続き。
テクノロジーの進化によって
仕事が楽になるが、
教育は楽になってはいかない。
ワープロの普及で漢字のトメハネまで手書きが必要なくなったので、それを辞めて義務教育期間を9年から8年にしようか、とか
ネットやChatGPTで簡単に調べられるようになったから
薬学部や医学部や法学部の教育機関を短縮して免許与えようか
とか、
そんな話にはなったためしは無い。
むしろ教える内容は増えるばかりである。
決して減らない。
これは、教育利権の理由からだ。
生徒のためではない。教える教員組織の側の理由だ。
考えてみれば良い。
教育内容を減らして教育年限を減らせば、それは教育数を減らす事を意味する。
予算を減らす事を意味する。
文部省の省益を損なう訳だ。
大量リストラする業界に、新しい有望な若者が入ってくるわけはない。
今いる教職員は、定年までいられずに、首になるか、減給か。
国内の医師、毎年9000人を教育して免許を出し、トータルで34万人を維持してるが、彼らに具体的な医療技術を細々と教育するより、
医療ロボット、医療AIをアップデートした方がより良い医療は出来るはずだ。
精神科医はさらにそうだ。医療AIなら医師の個人差を廃して、より客観的な診断が出来るだろう。
しかし医師会は人の数を減らしたくないだろう。医師の数はそのまま組織の力だ。本来の存在目的である患者の利益より、医師会の利益が優先される。
いったん作った組織は生き物のように、その存在価値を高めようとして、増大する。それが本来の目的である生徒や患者の利益を損なってでもである。
これが組織の正体だ。
ほとんどの人々にとって小学校程度の教育で充分だし、それで充分なようにテクノロジーや制度の工夫で解決すべきである。
義務とする学問は必要最小限にすべきであり、趣味の学問は個人が一生をかけてするものである。
実際、支援学級では小学校卒の時点で、3年生の範囲である余りのある割り算までいかない。支援学校は当然それ未満だ。それでも就労できてたりする。
小学校高学年の算数とか中学校の学習内容は、一般人の生活にはほとんど必要がない。それは生徒の選抜の為にある。
あえて、出来る層と出来ない層を作るためのカリキュラムだ。もともと全員がマスターできる内容にしてはいない。
学校の役割は、小学校中学年までの学習内容を変えれば、あとは
託児所 兼 刑務所ないし収容所
人材選抜の場
となる。であるから多くの生徒にとっては
楽しい場所ではなくなり、他人の失敗を笑いからかい虐めあう場となる。
分かるだろうか。
学校とは子供のためではなく、
楽したい親と
職を確保したい教職員らと
省益および国家洗脳に使いたい役人ら
のためにある。
義務教育を廃して、科学技術エリートを養成する場としての学校なら、そこで文化が作られ、科学技術を再生産する場として意味があるだろう。ちょうど盲学校が、盲人たちの手話を作り出す場として機能するように。
だから、我々親が子供のことを本当に思うなら、教員や役人の言う事をそのまま鵜呑みにしてはいけない。学校組織にとって都合の良いことしか言えないからだ。彼らは所詮サラリーマンなのである。