本日は立夏で満月となっています。

 

本日は満月の上に天体ショーもあります。

 

新月と満月は祈りの時期ですが、新月と満月では祈りの種類が違うといいます。満月の時は、エネルギーが増大することを祈り、新月の時は新しく始めることを祈るのだといいます。もしかしたら、そんな祈りが込められた詔が、昔々に発せられました。

 

本日は旧暦では三月十七日となりますが、天武天皇十年(681年)三月十七日は、「帝紀及び上古の諸事を記し校定せよ」と詔があった日です。(当時の暦と何度も改暦された後の現在の旧暦は同じではありませんが、単純に旧暦で考えています。)十五日は満月、あるいは満月の時期となっていますから、十七日に発せられたこの詔は満月の時期の詔です。これは、日本復興の大きな祈りが込められた詔だからこそ満月の時期に発せられたのではないでしょうか。もしかしたら、当時この日が満月だったのではないか?と想像してしまいます。

 

記紀、古事記と日本書紀はこの詔により編纂されました。そして、この編纂開始の詔から31年経って先に出来上がった古事記が天皇に献上されたのは、和銅五年(712年)一月二十八日、新月の時でした。まさしく、古事記ができ上って新しい時代が始まるという祈りをこめてこの日に献上されたのではないか、と思うのです。今年の旧暦二十八日は、新月の時期でしたが、当時、この日はまさしく新月の日だったのかもしれません。そう想像するのです。

 

つまりそれほど、国の再建と復興にかける想いは強かったのではないか、と。
 

 

人気ブロガーねずさん(小名木善行さん)の「ねずさんと語る 古事記 壱」からこの詔を紹介します。

 

この古事記では原文と読み下し文と現代語訳と解説が書かれていますが、とてもわかりやすいです。ねずさんは、以前も百人一首を紐解かれていましたが、こちらも目からウロコの本となっています。

 

天武天皇の詔の現代語訳

 

「朕は、諸家にもたらされている歴代天皇記(帝紀:すめらきのひつき)や我が国の神話や伝承(本辞:さきつよのことば)は、既に真実と違っていて、多くの虚像が加えられている。今この時に、その誤りを改めなければ、幾年を経ずして真実の歴史が滅びてしまうであろう。これらは国家成立の経緯(邦家の経緯)であり、歴代天皇の事績の大本(王家の鴻基)である。そこで帝紀を撰録し、旧辞を調べて、偽りを削り真実を見定めて、後の世に伝えたいと思う」と詔を発せられました。

ときに姓を稗田、名を阿礼という二十八歳の聡明な下級官吏がいました。彼はひとめ見ただけで、文をすぐに暗記し、一度聞いただけで心に刻み付けて忘れません。そこで稗田阿礼に勅命をもって帝皇日継と先代旧辞を読み習わせました。

しかし、天皇の時勢が変わっても、未だこの事は完成に至っていません。

以上

 

竹田恒泰さんは、古事記は古来からの各家(豪族)の先祖の話である神話を一つにまとめた挙げたものだとよくおっしゃっていますが、ねずさんはもう一歩踏み込んで、その当時の時代情勢を付け加えて解説されています。

 

つまり、当時は天武天皇の前の時代までにあった白村江の大敗により、いつ唐と新羅の連合軍が日本に攻め込んでくるのかわからない、そんな危機的状況の中で日本を一つにまとめあげるために、国家として天皇のもとに一丸となろうという問題意識への対策の中の一環として古事記は編纂されたと。

 

そしてそのような壮大な作業だからこそ、天武天皇が詔を発してから三十年ほど過ぎてもまだ終わらなかったというわけです。

 

私などは単純に時間かかったなあ、なんて思ってたんですが、そう考えると凄い編纂の結果が古事記なんです。そういえば、竹田恒泰さんは、編纂した太安麻呂と稗田阿礼、そして井上毅を日本の歴史上一番の大天才だといつもおっしゃっています。日本の歴史上の大天才のうち二人が同時期にいた証が古事記というわけです。すごい書物です、古事記は。

 

そうして読むと、現代の日本の状況とこの時代の状況が似通って見えてきます。というのも、天武天皇は戦後復興時の天皇であり、現代も戦後の影響、負の遺産がずっと残っている時代だからです。しかも古来からの神話教育が戦後されなくなって久しい時代です。

 

森淸人はその著書『建國の正史』で「国の再建は歴史の再建から始められるべきであろう」と語っていますが、それを実施したのが天武天皇であり、それを邪魔されるどころか自虐史観までうえつけられてしまい、憂えてらしたのが昭和天皇です。

 

昭和天皇は戦後復興には300年かかるとおっしゃられています。それは、白村江の戦いの後に始まった天智天皇の戦後復興を天武天皇が引き継ぎ、また海外の情報や最新の技術情報等を絶やさないためと、白村江の戦いで悪化した関係改善のために送り続けた遣唐使船が、菅原道真によりもう不要と判断されてから(天智四年(665年)~寛平六年(894年)中止)71年後、村上天皇の時代です。村上天皇の父帝である醍醐天皇は、遣唐使を中止した後も、またこうしたことが起こるのではないかと恐れていたといいます。

 

そうして残されたのが、亀山上皇が蒙古襲来時に勅願された御宸筆として知られている「敵國降伏」という言葉です。この言葉を最初に勅願されたのは醍醐天皇なのです。こうしたことを知ると、歴史は連綿と繋がっているし、そうした歴史を知らなければ今をきちんと知ることはできないことがわかるのです。古代史の国際史、海外等の交流を見ると今と同様なことが繰り返されているのがよくわかります。古来より、日本は毅然とした交流を行ってきましたが、それができなくなっているのが20世紀の戦後であり、そうした諸々が今の私たちに大きな影響を与えていることがわかるのです。私たちの先人ができたことが、私たちにできないはずはないのではないか?と記紀を読むと思います。

 

 

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令和二年(2020年)は日本書紀編纂1300年の年にあたり、その8年前が事記編纂1300年の年でした。

 

現在、古事記編纂1300年頃から神話が見直され教育でも復活してきているのは時を超えて、天武天皇の思慮が生かされているということになりますし、素晴らしい解説本があるのは、日本と日本人はつくづく恵まれていると思います。

 

ねずさんの古事記は、漢字の作りの説明や、大和言葉の音の説明まであり、とてもわかりやすい古事記となっていますし、今までなぜこういうのがなかったんだろう?と思うほど面白いものとなっています。

 

私はその中でも神生みの記載について語られている所が特に気に入っています。ここは神様の名前がずらっと出てきて、神様の名前はなかなか覚えられないし、必要な神様は又出てくるから読み飛ばしてもよい、とよく言われるところです。しかし、ねずさんはそんなことはないといいます。その神様の名前や順番から国が生まれ町が出き生活が出来て行く様が見えるというのです。

 

ブログや動画でも随分発信されていますけれども、本となり文字として読むのもまた頭への入り具合が違ってきます。だから私はやっぱり本を読んでいます。ねずさんと語る古事記は参巻までとなっています。

 

ねずさんのブログ記事↓

 

 

 

 

 

古事記について語られている方は他にもたくさんいます。何度も何度も読めば独自の発見ができるかもしれません。その時々の興味や視点で気づきも変わってきますので、何度も読むといいのです。

 

 

 

 

古事記で伝説を作った男、私はこの高杉晋作の話大好きです

高杉晋作の古事記伝説↓

 

天武天皇の詔によって編纂の始まった古事記が、時の天皇に献上されたのは、その皇子の草壁皇子の正妃であり、後に天皇となった元明天皇天皇時代、和銅五年(712年)のことで、31年を経て完成となりました。

 

そしてその後、次の元正天皇の御代の養老四年(720年)に日本書記が完成し、天武天皇の皇子舎人親王から元正天皇へ献上されています。

 

国書であり、我が国の神話から続く歴史をつづりながらも微妙に内容が違うところもあるこの二つの書は、その違いがより真実性を高めているとも言われています。なぜなら、口伝で伝わってきたものを記録した時に全てが一致するほうがおかしいからです。しかも各地に伝わる話も記されています。古事記はそうした話が統合されているのに対し、日本書紀は律義にいくつもの話を記していく形となっており、一つのことが全く違うように語られているものも多くあります。歴史は当事者の物語として語られるのが国史であり、どこの国も国史を学びます。しかしその国史を学びながらも、我が国ではこうした他者視点も学んできたということを表しているのが記紀だと思います。

 

映画の「羅生門」は、芥川龍之介の「藪の中」を原作にしていますが、一つの事件に関わったすべての人がみな異なることを語っていくという物語です。つまり視点が変われば見方も変わります。こうした物語の発想は、記紀が潜在的にあったからこそ生まれたのではないかと最近考えています。そしてそうしたことを忘れてしまった現代の日本人のその欠如は、記紀の両方をきちんと学んでこなかったからではないかと思うのです。古事記だけでは、日本書紀だけではダメなんです。この二つを学ぶことで、そうしたことが誰にでも気づきやすくなる、ということだと考えられるからです。その作りから古事記は国内用、日本書紀は国外用ともいわれますが、これはやはりセットなんだと思います。

 

 

 

現代語古事記を書かれた竹田恒泰さんと日本書紀に縁の地をいろいろとまわられている久野潤さんの対談本。竹田さん主催の竹田研究会の京都では、毎回日本書紀の勉強会が行われていて羨ましい限りですが、その京都竹田研究会の理事が久野さんでもあります。なお、竹田研究会は当初古事記研究会として発足し、その際に竹田さんが資料を用意したことが現代語古事記へと繋がって行きました。

 

 

本来の2020年に東京五輪が行われなかったこの巡り会わせはなんなんでしょう?

 

 

 

 

竹田恒泰さんは、古事記の勉強会から発足した竹田研究会を主宰していますが、2012年の古事記編纂1300年を機に古事記の普及活動として古事記プロジェクトを立ち上げました。これは日本中の旅館やホテルに古事記を置こうというものです。現在、大多数のホテルに聖書あるいは仏典までが置かれていますが、日本国内なのに古事記は置かれていませんでした。そこで日本全国の旅館・ホテルに順次古事記の配布を始めたのです。これは全て寄付で賄われております。

 

現在、ホテルだけでなく、図書館、病院、介護施設、刑務所、拘置所、自衛隊などにも配布されていますが、まだまだ足りません。賛同して頂ける方は是非、寄付をしていただきたいと思います。私も何度か寄付しております。

 

HPではその詳細や配布先リストも見ることができます。寄付が増えれば配布先も増やすことが出来ますので、よろしくお願いいたします。

 

なお寄付された方には、以前は非売品、今では市販もされている國酒禊を戴くことが出来ます。こちらは竹田研究会の方々が自然栽培で作られたお米から作ったお酒で、愛知と愛媛の二つのバージョンがあります。このお酒がまたとても美味しい。是非、禊と古事記両方を楽しんで頂きたいと思います。

 

なお、現在寄付金募集のリンクが消えています。ただし古事記プロジェクトの頁はありますので、また再開するのではないかと思われます。

 

古事記の歌、一つの物語り

古事記の歌、よいしょ!僕らの物語

 

 

記紀により日本神話を知れば、神話を元にした神様の物語もより深く楽しみ、あるいは思考することができます。今、一番のお気に入りは神様の御用人シリーズ(全10巻)。

その中でも傑作は7巻。古事記の謎を解き明かすような物語となっています。

神様をはじめ、天皇や皇族たちが悩み、失敗し、争いあったその歴史から多くのことを学ぶこともできます。人の営みは古今東西変わりません。そして、いつの世も、争いあって分断することが滅びの始まりとなります。そこに今の日本はそこに付け込まれていませんか?

 

 

 

『まんが古事記』を機に日本についての著者が増え、日本についての学びイベントを行われている著者ふわこういちろうさんがゲストの対談動画

 

昭和6年作成の神話が影絵となった映画による君が代、「君」達の長寿(健康)を言祝ぐ言霊歌

ヤマトタケルが言祝いだ「まほろばの国」という言葉を使い、日本と日本人を励ますために作られた歌

神武天皇の理想とする世界を歌にした「あめのした」

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