私はドラゴンヘッド牡牛座さんだ。

ドラゴンヘッド牡牛座さんは、自分の気持ちをなんて言ったらいいか分からないときは「自分の気持ちをなんて言ったらいいか分からないんだ…」と言うことから始めよう。

というのは、故ジャン・スピラーさんの教えだ。





たくさん考えた。多少寝込んだ。




先日、ドラゴンヘッド星座と漫画・アニメという話をしたね。




作品には、作家さんの人生が表れるよ。

ドラゴンヘッドだけじゃない。

作品の中の登場人物に、作家さん自身のいろんな性質が 表れて・現れていることもある。



自分の作品がいいように使われることを
仕事・ビジネスとして割り切れる作家さんもいると思う。

でも、そうじゃない作家さんだって多い。
自分自身の歩んできた道のり、もがきながら得てきた宝物、どうにかして突破口を見つけられないか今ももがきながら自分の中で闘っていること…

ドラゴンヘッドたったひとつに注目するだけでも 作品にはあんなに表れているんだ。


このブログを読んでくれているみんなは、ドラゴンヘッドをどんなふうに感じるかよく知っているから、
まるで自分のドラゴンヘッド化の経緯を描いたような作品に どれほどの思いや重みがあるか、想像できると思う。

そうやって生み出された作品には、たしかに命が入っているんだ。



アニメ化やドラマ化や実写化がいけないというわけじゃない。
映像を作る人が 作品や作者さんの心をすごく分かって、共感して、感動して、それを映像だからこそできる表現にすることで、もっとすごいものになることもある。
ほかの人の心と手を通して、さらに深く 美しく おもしろくなる。
それは本当に素晴らしいことだ。



それを「大事にするよ」と約束したのに 踏みにじられることは、自分の人生や命を汚されたように感じられてもおかしくない。

踏みにじってよいものと思い込んでいる体制を通さないと 作品を世に出せないのは、
「自分が自分でいてはいけない」を突きつけられることで、
「死にながら生きろ」と言われているようなもので、

これまではそうだったとしても これからはそうならなくていいように世の中全体が変わろうとしている
その最中に こんなことになってしまって、苦しい。




占いでこんな話をしてはよくないようにも思う。

占いは、「たかが占い」「占いなんてバカタレ」と思われているくらいでちょうどいいところがある。

占星術は天王星が象徴する領域のもの。
(海王星なこともあると思うけど)
たくさんの人に受け入れられてしまったら土星領域。
みんなに受け入れられちゃったら、それは占いの真価を発揮できない占い。

占いは「バカタレ」でいるくらいがいいんだ。

バカタレなのに、占いの観点からこんな話をするのは、失礼なことだと思っている。申し訳ない。


でも、私も占いに人生の時間や 私の生命を少なからずかけている。
バカタレではあっても 不真面目な気持ちでこんな話をしているわけではないのは、分かってもらえると思う。




「冥王星水瓶座の時代が進む追い風になる」
「魂はよろこんでいる」
「全惑星意識は 惑星意識の上に 不死である」
なんて、言ってしまいたくないときだってある。

それが結果的には、本質的にはそうだったとしても、というか、本質的にはそうなので、
だからこそ、そんな話は今 私がしなくていい。




『セクシー田中さん』に関わることだけじゃない。
漫画や映像に関わることだけじゃない。

人の人生を踏みにじらねば守れないものも、これまで続いた大きな組織にはあったんだろう。

それがいかにつらいことであるかを
改めて目を向け 捉え 腹に落とし直して
組織として方向転換することは

組織にアイデンティティをくっつけている人
組織やこれまでの体制に守ってもらって暮らしている人にも
死ぬほど苦しいことだと思う。

大きな組織の側も、今、死ぬほど苦しいところだと思う。



多少の遅かれ早かれはあっても 方向転換は起こる。

方向転換の時流に自分が巻き込まれないように
組織の甘い汁を吸いながら先延ばしして 自分が寿命を迎えるまで逃げきってしまいたい気持ちも分かる。

でも、もう、そう長くはもたないんだ。
もう、それではダメなんだよ。



「魂の…」とか「高次元…」とか「浄化…」などというと、いいこと・うれしいことのように聞こえるけど、その道のりはうれしいばっかりじゃない。

変化に抵抗すればするほど「大変動」になる。
理解して自発的にコツコツ進めると 変化はマイルドになる。
進化占星術のジェフリーさんの話にもあったね。

こういうしくみをちょっとでも知っていれば いくらか違っただろうか…


全員にこういう占いや考え方を知ってもらおう・やってもらおうとするのは暴力だ。
でも、こんなことになる前に 私にもできることがあったのではと悔いている。

悔いるべきではないことくらい知っているけれど、悔いさせてよ。

悲しく、歯痒く、どうにもやるせないんだ。


こんな事件ではなく もっとどうでもいいような出来事を取り上げて こういう話ができればよかった。







スピリチュアル好き、精神世界好きのみんなはこんなふうに思わなくていいんだ。
多くのメンターさんが言うように、変わった先のありように心を躍らせるのがいい。

私はたぶん 終わっていく時代に心を寄せ 涙を流すことを兼任しているから、こういう話をするんだと思う。





寝込んでいる場合ではないのにね。
この変化の時代、私は寝たきりになりそうだが、さすがにそんなわけにはいかない。


あれこれ勉強したことを「知らなきゃよかった」とは思わないけれど、あっちの事情もこっちの事情も両方分かってしんどいときはある。

「あっちの事情だけになるべし」というのは ひとつの正しいありようでもあるけれど、
私は両方が見える場所にいることにしている。

そのおかげで見えるステキな景色も、いつもたくさん味わわせてもらっている。

私もみんなも、できるだけしんどくないのがいいというのが 私の本心だ。
でも、私には変わりゆくことの痛みに涙するしんどさがあってもいい。





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つらい出来事の一つ一つに心を持っていかれると もっともっとたくさんの出来事にも心を持っていかれる窓があいてしまいそうで、こうならないようにしていたのだけど、漫画やアニメのことは どうにもスルーできず。

私は、漫画やアニメに同一化をしていたのかもしれない。

同一化、つまり自分とくっつけてはがれないくらいになっていると、それにまつわる出来事が「自分ごと」になって スルーできない。

ひとえに、私の修行不足だ。


ちょっと、しばらく私の心が不安定になるかもしれないけれど 私は不安定なままでも歩けるので このまま行く。