物語っています。
我国は神様自らが働かれ、その子孫である天皇も働かれるという国であり、労働は尊いという国柄があります。そして、我が国では稲穂は神様、つまり御先祖様から授かった宝物であるということが神話で語られているのです。
そして、記紀で語られている神武東征、神武天皇が宮崎から奈良まで移動されるのは、稲作を教え広げる旅であったといわれるのは、稲作を教え広げるには時間がかかることから来ており、それが神武天皇の移動と一致していることからです。神武天皇は稲作を広げることで、人々を従えて行ったのです。世界中で、このような穏やかな「征」をしていく歴史を聞いたことはないと思います。神武東征と一言で表現しますが、戦うことが描かれるのは最後だけなのです。
そして民の竃で知られる仁徳天皇の時代は、その前後も含めて、水田造りを含めた大土木工事の時代でもあります。古代の大阪は現在の大阪と全く違った土地であり、今のようになったのはこの大土木工事を繰り返してきたからであり、その始まりがこの時代であったのです。そしてその副産物として、世界一大きい御陵ができることとなりました。私たちは仁徳天皇御陵と語る時、我が国の土地開発の歴史とセットで誇らしく思うべきものだと思います。
そして継体天皇の御代には、「帝王自ら耕作し后妃自ら養蚕する詔」を出されています。
男が耕作しなければ民は飢える、女が紡がないと天下は凍える、だから帝王は自ら耕作して農を勧め、后妃は自ら養蚕をして桑を与える時間を過つなかれ、まして百官(諸役人)から万人に至るまで、農桑を怠っては富栄えることは出来ぬ、天下に朕が意を伝えよ
つまり、この詔では継体天皇は自ら耕し、后妃は養蚕をすると語られており、役人を含め万人が働かなければ富栄えることは出来ないと語っていますから、天皇をはじめとする万人が稲作をされ皇后が養蚕をし働いていたことが確認できるわけです。
先日、皇后陛下が養蚕を引き継がれたニュース
テレ朝news