承認欲求というと、心理学者アブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」をもとによく語られます。欲求5段階説とは、人間の基本的欲求を5段階に分類したものです。

 

 
第1段階:生理的欲求 (Physiological needs)
食事や睡眠など、生きるために必要となる本能的な欲求
 
第2段階:安全の欲求 (Safety needs)
他者に脅かされることなく、安全に暮らしたいという欲求
 
第3段階:社会的欲求/愛と所属の欲求 (Social needs/Love and belonging)
集団に属したい、他者からの愛情を受けたいという欲求
 
第4段階:承認(尊重)の欲求 (Esteem)
他者から認められたい、尊敬されたいという欲求
 
第5段階:自己実現の欲求 (Self-actualization)
自分の力を最大限引き出して目標を達成したいという欲求

マズローの提唱する、欲求の階層をピラミッドで表現し原始的欲求に近づくほど底辺に書いた図。

 

  承認欲求が起こるのは、本当は恵まれているから

 

この「欲求5段階説」は、生存欲求→安全欲求→社会的欲求とある中で、その次は承認欲求です。この承認欲求は睡眠や食事などの生理的欲求や、安全に暮らす欲求が十分に満たされているときに現れるとされています。人は生きていくために必要な基本的な欲求が満たされている幸せな状態なのに、なぜか満足しない。目の前にある小さな幸せになかなか気づけないものです。

だいたいの人は、ただの日常にどれだけの幸せが詰まっているのかを正確に理解していない。人は普通にある幸せを失ってはじめて、そこにあったかけがえのない価値に気づくことができます。たまには、美味しいご飯、雨風しのげる部屋、健康であること等、あるものを実感してみると、心が穏やかになります。

 

  デジタルデトックスをやってみよう!

 

 

みんな、ありのままの自分よりも素敵なものとして自惚れたいナルシストの部分を持っていると思うので、SNS映えする旅行スポットや食事を載せたがったり、有名人と出会えた際はすぐに投稿しますよね。SNSを見れば、投稿者の幸せそうなようすが映し出される。それに比べて、自分はなんてダメな奴なんだろうと落ち込む。わたしたちはSNSを見て「他の人のほうが、いい暮らしをしていて、まわりには素敵な友人、知人がたくさんいる」と感じる。だから、「これに比べSNS映えしない日常だ」と語りかけてくる画像を、ほぼ毎日見ていることになります。もちろん、それらは単にSNS映え狙いの画像にすぎない。でも、悩み事を抱えていたり、ちょっと心が疲れているときにこういった画像を見ると、私たちはすぐに落ち込む。

 

この手のSNSで幸せアピールする人は、実は不安で劣等感が強く他人よりも自分の方が常に優位な存在であることを示したがる承認欲求の強い人です。本当に幸せな人ならそんなにSNSで幸せ自慢したりしません。「これ投稿したら、みんなが注目するだろうな」と思うから投稿するんです。他人の幸せなんて気にするだけ時間の無駄です。「承認欲求に飢えているんだな」くらいに思って、無関心でいましょう。

 

最初は少し不自由に感じるかもしれませんが、たまには、デジタルデトックスをやってみると、普段自分がどれくらいデジタル機器に縛られていたかがよくわかります。特にスマホは、コミュニケーションから決済まで今や生活になくてはならないものですが、SNSの投稿に一喜一憂したり、メールが気になったりと、心が疲れてしまう危険な要素も持ち合わせています。

 

  他人の目が気になる心理は、やはり承認欲求 

 

承認欲求が強い人は、周囲の目を気にする傾向があります。 なぜなら、承認欲求が強い人にとっては「自分がどう思うか」よりも、「他人がどう思うか」の方が重要だからです。 だからこういう人は、本来の自分の価値観よりも他人にすごいと思われるかどうかを優先しがちです。この欲求が現代人はすごく強くて、心が縛られているのです。人に認められたい気持ちが強すぎると、自分ファースト(自分のため)の人生でなく、他人ファースト(他人のため)の人生になってしまうのです。
 
いつも他人からの承認(=プライドが高い=高慢)と、自分からの承認に心が縛られて、それに振り回されている。「承認のフォーカシング・イリュージョン(過去の記事参照)」=「承認されることを重要視した世界」、で生きている人は、この世界こそがリアルなので、承認だけが人生の軸だと思っています。そして、この世の中の半分以上の人は、「承認欲求で生きている人たち」です。この人たちには絶えず「世の中のマジョリティから外れたらどうしよう」と怯えがある。なのでたとえ、成功していても、「失敗するのが怖い」という不安や心配が常につきまといます。

  あなたに見えてる世界は幻想かもしれない

 

世の中の多くの人が、優劣がない世界を知らないまま、自分がいる優劣がある世界だけが人生で「みんなそうだ」と思い込んだまま生きているということです。しかし、こういう幻想から自由になった人(悟りの段階に入った人)からすると、優劣がある世界は、どうでもいい世界なんです。人から認められようが認められまいが、そんなことは関係なく人生の喜びを喜びとして感じている。そういう純な喜びに満ちた世界もあります。その世界に行こうとするのを妨げるのが承認欲求なんです。
 
というわけで、他人の目に怯えず自由な自分へ、自分自身に修行を課すつもりで、「今、この瞬間」の自分をありのまま受け止めるマインドフルネス(仏教系の瞑想)をしてみましょう。
 

  終わりに

 

SNS全盛の時代だから承認欲求がピラミッドの頂点では?と思う人もいるはずです。しかし、最近では「映え疲れ」がささやかれ、SNSの「映え」に飽きて、もはや魅力を感じないという人がいるのも事実です。見た目がすべての、現実離れしたSNSでの「映え」に対して、魅力を感じないのも納得できます。これからの時代は、見栄を張らず、ありのままの自分で他人と繋がりたいと、そう思う人が増える予感がします。承認欲求がゼロになることはありませんが、それ以上に、立派な自分から良い感じの自分に移行しつつあると考えられます。