8月31日から9月10日までイタリアのヴェネツィアで映画祭が開催されています。

 

ヴェネツィア映画祭の最高の賞は栄誉金獅子賞ですが、これは、獅子がヴェネツィアの守護聖人であるマルコの象徴であるからだそうです。

 

日本映画も3度金獅子賞を受賞していますが、その最初となったのは「羅生門」、黒澤監督、三船敏郎さん主演作です。この映画で黒澤明監督、三船敏郎さん、また京マチ子さんの名前が海外に知れ渡りました。この中の京マチ子さんの変化は見もので語り草となっています。

 

 

そして2回目が稲垣博監督、三船敏郎さん主演の「無法松の一生」、そして、3回目が北野武監督主演の「HANA-BI」となりますから、金獅子賞を受賞した内の2本が三船敏郎さん主演作となります。

さらに、ベネチア映画祭の50周年の時に獅子の中の獅子賞を受賞したのも「羅生門」です。これはそれまでのグランプリ作品(金獅子賞)の中から一位を選んだものですが、100周年の時も「羅生門」がまた選ばれるのではないかといわれているほどの凄い映画です。75周年の際の写真展でも、「羅生門」は大きく取り上げられていたのがニュースとなりました。こうしたことは、何度でもこの時期話題にし、またこの機に多くの人に観ていただきたい素晴らしい映画です。ところがそれを知らない日本人がとても多いという残念なことになっています。

羅生門(映画)予告


芥川龍之介の短編小説「藪の中」に、同じく初期作品「羅生門」の背景を生かして作り上げられた物語を映画化した黒澤明監督の映画「羅生門」ですが、このような素晴らしい物語になったのは黒澤明監督の手腕の他にこの映画が作られた時代背景もあると思います。映画を作るには準備が必要です。脚本や資金集め、キャストやスタッフの準備、セットの準備など、そして撮影が終われば編集作業があります。ですから映画の公開までには数年かかることも珍しくはありません。ただし後年映画作りに物凄い時間と労力をかけた黒澤監督もこの当時はまだ短い時間で映画製作をしておりこの映画の元脚本が橋本忍により書かれたのは昭和24年(1949年)。映画「羅生門」が公開されたのは、昭和25年(1950年)8月でした。

この頃がどういう時代であったかといえば、終戦5年目の年でその1年半前には終戦翌年から始まった東京裁判の判決があり、いわゆるA級戦犯の死刑執行が当時の皇太子(現上皇陛下)の誕生日に合わせて執行されたばかりでした。しかもアメリカの占領軍が日本を去るのは昭和27年(1952年)です。そのような時にこの映画は作られ公開され、金獅子賞は昭和26年(1951年)に受賞しました。この題材で映画を作ろうとした背景にはそのような時代の影響がないはずがありませんし、東京裁判についての海外(欧州)の見方というのも推し量れるのではないでしょうか?

そういう背景を知ってからこの映画をみると、なんと雄弁に各自の主張の違いという不条理が描かれていることか。本来事実は一つであるはずなのに、その一つの事実がその当事者によってこれほど変わってしまうのです。そこに多くの人が関わればどれほどの事実が生まれてしまうのか?

これは物語ですから、誇張があります。通常の出来事でここまで違うことはないと思います。・・・しかし本当にそうでしょうか?

広島・長崎に落とされた原爆について、多くの方が色々なことを伝えているのはご存知の通りです。大東亜戦争と日本で言っていた戦争については、太平洋戦争と名前まで変えられ、勝者の論理が77年後の今でもまかり通って、元々の日本人の見方でさえわかりづらくなっています。

一つの考え方しか知らないと、他の考え方があることが理解できません。また、一つの情報しか与えられていないともしかしたら、その情報さえ操作されているということがあることに気づかなくなってしまいます。そういう人が新しい情報を意図的にもらったとき、今度は大きくその情報に動かされるなどということも起きてきます。

戦前や戦争の時代を生きて、終戦の時代の復興の時代に生きた方々は、その時代の移り変わりを実際に目で見て世の中の論理がひっくり返っていく様を生で体験していました。そんな時代にそうしたことを目にしていた方々が作られた映画「羅生門」。私はこの映画はそうした論理の移り変わり、変遷があるという世の中、世界の存在を教えるために作られたのではないかと考えています。当時ひっくり返されたことが、今ももとに戻されないでそのまま信じられていることが多いのが現代です。物事には沢山の見方があるのに、勝者の見方が今も居座っている日本。そういう時代が来た時への警鐘となる映画が「羅生門」だったのではないか?と。

事実、日本の至宝と言っても良いこの映画が日本では一部の映画好きの間でしか見られていません。本来ならこのような傑作映画は、毎年テレビ放映をし、学校でも上映会をしていてもおかしくないのに、私がこの映画を初めて見たのは映画好きで見たくてたまらないから上映する映画館を探して見たのです。

だから、このような思考を刺激する映画は、見られては困るということだったのではないかと考えるのです。

この映画は、初めて上映されたとき映画会社の人が「意味がわからん」と言ったといいます。しかし、私がこの映画を見た時色んな矛盾に悩む年頃だったので、凄く衝撃を受けました。だからこそ私は高校生から大学生ぐらいの年代の若い人々にこそ相応しい、共感を得やすい映画だと思います。そして、こういうことを知って、世の中に出て行くのは、世の中に色んな側面があることを知っていくということになりますからいいことだと思うのです。

社会に出て行けば解決が難しいこと黒白で割り切れないことが沢山あることに気づかされます。そこからどう解決を見出していくのか?映画「羅生門」には、明るいラストがあります。光を見出すことはどんなところにも必要です。世の不条理や矛盾にぶち当たっても、映画「羅生門」を見ていたら乗り越えやすくなるのではないかと思いますし、その時こそこの映画がその人の中で真の価値となるのではないかと思うのです。

ビジュアル=映像には力があります。だからこそ映画やテレビ、CMなどがプロバガンダに使われています。そんななかでの「羅生門」の存在は素晴らしいと私は考えています。

以上は、「羅生門」から私が考えていることですが、その「羅生門」を見て感じ考えることも千差万別のはずです。そこからどんなものが生まれていくのか、その可能性は計り知れません。また、この映画を観る年齢や、その時の心境等で考えることも変わってくると思います。このような映画の思考の変化はより面白いのではないかと思います。

映像美も素晴らしく、映画製作に携わる人の教科書的映画として世界中の人に観られている映画としても知られている「羅生門」は、何度でも何度でも語り継ぐ価値があると思います。

 

終戦当時、この金獅子賞受賞は自信を無くしていた日本人に、明るいニュースと大きな自信を与えたといいます。そしてこうした私達の先人がこのような作品を作ったことを知ること、そしてその作品を知ることも、時を経ても私達に自信を与え応援してくれることになります。だからこそ、「羅生門」は繰り返し伝え続けていきたい映画です。

 



このほんとうに短い短編の中で、芥川龍之介は真実を知ることの難しさを簡潔に表しています。

同じ事を見ても、人によってとらえ方は違います。十人十色といいますが、百人いれば百色あるでしょう。一見似たような意見でも細かく聴いていくと違っているなどということはよくあることです。しかし、考え方、思考ではなく、事実、起きたことでも人によって違うように見える、ということがあるとは普通は思いもつかないことではないでしょうか。しかし考え方、思考が違えば同じ出来事でも、その事実のとらえ方が変わってくるというようなことは現実に起きていることです。

 

「羅生門」は国内外で何度かリメイクされていますが、そのほとんどがことごとく失敗しています。その理由は簡単です。「羅生門」は同じ一つの事象でも、人によって見え方が違う、とらえ方が違う、あるいは解釈が違うというようなことがテーマであるはずなのに、そうしたことがないような形にしようという物語に変えたりしているからです。

事実が一つということなら、世界中で諍いが絶えないのはなぜでしょう?それは人によってとらえ方が違うからです。それは意図的なものもあるかもしれませんし、環境的なものかもしれない、あるいは思想や哲学的なことからかもしれない。また経験から来るかもしれないけれども、同じことを見ていても実はそこからは千差万別の事実が出来上がってしまうのです。

一番わかりやすい有名な例は、ジャンヌ・ダルクです。フランスの聖女ジャンヌ・ダルクはイギリスでは魔女とされてきた女性です。フランスの英雄はイギリスにしてみれば迷惑者。イギリスに捕らわれたジャンヌ・ダルクは魔女裁判で魔女として火あぶりにされました。

 

今世界中が混とんとしています。コロナ禍を機にそれが浮き彫りになり、またこうした状況に乗じて、政変が起きているようにも感じられます。そして今年はウクライナ侵攻が起き、終わりが見えません。

 

今年のベネチア映画祭は、こうしたことが反映されています。国際的なイベントというものは、こうしたことを考え共有する場でもあるということを、考えさせられます。

 

ベネチア映画祭、今年はコンペティション部門に日本映画が参加しています。

また、オリゾンティ部門にも日本映画が。ちなみに妻夫木さんはロストバゲージにあったそうで、ディオールがタキシードをプレゼントしたそうです。映画祭などイベントで来た俳優のロストバゲージには有名ブランドが衣装提供はよくあることです。有名人ならではの特典ですよね。

 

なお、イギリス映画で出品されるLivingは黒澤監督の「生きる」のリメイクで、長崎生まれのノーベル賞作家、カズオ・イシグロが脚本を書いています。さらに、今回審査員にもなっています。

 

 

 

こうした華やかな映画祭を見ると、一方でこうした場へ出されるような作品をこれからなん本でも作れたであろう三浦春馬さんのことをどうしても考えてしまいます。

 

 

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