昨日大相撲の八百長について思うことを書きましたが捕捉というわけでもないけどもう少し書きたくなりました。菅首相が「八百長があったとすれば国民への背信」といったそうですが。国民からすると「できもしないマニフェストを掲げて政権を取る」ことの方が背信じゃないの?と言いたくなる。小沢一郎氏の処分に関しても代表でもある自身は何もせず様子見というのも、「無気力相撲」と変らない。小沢氏の「検察審査会の強制起訴と検察当局の起訴は別」という意見は検察審査会の存在意義をも否定する詭弁。検察官は証拠不十分で勝訴の見込みがないということで起訴を見送ったが一般市民で構成された検察審査会が起訴決議を行なった。市民感覚から言えば「4億円もの借入を本人が関知しないところで行なう」ということは信じられないし、仮にそうだとしても管理監督者としての説明責任を果たすべき。それが政倫審にすら出ない。菅氏は過去の慣例等を踏まえしかるべき処分を行なうべきだと思います。
またまた大相撲が話題になってます。今度は八百長。角番でどうしても星が欲しい(駄洒落?)そんな時、取り組み相手に星(勝ち)を買う。数十万だそうですがそれを払っても現状を維持したい。あるいは上に行きたい。そんな時「一つや二つ負けたってどうでもいい。それより数十万の金が欲しい。」そういう力士がいる。かくして両者の思惑が一致。今時ですから携帯メールでやり取り。それがこともあろうに先の野球賭博の証拠集めに資料として保管していた警察の目に留まった。(携帯メールも削除したものが復元できるそうです。)なんとも不細工な話です。角界念願の公益法人化も立ち消えます。それどころか場所が開催されるかどうかも分かりません。もし開催にこぎつけたとしても見に行く人は少ないでしょう。膿を出しきって一からやり直すしかない。それほどに勝ち星に拘るのは結果主義。結果が全ての世界。その典型だから。「あの力士は番付は低迷してるけど稽古はしっかり頑張ってる」なんて誰も思いません。逆に普段から生活態度が悪く稽古もろくにしなくても強い。そういう力士はどんどん昇進していきます。プロとアマチュアスポーツの一番大きな違いでしょう。サッカーで一夜にしてヒーローになった選手。運も大きいと思いますが交代後の僅かな時間に結果がでた。営業もそう。やっぱり結果。どんなに頑張っても結果が出なければ昇進もなく場合によると飛ばされます。逆に遊んでいても数字が出る人もいる。受験だってそうでしょう。鳩山。菅氏がどんなにいい人で陰で国のためとどれほど努力をしていても結果が出なければやはり駄目。「次」は無いと思います。「人は汗水たらして働いていればそれがあとから数字に結びつく。途中経過をバカにするような人は当面はいい思いをするかもしれないが、長い眼でみればやはり地道に努力した人には負けてしまう」うさぎと亀に例えるならみんなうさぎで自分を亀に置き換える人が少なくなってきているのでしょう。
(おかあさんへ、天池さん8歳)
「ソフトの試合に負けた。ぼくはかくれて泣いた。なんでかくれたんやろ」
(自分へ、森下さん11歳)
「もうなかないでください。もういじめません。
ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」
(Tくんへ、淺倉さん15歳)
「単身赴任初日の夜、不覚にも涙酒をあおってしまったなり」
(愛妻へ、菅澤さん60歳)
「坊主、失格ですね。父さん送る時、
泣けて泣けて、お経間違えてごめんなさい」
(お浄土の父さんへ、住職の冨川さん63歳)
20年も前の映画。医師オリバーサックスのノンフィクションを元に作られたそうですがパーキンソン患者に新薬を投与したところ急に覚醒しだしたのですが次第に効果が薄れ最後は元の状態に戻るというなんとも切ない映画。ロビンウイリアムス。特にロバートデニーロが若い。若くても同じ顔(笑)
ある程度予測はしてましたが今日、母が入院前に通っていたデイサービスから「今のコンデションでは受け入れられません。お断りします。」といわれたようです。入院中骨折部位の治療に重点を置きすぎて認知症の部分。メンタル面が留守になり思った以上に進行させてしまったようです。実際、致し方ないとはいうものの高齢者に3ヶ月の入院生活は酷だったと思います。進行しないように気を使ったつもりですがベッドで天井を見て過ごす時間が一日の大半という日が何日も続き、食も進まず挙句嚥下障害を恐れてミキサー食にした期間もありました。2者択一。どちらを優先するか?自問自答の中、思わぬアクシデントが続いてその都度入院日数が伸びたのも堪えました。遅いかもしれませんが少しずつ以前の環境に近ずけ。リズムを取り戻し病気の進行を抑えたい。誰の言葉だったか思い出せませんが
「今日できたことが明日も続きますようにと感謝しながら介護して、今日できなかったことが、明日できますようにと心を込めて介護する」