その後 もうちょっと考えて思いついた話をするよ。
土用というのはこの図でいくと
赤いラインの手前の時期だ。
赤いラインは不動宮のど真ん中。
不動宮、動かない。静か動かでいえば静です。
赤い×は静の十字なんですな。
そこに注目して「土用というのは静の時間だから、あんまり動きなさるな」というのも、ひとつあるかもしれないなと思いついたよ。
確かに考えてみれば 真ん中を過ぎると意味合い・性質が違ってくるところがあるから、それで不動宮の真ん中の手前なのかもしれない。
たとえば獅子座でも、後半の度数だと そこまで自分を出そう出そうとはしていなかったりします。
余談でした。
こちらは「やってもうた」のブログ記事に書いてもらえたコメント。
「庭木を切るのは彼岸までにせなアカンとか」
「彼岸に切ると枯れやすいのだそう」
おおお…!
お彼岸は 春分と秋分くらいだから、静の土用とはまた違う 動の時間だけど、
あの世とこの世、高次の非物質の世界と この物質の世界の間に 通路ができているのは同じ。
お彼岸に剪定して枯れてしまった木は、この世からあの世への流出して、神さまへのお供えものになったのかもしれませんね。
なるほど…!
奇門遁甲(きもんとんこう)を知らなかったので調べてみようとしました。
難しそうだったので 深くは読めていないです。
サラッとだけ見ました。
「土用の期間だけど、この日は問題ないです」という間日(まび)の話もあったから、そういうのと似た雰囲気のタイミングを調べることもできる知恵 という感じか…
私たちは強欲なので、つい「運がよくなりますように」「神さまが◯◯に力を貸してくれますように」と 私たちがなにかを得られるようにお祈りしたくなりがちだけど(笑)
反対に、この世の私たちからあの世になにか贈り物をしたいときにも、こういう時間を活用できるかもしれないな。
でも、物質ボディを伴ったまま あの世には持っていけないから、やっぱり「ありがとう!」みたいな心や祈りのエネルギーを送る感じになるのかな。
ほかにも…
「現実的な意味やメリットがあるのか分からないのに、わざわざそうする」というのは、神さまや天使さんのためにわざわざそうしているわけだから、
そこに費やした時間やエネルギーも「あの世に贈り物をした」というふうになるのかも?
どこかでそんな話を聞いたことがあるような???
私たちが理解できる意味やメリットは、私たち用の意味やメリットだから、神さま用のお供えものには向いていないこともあるかもしれない。
私たちには意味やメリットが分からないようなことをわざわざする というのは、なにかおもしろい背景あるかもしれないな。
「毎月◯日に 神社仏閣におまいりする」のようなことも、信仰やスピリチュアルなことに興味がなければ 意味やメリットの分からないこと… もっと言えば無駄なことに思えそう。
それを「もし神さまや天使さんがよろこんでくれるなら、自分もうれしいな」の心でやれたら、そういうのが贈り物にできるかも?
どうだろね。
お酒は、天使さんに贈ることができるかも(笑)
ひとまずここまで。
またなにか思いついたら書きますー