相手と一対一の関係を育てるには、自分がいないと一対一にならない。
自分がいてこその「一対一」だ。
という話をしたけれど、
でも、これは相手と自分の順番が逆になることもある。
相手がいてくれたおかげで、自分に気づけた!
そういうこともある。
自分ひとりでいるときは 自分がどんなことが心地よくてどんなことが心地よくないのかどうも曖昧だったり、
そこそこの心地よさは知っていても ほかにももっと自分を喜ばせられる何かがあることに気づけなかったり…
そこから、相手と暮らしを共にするようになって「それだけは勘弁!」というものに気づけたり
「あなたのそのやり方、私もすごく気に入った!」ということもあるあるだ。
この宇宙に自分だけしかいなかったら、自分は自分のことを「自分」と認識できるだろうか。いや、できない。
自分と 自分ではないものがあって、それを比較することで初めて自分を認識することができるのだ。
という考え方もある。
↑この画像のように白と黒が分かれていなかったら 人の顔も壺(?)も見分けがつかない、というのと似ている。
私はこの考え方を絶対の真理とするのはあまり好かないのだけど、それでも我々にそういう側面もある、そのようにも感じ得るのはたしかだと思う。
比べないと分からないなら、不幸な経験がないと幸せを実感することはできないことになっちゃう。
幸せを実感するのに 必ずしも不幸なことをたくさん経験する必要はないと思う。
我々は リアルに体験しなくても、想像することができるから。
本当に、想像は創造に通じると思うよ。
(実は、想像とリアル経験は別物ではなかったりもする。
思い浮かべたことは 脳みそは「実際に起きたこと」だと認識する…という話を聞いたことがあるんだよね。
もうちょっとスピリチュアル寄り(?)に言うなら、「想像したことは既に本当に起きていることだ」になる)
相手がいてくれるおかげで自分が自分に帰っていける。
前にお届けした占い練習でも そういうふうに読めるケースがあった。
「自分」「アイデンティティ」を教えてくれるポイントが、「相手」「パートナー」のような場所にあると(例:アセンダントが天秤座にあったりすると)
自分は相手っぽい。
相手の姿に自分に関する大事ななにかを見出すことがありそう。
さらにそこにドラゴンヘッドのような「これからの自分のありよう」を教えてくれるものがあれば、
相手との関係を大事にするようになるし、それを通して自分でも知らなかった新しい(あるいは本来の)自分に気づいていける のように読める。
練習台No.1さんもこれに近い雰囲気でした。
ロマンス的な意味でドラマチックな出生図だ…!
同じ天秤座的な「一対一」のありようでも、だいぶ雰囲気が違ってくるねぇ。
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No.10さんにもヨッドがあった!
天才だらけです(笑)