義務教育は9年間である.これの法的根拠は学校教育法にある.憲法と教育基本法で少年に教育をほどこすことを親と行政の義務としているが,年限や学校教育という縛りはない.

1947年4月施行の学校教育法で,9年間と小中学校での就学を規定している.

戦前は6年間であった.

 

1974年には高校進学率が90%を超えた.

高校までも義務教育にしようという議論もある.

 

なぜだろうか?

 

文明は進歩した.1947年とは段違いである.

 

 

 

生活は楽になった.1980年当時初任給10万円の時代に100万円を超えていたワープロは,今や誰でも使えるほど普及し,漢字を手書きで書くことはほぼ無くなった.漢字のとめはねなんて厳密に覚えている必要はない.当時1万円した薄型電卓は今やコンビニや百円ショップで買える.そろばんも筆算も日常生活で必要ない.法律の条文や医学情報を暗記しなくたって,必要な時に必要な個所をスマホで検索して調べることで,弁護士や医師とそこそこ対等に深いところまで話せる.法律や医学など体系化されていない各論中心の知識分野は人間より機械が上で,高度に体系化されている数学などですら,ChatGPTがかなりのところまでアシストしてくれる.入力と出力が定型化できる数式処理,微分方程式解法などはwolfram alphaなど計算機の方が上だ.将棋囲碁はすでに計算機の方が上.

 こんな風に文章を書くときも,昔ならマニアックな用語や人名を使うとき詳しくいちいち解説する必要があったが,いまは説明せずに書く.知らなければネットで検索して調べられるからだ.

 

 

 文明・技術は人間を楽にさせるものである.実際かなり楽になった.それなのになぜ教育期間は短縮されずに長期化されるのだろう?労働時間は週40時間から一向に減らないのだろう?

 

これについては過去の記事ですでに論じた.仕事と教育の行方シリーズを読んでほしい.

 

 

 

 

 

 

 しかし,ここで教育について再度論じよう.仕事と教育の行方では,教育利権をあげた.

教育ビジネス界がおおきくなり,その業界の利権のために縮小させることが出来ないのだ.

すべての組織は拡大を目指す.役割が終えたといって自ら縮小することは無い.ボランティアならまだしも,それで生活している人間が多く属している場合は猶更である.

 

 今回は別の角度で論じよう.

今回話題の小椋正清・東近江市市長は,教育界の利権とは別の視点から,生徒を無理してでも学校へ行かせるべきだと主張していると考えられる.

 

 

 

 ちょっと小椋氏72歳(1951-)の気持ちを想像してみる.彼が言葉の上で説明してはいないが,彼がどんな価値観でそのような言葉を発したのか.

 嫌々学校へ行っている子を無理に学校に行かせることは人権侵害である.そこまですることのメリットは何か?

 言われずとも,小椋氏20代の時1970年代に登校率は下限に達し,学校に行くのはあたりまえになった.そして学力は伸びただろうか?何が良くなったか?学校があれたではないか.校内暴力・家庭内暴力・暴走族・虐めが横行した.

 

 同一直線上にない3点を通る平面がちょうどひとつ存在する

これが7割の中学三年生が理解できない.

 

 学校教育って9年間何をしていたのだろうか?

 

 私の持論.教員が悪いわけではない.私が教えれば7割が3割に減らせるだろうか?無理である.教育の限界だ.

 

 不可能なことをずっと何十年も教員や生徒にやらせつづけていて,まだそれを続行させようとしている.

 

 まあ,それで教員は給与をもらって,塾も成立し,教育業界は潤っている.しかし生徒側にメリットはあるのか?

 

 ない.

 

 こんなことをさせる理由で,教育利権のほかに,もう一つ大きいのがある.

 

 人が集って,何かをすること

 

こういった社会活動そのものを是とする人間の本能的・慣習的なものである.

 

 前にも書いたが,花火ってそんなに奇麗か?満月ってそんなに奇麗か?

月見をしよう,花火にいこうと,普段仲の悪いブサメンに誘われて喜んでいく人はいない.

仲良くなりたい人,イケメン・美人に誘われるから,そこへ行くのだ.

月見とか花火とか映画とか高級料理店とか,それらは単に口実に過ぎない.

 

 チンパンジーは互いに毛づくろいをし,一日の内かなりの時間,それに費やす.

そんなに毛づくろいをする生活上の必要性は無いのだ.それはグルーミングのためである.

毛づくろいをしたりさせたりすることで,誰と誰が仲が良いか,どちらが上下か確認しあう.

 

 人間がやるパーティもそれだ.テレビ番組なんかもそれだ.テレビ番組は今社会的に持ち上げるべき人物は誰かを確認しあうパーティなのだ.だからスキャンダルを起こしたときに,それが裁判所的には無実であったとしても,テレビ界からは追放するわけだ.テレビ界に居残っていることイコール大衆に指示されていることのシグナルになるからだ.

 

 

 

 

 

 

 為政者は若者をコントロールしたい.そのための学校なのだ.軍隊の学校や刑務所と同じである.中で何が行われているかは重要ではない.彼らを同じ場所に閉じ込め,統制したいわけである.

 これの究極形が社会主義・共産主義である.

 大人もすべて国に直接雇われ,国の何らかの機関に所属させられ,管理される.これが理想郷とされる.

 

 学校教育は子供世界を閉じ込める共産主義化

 

 これが為政者にとって都合がよい管理しやすい形だから学校教育がもてはやされる.しかし中にいる子供たちはどうだ?

 

 刑務所は本当に更生施設として機能しているのか怪しい.しかし,刑務所は歴史的に見れば,善良な市民社会から隔離し罰を与える組織なので,更生機能が無くても,ただ隔離できていただけで,中の囚人が苦痛を感じていても,積極的に改善しようという世論は長らくなかった.

 

 学校は刑務所ではない.勉強は刑罰ではない.努力しても駄目だというものは他人より本人自身が一番よく分かっている.それを強制させられるのは人権侵害である.実際に,努力させて成功した例など無い.先の

同一直線状に無い3点を通る平面がひとつしかないこと

は7割の生徒が理解できない.これが理解できちゃう人は,学校でおそわらなくたって本を読むだけで5分で分かる.10分で分からない生徒の9割は一生分からない.そんなものである.

 オタマジャクシは生後2-3週間で足を出す.2週間で足が出なくても3週間目で出るかもしれないが,4週目で出なければ一生出ない.それはオタマジャクシでなくて稚魚である.いつまでまっても蛙にはならない.魚になるのである.

 

 絵の才能,野球の才能,将棋の才能と同じである.

 

・才能がある若者が,途中でダメになることはある.

・出来る人同士の差は逆転することがある.

 

しかし,

若い時点で才能ないとわかった分野で,将来に花を咲かせることは無い.

 

いや,好きな分野で本人が好きでやるなら良いのである.下手の横好きで.だが,親や行政が強制でやらせるのは人権侵害である.

 

 

 学校に行きさえして,分からない授業を聞かせ続けられる拷問に耐えていれば,親や教員や行政はそれでよいのかもしれない.

大人たちや出来る子の養分となって,自己肯定感だけ下げて,人生の大切な時間を無駄にしてしまう.

 

 学校も教育も無条件で正義という感覚はもう古い.

 

 社会活動であればネットの世界だってできる.こっちのほうがより深く知り合えることもある.例えばこのブログ7月から全部読んだ人がいるとすれば,その人は,私がリアルで付き合っているどの人よりも私の事を理解しているとも言える.

 

 幼少期こそ,自分の好きなことをすべきだと思う.それで自分を見つけられる.大人が狭い空間に強制してはいけない.