先日は高市首相都合による突然の解散選挙で雪の中の選挙となった訳だが、その道中で運悪く雪に足を滑らし自転車のハンドルに身体をぶつけて蹲ってしまった。その時、真っ先に考えたのは「やべっマイナ保健所も資格確認書も持ってないや」そのまた前日に会社の健康診断に行った際に保険証を提示すると「使えないので忘れたって事で処理しておきます」と受付で聞いて「やべっ資格確認書って送られて来たはずなのに広告だらけの郵送物に埋もれてるかも」と焦ったばかりだった。とりかく最近は政治屋の利権都合で我々の生活は煩雑になっている。フリーランスとして現場に関わるのを止めて特定の企業に所属したのもインボイスの複雑な事務処理を避けての事だった。「インボイスで徴税したいなら欲しいなら勝手に持って行け」とか「マイナンバーカードで個人を管理したいなら勝手に監視しろ」とか思う訳だが、それすら国民に負担させる。それこそ夜中に泥棒が家主を起こして「盗品を持って帰るのが手間だから見繕ってくれ」と頼むようなものです。この国には管理能力すら充分にないと露呈しています。このように我々の生活は法律の枠を変えられる事でどんどんブルシットジョブが増えて不便になり無理ゲーへと追い込まれる。それは同調圧力を振り回す大衆の中にある傲慢過ぎる勘違いによって日常生活に実装されています。
社会秩序は何によって成り立つのだろうか。フレデリックワイズマンの『法と秩序』ではゴミウヨ代議士が法の重要性を解く熱っぽい演説をする訳だが、その執行が弱者を苦しめるという行政執行の結果の一例がラストシーンとなっています。それこそ流行で保守を名乗る人間の多くが勘違いしてる事だが我々の生活と社会秩序を守っているのは法でも技術でもない。そんな細々とした観念は現実に追い付けない。その事実に対して謙虚であるのが保守であり傲慢であるのが革新派である。この社会の秩序は一割の暴力と九割の善意によって成り立っている。それがなければ資本社会は機能しないという真理をベースに語っているのがマルクスの『資本論』における分析であり、それ以降のマトモな経済学者であれば、その点だけは誰もが当然の如く肯定しています。だが現在の日本のゴミウヨは戦後のクソパヨがベースなので法への傲慢過ぎる妄信の中で法に外れない限りにおいて自己利益を最大化して、その卑しく稚拙な目的意識が誰にとっても当然なのだと勘違いしている。そんな卑しい連中は欧米人と親米売国奴だけなのにプーチン氏やハメネイ氏や習近平氏という倫理道徳知性がある東側の指導者ですら自分たちと同じクズであると勘違いしています。クズは西側諸国民だけであると自覚せねば物事は正確に捉えられません。
それこそ人間の頭の良さは善意を元にした感情の働きによって決まる。それだけに実質的に社会主義の失敗体験という社会資産を持つ中国ロシア等の世界最先端の先進国は時間を味方にした4次元で物を考え、それを見習うアジアやアラブやアフリカの賢明な諸国は三次元で物を考えるが、それより劣る今の欧州は2次元=平面でしか物を考えられなくなり、それより更に劣る米国は線でしか物を考えられず、それを真似するだけの土人蛮族である日本人は「快」と「不快」の二項対立である点でしか物を考えられていない。CGのパラメーターに例えるなら4ベクターかブールか位の差がメタフィジックな次元の意思決定能力にあるのだ。ただただ「快」の為に屁理屈をこね回して自分が賢いと思い込んでる日本のエリートは完全に終わってます。その事実に謙虚になれない勘違いがブルシットジョブを大量に生み日本社会は無能化を加速しています。いやむしろ事実に気付きたくないだけ。そもそも日本人は元々は中国人同様に欧米人と違って道徳的で頭が良かった。だが大東亜戦争で空襲と原爆の恐怖に捻じ伏せられ正義の貫徹を禁じられた。つまり道徳的判断は欧米人の金儲けの都合に捻じ伏せられているのが現状です。それに対してストックホルムシンドロームにかかって「自由民主主義こそが正義なんだ」とあり得ない理屈で自己催眠をかけている。だからバカになる。その証拠として病院の窓口では「保健所忘れとして処理しておくので資格確認書を持って来れる時に持って来て下さい」と現場の常識と善意によって問題は回避された。この資格確認書自体も中央政権の横暴に対し自治体や医者の庶民への「思いやり」が対峙してるから成立しています。この社会は法ではなく不条理へ抵抗する「暴力」と、他者を守る「善意」によって成り立っている。それを自覚して盗人侵略者である鬼畜米に抵抗する所から始めなければ日本社会の復活はあり得ません。