横浜育ちの僕は、高校生の頃、ヨットに夢中になっていました。
ヨットというと、ディンギータイプのヨットを思い浮かべると思いますが、僕が乗っていたヨットは、数名で乗り込んで外洋に出るというものだったんですね。
ヨットに乗りたいと思った時に、ヨット雑誌の巻末のページで、「クルー募集」という欄があったんです。
そこに電話して、ヨットのクルーとして、油壺にある「コルバッチ」というヨットのメンバーになっていたんです。
レストラン時代は、ヨットを封印
ヨットの活動は、社会人が中心なので、土日なんですよ。
土日が中心の活動ですから、レストランに勤めていた5年間は、ヨットに乗れませんでした。レストランは、土日は稼ぎどきですから仕事は休めませんから。
レストランを辞めて、料理の世界からも足を洗おうと思った時に、真っ先に思い浮かんだのが、ヨットに乗ること。
ヨット復活
5年ぶりにヨットに乗ったら、その爽快感が久しぶりすぎて、嬉しさもあったのですが、もっとヨットに乗っていたいと純粋に思いました。
毎週油壺まで通うのが楽しくて、楽しくて、充実していたんですが、ある日、ヨット仲間から
「お前さ、仕事していないのか?」
と聞かれて、してませんと答えたら、
「知り合いの人が若い社員を募集しているぞ」
というのです。
ありがたいですよね。
そこで、詳しく話を聞くと、会社の概要は全くわかりませんでしたが、その少し前に立ち上げた会社が、「信用のおける若い男性社員」を募集しているということだったんです。
料理の世界から抜け出して、これからどうしようか?と思っていた矢先の話だったので、これもご縁かなと思い、すぐに電話して面接を受けました。
フランス雑貨の輸入代理店
その会社に入社してみると、雑貨の中のアイテム「時計」の営業になりました。
時計なんて詳しくありませんから、必死に勉強しましたし、時計そのものを好きになろうとも思いました。
しかし、フランス料理の仕事から、フランスの雑貨の仕事になるっていう、この運命もなかなかないよなと思ったのは忘れられないです。
年に1〜2回フランス出張
入社して1年ほど経つと、パリに出張に行くように命じられました。
当時、秋冬、春夏のコレクションがあって、そこには、日本からたくさんのバイヤーがやってきます。
僕は、時計担当でしたから、あまり関係はないんですが、そのバイヤーたちのアテンドの仕事をしに行けと言うのです。
生まれて初めてパスポートを取得し、初めての海外。
そのころは、まだまだインターネットなんてありません。ありませんから、全てエアチケットからホテルまで予約しないとダメなんですよ。それも電話で。
旅費の規定があって、JALでの往復の料金がエアチケット代になるんですね。
そこで、会社の先輩から、安いエアチケットを買って差額を懐に入れてもいいと聞いたんです。
僕が初めて買ったチケットは、アエロフロートでモスクワまで行き、トランジットでエールフランスに搭乗して、パリまで行く、というチケットでした。
成田からアエロフロートに乗ったんですが、日本語のわかるスタッフはゼロ。アナウンスは、ロシア語と英語。
モスクワに到着
モスクワ空港に降りるときに、詳しく聞き取れなかったんですが、
「空港内で写真はダメだよ。」「カメラもバッグにしまってね。」
みたいなアナウンスが流れたんです。
モスクワ空港に降り立つと、空港内に入っていきますよね。
衝撃的な光景が目に飛び込んできました。
なんと、兵士が銃を持って空港の至る所で目を光らせているんですよ。
その時に、ソ連ってやばいなと思いました。
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