先週の25日、天皇陛下がお田植をされたニュースがありました。昨年は上皇陛下がお種まきをされて、田植えと稲刈りは天皇陛下がされ、まさに引き継がれた形となりました。そして、種まきの最初から天皇陛下がなされるのは今年からとなりました。

 


テレ東NEWS 
天皇陛下はきょう皇居内にある水田で田植えをされました。
これは「お田植え」と呼ばれる毎年恒例の行事です。
先月陛下が種まきをして育て30センチほどになったうるち米ともち米の苗を手際よく植えられていました。
お田植えは先週の予定でしたが雨で今週に延期されていました。
稲刈りは秋に予定されていて収穫されたコメは新嘗祭など宮中祭祀に使われる予定です。
お田植えは日本の農業振興などを目的に昭和天皇が始められ上皇陛下
さまも大切になされてきました。
天皇陛下が自ら育てた苗を植えるのは初めてです。

 

※赤字訂正は敬称もれを入れています。

 

このお田植については、翻訳ブログで話題になっていました。翻訳ブログを読んでいると、見当違いな書き込みをされていることが多くあり、それを楽しんでもいるのですが、たまに日本人以上に、日本を理解している書き込みもあって驚かされることがあります。今回は、以下の書込みが印象的でした。
 
・日本は幸運な国だと思う。だって、現代でも天皇の血統が続いてるんだから。どうか絶対にこの皇統を絶やさないでほしい。一度途絶えてしまったら、もう2度と戻ることはないんだ。中国がそうだったようにね。国籍不明
 
・日本人の農業に対する深い敬意が伝わってくるようだ。  農業への感謝を忘れないからこそ、日本は繁栄してるのだと思う。農業が国家を下支えしていることを知っているんだ。素晴らしい映像を、どうもありがとう。  スリランカ
 
・神様、Reiwa emperorをお護りください フィリピン(米在住)
 ⇒■ 元号と天皇を繋げて呼んじゃ駄目だよ。「天皇」が崩御した後にだけ、諡号としてその呼び方が出来るんだ。 中国系

 

・ああいった行為は今こそ求められているものなのかも。  ドイツ

 

この中で、最後にあげたドイツ人のコメントは、こうした非常事態にこそ日常を繰り返すこと、日常的な行為が大切であることが古今東西変わらないことを表しているかと思います。天皇陛下が、春にお田植をされ、秋に稲刈りをされることをニュースで取り上げられることは、日本の毎年の恒例であり、天皇陛下がこのお田植の時期に、お田植の姿を私たちに見せてくださったことが、私たちに日常の大切さを示されてらっしゃるようにみえます。

 

今回、上皇陛下が東日本大震災のときに下されたようなお言葉がない、などと言う人がいるようですし、女性誌などでそうしたことが書かれているのを見ました。確かに全世界的な非常事態の中で不安な日々を送ってきたわけですが、とりあえず家に籠って不要不急な外出をしなければ感染は防げ、実際日本では防いで、被害をなんとか小さいまま緊急事態の解除がされたわけですから、世界中の感染がどんどん蔓延した国々の君主や世界中に信者のいる法皇とは違ったわけです。もしも、日本が他の国々ように、どんどん蔓延が広がり、不安が拡大していくようであれば、もしかしたら天皇陛下の御言葉が頂けたかもしれませんが、そうではなかったのでお言葉もなかったのだと思います。

 

天皇陛下の御言葉が必要となるような状態にならなかった日本は、本当にありがたい国ですし、お言葉はなくても陛下がお種まきやお田植をされ、日常を見せていただけたことは、お言葉の替わりになりうることだと思うのです。ちょうど春の時期でしたから、お種まきとお田植の両方、二度にわたって緊急事態時期に行われたというのも良かったのではないかと思います。私達日本人は本当に恵まれていると思います。

 

 

こちらは先月、陛下がなされたお種まきのニュース

テレ朝news

天皇陛下、マスク姿で 即位後初の「稲の種まき」(20/04/14)
天皇陛下が上皇陛下さまから引き継いだ稲の種まきをされました。
天皇陛下は14日午後、マスク姿で皇居に入り、稲の苗となる種もみをまかれました。うるち米ともち米の2つの品種で、陛下は一粒一粒が重ならないようにして作業をされました。皇居での稲作は昭和天皇が農家の苦労を感じるために始めたものです。お代替わりのあった去年は上皇陛下さまが種まきをし、陛下が田植えと収穫をされていました。この米は陛下が田植えや収穫をした後で宮中祭祀(さいし)などで使うことを検討しているということです。
 

 

お種まきについてのニュースを話題にされる竹田恒泰氏の竹田恒泰チャンネル

 

この天皇が稲作をされるのは、近年の場合は昭和天皇から始まったものですが、我が国の神話では、天孫降臨の際に斎庭の稲穂の神勅が下されたように、皇室と稲作には深いつながりがあります。だからこそ、上記動画で、明治天皇の玄孫である竹田恒泰さんが、昭和天皇から始まったことに驚いたわけです。

 

斎庭の稲穂の神勅とは、神話で天照大神が天孫降臨される瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三大神勅と呼ばれる言葉を与えたうちの一つをいいます。なお残りの二つは天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅と宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅です。
 
斎庭の稲穂の神勅
吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の稲穂(いなほ)を以(も)て、亦吾(またあ)が兒(みこ)に御(まか)せまつる
 
これは「私が高天原で栽培している神聖な田の稲穂を我が子にお任せする」という意味です。
 
すなわち天皇陛下の御先祖である天照大神自らが高天原では稲穂を栽培されており、稲作が神話から続く伝統であることを物語っています。

 

我国は神様自らが働かれ、その子孫である天皇も働かれるという国であり、労働は尊いという国柄があります。そして、我が国では稲穂は神様、つまり御先祖様から授かった宝物であるということが神話で語られているのです。

 

そして、記紀で語られている神武東征、神武天皇が宮崎から奈良まで移動されるのは、稲作を教え広げる旅であったといわれるのは、稲作を教え広げるには時間がかかることから来ており、それが神武天皇の移動と一致していることからです。神武天皇は稲作を広げることで、人々を従えて行ったのです。世界中で、このような穏やかな「征」をしていく歴史を聞いたことはないと思います。神武東征と一言で表現しますが、戦うことが描かれるのは最後だけなのです。

 

そして民の竃で知られる仁徳天皇の時代は、その前後も含めて、水田造りを含めた大土木工事の時代でもあります。古代の大阪は現在の大阪と全く違った土地であり、今のようになったのはこの大土木工事を繰り返してきたからであり、その始まりがこの時代であったのです。そしてその副産物として、世界一大きい御陵ができることとなりました。私たちは仁徳天皇御陵と語る時、我が国の土地開発の歴史とセットで誇らしく思うべきものだと思います。

 

そして継体天皇の御代には、「帝王自ら耕作し后妃自ら養蚕する詔」を出されています。
 
男が耕作しなければ民は飢える、女が紡がないと天下は凍える、だから帝王は自ら耕作して農を勧め、后妃は自ら養蚕をして桑を与える時間を過つなかれ、まして百官(諸役人)から万人に至るまで、農桑を怠っては富栄えることは出来ぬ、天下に朕が意を伝えよ
 
つまり、この詔では継体天皇は自ら耕し、后妃は養蚕をすると語られており、役人を含め万人が働かなければ富栄えることは出来ないと語っていますから、天皇をはじめとする万人が稲作をされ皇后が養蚕をし働いていたことが確認できるわけです。

 

先日、皇后陛下が養蚕を引き継がれたニュース

テレ朝news

皇后陛下さまは明治時代から続く蚕の飼育を初めて引き継がれました。
皇后陛下さまは皇居で「御養蚕始の儀」に臨み、明治時代以降の皇后が取り組んできた蚕の飼育を引き継がれました。この儀式は飼育を始めるにあたり、神に祈るもので、皇后陛下さまはさらに、孵化(ふか)した蚕に餌(えさ)を与える「お掃立て」と呼ばれる作業をされたということです。去年は陛下の即位があり、この行事は行われませんでした。関係者によりますと、今年は感染症対策で泊まり込みで飼育する職員を減らしたことから品種を1つに絞ったということです。
 
今年の養蚕は一種に絞られたと上記にありますが、それは純国産の「小石丸」です。養蚕業が衰退する中で、上皇后陛下が続けられたことで残ることができたのが「小石丸」といわれいます。そしてこのことが、正倉院の復元プロジェクトの時に大きな成果となりました。品種改良が進んだ現在では難しかった復元が、皇后陛下の育てられていた小石丸の繭によって可能となったのです。そして新しいプロジェクトも生まれました。これは伝統を繋げていたから出来たことであり、その伝統を皇后陛下も引き継がれたのです。
 
 
継体天皇より、もっと後の天智天皇の百人一首の一番歌、御製は天皇自らが稲刈りをされる歌となっています。つまり、この頃までは天皇が稲作をなさっていたのではないかと思われます。その後、いつから天皇自らなされることがなくなったのかはわかりませんが、国家としての形が整っていったことで公務が増え、また宮殿の奥に行かれ、だんだん天皇自らなさることがなくなっていったのでしょう。
 
百人一首一番歌
天智天皇御製
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
我ころも手は露にぬれつつ
 
 
そして、それを復活なされたのが昭和天皇だったのは、昭和天皇が植物の研究をされていたことが大きかったのかもしれません。歴史を知ると御歴代の天皇は、失われた伝統を復活させようと努力されてきています。朝儀にばかり目が行ってしまいがちですが、宮中祭祀で一番大切な新嘗祭の神饌は、宮中祭祀から分かれた伊勢の神宮を見てもほとんどが自給自足、またはそれに近い状態で行われているように元々は宮中でも自給自足で用意されたものでしょう。その神饌の中でも一番の核である稲穂を自ら作られることを復活されたのは自然なことだったのではないでしょうか。
 
そして、天皇陛下が稲作をされる姿、そのニュースが流れるのは毎年当たり前となりました。
 
戦後、日本中の田んぼが減少し宅地化されていき、農業従事者がどんどん減少していきました。ところが、一方で、新しく稲作あるいは農業を始める人がでてきており、また学校で稲作体験もするようになってきたのは、天皇陛下のお姿が影響しているのではないかと最近考えています。
 
それほど天皇陛下のお姿が与える影響は大きいと思うのです。天皇陛下は、自らの姿を私たちに見せることで、稲作を代表とする農業の大切さをお示しになられていらっしゃるのではないでしょうか。
 
 
 
4月末の小名木善行著者の新刊「ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀」に斎庭の稲穂の神勅の解説があります。
 
昨年末出版の茂木貞純、佐藤健二著者の「時代を動かした天皇の言葉」にも斎庭の稲穂の神勅が解説されています。
 
斎庭の稲穂の神勅は記紀に書かれています。竹田恒泰著者の「現代語古事記」。
 
「日本書紀」
 
小名木善行著者の「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」は他の百人一首解説本とは全く違った解説で、日本を理解しやすくなる本です。
 
古代の天皇の稲作の伝播と、土木工事による土地開発がわかりやすい牧村健志著者の「よみがえる神武天皇」。