続き。

仕事は、
他人を助けるタスク
という側面と
自分の社会的存在意義を示す
という2側面があることを述べた。

これは分けて考えないと混乱する。

タスクとしての仕事は、テクノロジーの進歩によってどんどん軽くなるべきであり、才能も訓練も必要なくこなせるようになっていくし、なっていくべきである。半機械化を経て完全機械化で、人々は労働から解放させることを目指すべきだ。
 週40時間労働から週20時間、10時間へと減っていくべきだ、
 子供だけでなく、妊婦や子育て中の人も、老人も、労働から解放されるべきだ。
そしてそれは可能なはずだし、それを目指すべきだ。それが時代の進歩である。

 一方で、社会的ステータスは仕事と離れて目指すべきだが、これこそ各自の独創性の発揮する場所だ。野球でもスポーツでも学問でも芸術でも、何か枠組みを作る人と、既にある枠組みの中でプレイヤーとして有能性を示す人と、いろいろでてくるだろう。そこで結婚でも友情でもいろんな出会いがあるだろう。ブログという概念を作り出す人と、すでにあるサイトでブログを書く人という対比でも良い。
 こうやって自分の考えを書いたり、自分に影響を与えるブログを見つけたり、そういう人と会ったり、それだけでも結構面白い人生だと思う。少なくとも作業所で一日中労働するより。まあそういうのが好きな人もいると思うが。

 まあ、子育てするようになれば、だいたいは社会的ステータスを上げることは興味を持たなくなり、自分の子や孫の成長がなによりの幸福になる。
 そこがうまくいかない人は、社会的ステータスを上げることで救いを求めるようになる。
 どんな人をステータス高い人と認めるかは個人差がある。自分と相性の良い人たちと付き合えば良い。

続く。