続き。

そして、タスクとしての仕事は無くなるものもあれば創造されるものも出てくるだろう。

 ただし時代の進歩としては、タスクとしての仕事からの解放が目指すべき道だ。

 そして解放の一環として、才能と訓練がいる仕事は、才能も訓練も要らなくなるように、テクノロジーがアシストしていく。
テクノロジーは人が楽をするためにあるものだ。

 だから、タスクとしての仕事のために必要な教育というものも、時代と共に減ってくる。
 何年も教育を積まなければならなかった仕事が、素人でも出来るようになる。
 だから義務教育は9年から6年へ、さらに昔のように四年制へとなるべきである。ところが高校も義務教育化しようなどと、教育は退化している。

 小中九年間支援級やら支援学校やら通ってさらに支援学校高等部三年間通って、それで作業所で働くのか。その教育方針をいつまでも続けるつもり?10年前が高等部三年なら、今や高等部一年通っただけで同じ製品をより安く作れるでしょ、技術の進歩で。

 1995年にWindows95が出るまで、パソコンはMS-DOSというコマンドベースのOSで、マウスじゃなくてキーボードだけ使って操作してた。それより少し早くApple社がMacintoshを売り出していた。キャッチコピーは、
For Rest of Us
我々技術者以外の人たちのために
だ。
子供から老人まで、ど素人でも簡単に使えるユーザーインターフェイス
という思想を創造した。
 そういう需要があったわけではない。素人はコンピュータを遠い存在と思っていたから。それをジョブズらは彼らに提示し、需要を作り出した。

 技術は人に優しくなり、人を選ばなくなる。それこそ技術の進歩だ、

 小中学校で習うトメハネまで漢字2136文字の書き取りは、もはや今の子供が学校を出てから役に立つことはほとんどない。
私的文書だろうが公的文書だろうが手書きなんて使わない。
今の私だって、自分の名前と住所以外で手書きで漢字使うことなんて殆どない。
それすらもうじきに必要なくなるだろう。
小中学校の漢字2136文字のうちの9割は、私は死ぬまで手書きで書く必要に迫られることはないだろう。
 読むことすら必要なくなるかもしれない。

だったら、義務教育9年を8年とか7年に短縮して良いはずなのだ。
 仕事からの解放と同様に教育からも解放されるべきなのだ。

 しかし、逆に教えることを増やして教育年数を増やそうという勢力がある。
 人を楽にさせるテクノロジーの効果が教育に関しては働いていない。

 これはなぜなのか?

続く