アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

平面CG

 

 

SHORT PEACE

 

大友自身の監督作と昔書いた短編を含む割と最近のオムニバス。いかにも実写畑を経験して戻って来ただけあって制作コストの合理性からかセルではなく3DCGを駆使した映像になっていました。オープニングシーンを除外すれば4本の短編で構成されていて特に一話目は何とも思い切り良く3DCGの特色を残しています。とある浪人が山道の祠で勿体ないお化けに襲われるってな内容な訳だが主人公のモデルがローポリで、そこに張られたテクスチャ自体も大胆にディフォルメされていて筋肉の筋がまるで落書きのよう。この思い切りの良さが逆に個性に見えてしまうから不思議なものです。

 

そして大友自身の監督作は絵巻物を模したスタイルで静止画が多くてAE等の平面処理ソフトで部分的に動かしたって感じ。ラストの大友原作エピソードは一見最もアナログなセルっぽい絵ではあるけれどロボットの立体的な動きとか所々でいかにも3Dをトレースしたような動きが見られました。つまり総じてかつてジャパニメーションの三大巨匠と目されたアナログアニメ世代の大友監督がデジタル中心のアニメに踏み込んだって所。確かに『スチームボーイ』の時にも既に3DCGを使ったであろうシーンはあったが、こんなにも露骨にデジタルメディアを駆使した作品を撮る事になるとは思いませんでした。

短編が多い大友アニメ

 

 

MEMORIES

 

ジャパニメーション界の三大巨匠としてパヤオと押井と並んで大友がもてはやされていた頃に公開されただけに当然3話のオムニバスでも大友パートだけを目的に見に行った。やはり一話目が大友作品を思わせる細かいデッサンで誤解させるが実際に大友がディレクションしているのはユルキャラ的な無声アニメパート。これ系の作品だってできるんだぜと引き出しの多さをアピールって所だろうか。    

 

 

老人Z

 

手塚治虫はしりあがり寿を真似できないと驚嘆しながらも大友作品に関しては自分でも描けるという程度の評価だった。ただデッサンのディフォルメを少なくする大友の画風は確かに誰でも真似し易く、この手のタッチのマンガは今でも青年誌に少なくない。その手の写実が醸し出すシニカルさが上手く内容にマッチしていた大友マンガのアニメ化。確かに少しでも絵心があれば誰にでも描ける絵だ。    

 

 

迷宮物語

 

大友が本当に面白いと感じたのは今作が最初で最後だった気がする。やはり昭和のハイスピードな近代化や手段を択ばない発展への狂熱が生み出す禍々しい即席のポンコツ感があるインダストリアルなテイストの背景で『ぼくらはみんな生きている』みたいに他国でエキセントリックなまでに仕事に執念を燃やすサラリーマンの悲哀が何とも皮肉の効いた設定になっていて藤子F不二雄の短編"気楽に殺ろう"みたいな見事なオチが付いてる。そんな3本目の面白さとは裏腹に前2本は前座にもならないつまらなさ。りんたろうは『幻魔大戦』川尻は『幼獣都市』と当時は禍々しい大人向きなアニメで知られていただけに尖ってはいる訳だが、まるで学生の実験アニメみたいな1話目と熱血劇画のクライマックスだけをエグく表現したような2話目は時代の空気感だけは象徴できているものの内容は薄く必要性を感じなかった。

価値観が違う

 

 

小林さんちのメイドラゴン

さみしがりやの竜

 

現在の京アニの二大看板といえば独特のセンスが毎回話題になる山田尚子と代表的シリーズを豪華に盛り上げる石原立也って所だろうか。そんな超王道な石原氏にしては少しばかり隠れた傑作と名高い本作品も監督してるとは少し意外だった。むしろ「空気系」というジャンルを産んだキララのような世界観でさり気なく名作を生み出していた京アニの中において石原作品の多くはキャッチーでリッチな演出で目立ちまくっているという印象だっただけに。このシリーズにしてもトンデモ設定ではあるが基本的に空気系のように主に日常を描くシリーズであり本来あまり目立たないジャンル。…のはずがこの映画版に関しては、ある意味懐かしの「大長編ドラえもん」のようでTVシリーズでは日常をやってたのが映画になるとバトル展開ってパターン。まあTVシリーズも所々にバトル展開がありながら愉快な面々が増えてゆく訳だが。その意味でやはり今作も石原作品らしいリッチ感があって彼の作品に期待する所を存分に満たしてくれました。この映画版は主人公たちの家に居候している幼女キャラの家庭事情が描かれていて陳腐な展開でありながらも親子のドラマに号泣させられてしまいました。

 

この作品の核となる部分はやはり人間と竜の価値観の対立だろう。とにかく竜という個体は単独でも最強だけに群れて外敵から身を護る必要がない。それだけに親は子を放っておいても滅多に死なないと分っている。そんな親子の在り方に小林さんは人間の価値観で「このネグレクト親父め」と少し見当外れの批判をする。むしろ守り合わなきゃ生きられない人間の価値基準より自立した竜たちの方が真っ当にも思えます。ただ昨今のネオリベ的価値観の人種は自分が竜であるかのような傲慢な幻想に囚われ恩を忘れ卑劣になるって傾向があり脆弱な人間の分際で自立してるかのような妄想で見下すバカが多くて困ります。ここに登場する竜たちはそんな傲慢なだけの現代人と違って最強故に自立してる訳だが、それでも居場所や情を求める。それに対して小林は常識的大人の価値観で応える。そんな当たり前の感情が普遍的に胸に響く。どんなに最強でも生き物は寂しがり屋なのだ。それを埋めてくれる相手に恩を感じないサイコパスの中に生きていると当り前の事が尊くすら感じます。どんな関わり方であるにせよ、そこに相手がいてくれる事に一番安心する。その気持ちには素直でありたい。

脳筋シナリオ

 

 

劇場版 風都探偵

仮面ライダースカルの肖像

 

昭和ライダーが子供向けだったのに対して日朝の平成ライダーシリーズって奴は初期は母親層をターゲットにする戦略があった。それ故にイケメン俳優を出しまくってトレンディドラマ化してた時期があり、その頃にキャスティングされた中からは後にオダギリジョーのような映画スターも登場した。これに味を占めた東映側はOB俳優への応援企画などもやってWからも映画スターは誕生した。そもそもWの企画は名優松田優作の代表作『探偵物語』へのオマージュが強くて、その前日譚に当たる本作もそんな村川透作品を思わせるような80年代的ハードボイルド感をベースにした世界観になっています。それだけに今や気持ち悪さすら感じるホモソサエティ的な価値観が異常なまでに浮いてる印象があってイマイチ乗れませんでした。この物語は本編Wの師匠に当たるスカルの活躍と後にWジョーカーになる幼少時代の主人公の師弟関係のドラマになっています。やっている事自体は平成ライダーと変わらず子供騙しなんちゃって感満載な訳だが舞台となる風都に対する郷土愛や人情味的な所は嫌いになれません。

 

ただ本作をわざわざアニメでやる意図って設定された時間実に対してキャスト陣が年を食い過ぎたからだろうか。インディジョーンズシリーズは『運命のダイヤル』で露骨にCG補正してハリソンフォードを若く見せていた訳だが、その手の処理をしてでも、やはりアニメではなく名優の顔が見たい。とにかく平成ライダーシリーズは良い味があるイケメン俳優を量産していて現在の日本映画界の顔となるような役者が多く今作のフィリップを演じた菅田氏も青山、福田、山崎、瀬々などというヒットメイカーの様々な注目作で見かける大スターに凱旋出演的に久しぶりにフィリップを案じて欲しかった。ただやはり本シリーズは男の子向けのコンテンツだけに古い美学的な側面が台詞に出まくってる感じで大真面目に云ってる台詞に失笑してしまいます。この手の特撮ヒーローものってジャンルは作ってる連中がとことん脳筋って印象を受けます。それこそ無意味にうさぎ跳びをする昭和のスポコンみたいな価値観。郷土や下町人情みたいな昭和の価値観には大いに共感するがホモソサエティ的ななんちゃって競争社会で勝った気になってるゲロ親父的価値観にはドン引きです。この手の連中は精神年齢が小学生レベルで止まってるのではないかという印象すら受けてしまいます。

女を武器にするって技は諸刃

 

 

LUPIN THE IIIRD

峰不二子の嘘

 

スピンオフシリーズ第三弾の主人公は峰不二子。悪徳企業から横領した資産を巡ってヒントを握った少年を欺こうとする。ただ相手は子供だからいつもの色仕掛けは通用しない。ここに仕掛けられているのは疑似家族のドラマ。そこには自らの母性本能すら欺いた女性のほろ苦い悲哀の情が残される。この少年だけでなく企業側から差し向けられた人造人間らしき悪役も女性に免疫がなく、そいつに対しても恋の罠を仕掛ける訳だが、そこでも峰不二子の母性を感じさせる側面が見え隠れする。セックスアピールに惹かれて性欲だけで集まる男たちを手玉に取るのとは違って、そこに愛情を塗したトリックは仕掛けた方にも精神的ダメージは大きい。

 

そもそも情欲を利用して異性を騙す行為は諸刃の刃であり、いくら依存心を断った所で、やはり孤独感は深まってしまうのだ。そこを短期間で吹っ切れるしたたかさが女性の強さって所だろうか。そんな彼女の心境を完全に把握してるルパンのあえての三枚目っぷりは女性への慰め方として見習わねばならない。そんなドラマ的な側面からすると三本のうちで今作が最も面白かったが、この作品では前二作の悪役を仕掛けた組織が悪徳企業のバックにある事が少しずつ明かされながらも、その謎に関しては中途半端な所で終わっています。

肉を切らせて骨を断つ

 

 

LUPIN THE IIIRD

血煙の石川五ェ門

 

最近はTVシリーズでもリニューアルして峰不二子のスピンオフとかをやってる今シリーズだが、この映画版は五右衛門にスポットを当てたスピンオフ。とはいえお馴染みのキャラは全員登場する訳だが。ただ時間軸は最初のTVシリーズ初期に描かれてる頃で、まだルパン一味に五右衛門が加わってなかった頃の話。元特殊部隊の木こりを相手にマフィアの用心棒をやってる五右衛門が戦い、それをマフィアの船を襲ったルパンと五右衛門がお節介にもサポートするってな内容。

 

比較的リアリズム路線でグロティスクな見せ方をしていてアクションシーンで結構平気で人体裂断みたいな描写があったりします。それも木こりと五右衛門の死闘は特にエグくて斧で肩の肉が削ぎ落ちたりして、あまり子供に見せたくない過激なヴァイオレンス。やはりターゲット層がオールドファンだから大人向きの刺激が強い味付けなのだろう。それこそ宮崎路線とは逆にダーティさを強調したような方向性。子供の頃に見たTVシリーズ第一期やパイロット版の再放送とかも結構過激な表現があったけど画力や画質が今ほど鮮明ではなかった事もあり、ここまでエグくはなかった。やはり大人目線で見ると荒唐無稽な話である事には変わりがないのだが、ヴィジュアル的によりハードになった感じ。

そして人造人間へ

 

 

LUPIN THE IIIRD

次元大介の墓標

 

五右衛門に続いて次元にスポットを当てたスピンオフ。ただ次元はルパンの相棒で常に一緒にいるので他のシリーズとあまり変わりはない。この作品に登場する悪役は自信家の殺し屋で殺すよりも先にターゲットの墓を作っておくって事でこのタイトル。それに加えて機械いじりが得意なようでモンスターみたいな巨大ロボットが登場したりもします。このロボットが藤子を襲うシーンで出す巨大ドリルは強姦魔の男根を象徴するかのようです。どうせ大人向けに作るんだったらアダルトアニメみたいに触手責めのサービスシーン位あっても良さそうなものだが、そこはアニメ屋の妙なプライドのハードボイルド気取りを崩しません。

 

このエピソードはどうも劇場映画第一作の直前を舞台にしてるようで、あの悪役がちょこっと登場したりもします。そこがオールドファンとしては最も嬉しい所。最近の今シリーズはそういった意味でも一見さんお断りで昭和末期世代だけを明確にターゲットにしてる感じ。ここまでシリーズが続くと、いくら登場人物がピンチになっても絶対に死なないという安心感を持って見ていられるからサスペンス的なトリックの面白味を半減させてしまう訳だが。それこそ過去エピソードである時点で絶対に登場人物が死ぬ訳ないし。そんな先入観をブチ壊してくれる深作欣二の『柳生一族の陰謀』みたいな展開の作品もあれば見てみたいものだが。

閉塞突破もどき

 

 

えんとつ町のプペル


お笑い芸人が描いた絵本を4℃がCGアニメ化って事で話題になっていた吉本資本の商業映画。崖と海と煙に閉ざされた街で廃品人間に出会った少年が父の想いを継いで外の世界を目指すってな内容。背景からして閉塞感に満ちた時代性を捕えようと色々詰め込んてる感じ。それこそ街が孤立した事情の中でデフレ対策として朽ちる金貨を発明した人が虐げられるって、ちょっとMMT論者を意識したような設定が盛り込まれています。いや軍事も含め公共事業への財政出動は必要だが、その元となる生産力は既に棄損されまくりアベノミクスが最後のチャンスだったが無能企業への株式投資に溶かしちゃって終了。円の価値は失われスタグフレーションに陥った今では打つ手なしです。ロスジェネ以降の実力社会で生きている若者はなる早で海外脱出しましょう。それで既得権世代が餓死しても構う事はありません。それこそ日本を食い潰した負け犬世代の自業自得ですから。そうやって脱出しようとする若者をクソガキ老害どもが卑劣なメディア戦で洗脳し奴隷化を続けている現状を象徴するかのような構図の作品です。

 

「お前なんか何処へ行っても通用しない」は嘘です。そりゃあんたら老害は無能な負け犬だから既得権の外側には一切通用しないだろうけど、うちらロスジェネ以降の世代は実力で海外から仕事貰ってますから。もう国内企業は用なしです。さっさと倒産手続して首括ってください。そうやって若者たちは親米売国奴によるデマゴーグの煙で覆われた海の向こう側へどんどん旅立って欲しいものです。そんなテーマ性は悪くない訳だが王道過ぎる物語展開に強引に持って行こうとする予定調和が目立ち過ぎます。それこそ最初は少年をバカにしていたガキ大将が気球のアンカーを外すのに一生懸命になっている描写はお涙頂戴の意図が露骨だが、そもそも色々と準備する時間があったのだから浮上までに時間かかり過ぎでしょ。クライマックスの大立ち回りを盛り上げようとするご都合主義的な意図が露骨過ぎます。とにかくこの閉塞感を突破したい気持ちだけは伝わって来たが、このアニメのようなご都合主義は世界には通用しません。

野生児

 

 

エスカフローネ

 

菅野よう子といえば、かつて久石譲や川井健次と並んでジャパニメーション音楽の三大巨匠と呼ばれた。ただ久石や川井はあくまでもスコアがメインで歌モノはあまり多くなかったが、この菅野は基本的に主題歌の作曲がメインになっていて、その後"創聖のアクエリオン"の主題歌がランティスのオーディション課題曲になった程。今作では、あくまでもスコア中心に作っている訳だが、それでもコーラスがやたら多くて、クライマックスではタイトルを連呼するような曲さえあります。よほど人の声が好きな作曲家なのでしょう。そんな菅野がサンライズアニメに参加した初期の代表作を今更ながらに拝見。今で云う所の異世界モノの設定な訳だが、この頃の異世界のイメージはもっと禍々しくてシリアスでリアルな感情に直結してたりもします。

 

スポーツで挫折して自暴自棄になったJKの感情に異世界の破滅衝動が共鳴して彼女を異世界に引きずり込む。そこで彼女と出会った異世界の少年に助けられ旅するうちに彼女が抱えた闇に変化が生じ始める。この異世界には込み入った戦の歴史があって少年はエスカフローネなる最終兵器を使って敵を倒そうとしてる訳だが、その兵器は世界自体を滅ぼすと云い伝えられた物騒な代物らしい。その手の設定の作り込みはドラマの芯となる部分に対して無駄に複雑に作り込み過ぎている気もするが、TVアニメシリーズの映画版ってのは往々にしてそんなもの。きっとTV版の方ではその設定もちゃんと機能してるのだろう。マンガは設定よりキャラが重要とよく云われる訳だが、この作品のキャラは紋切り型が多い。ただ冒頭から単独で飛行艇を襲い暴れまくる少年の凶暴さはなかなか気に入りました。これが兄に滅ぼされた国の王族って設定なのだが、その暴れっぷりはまるで野生児。昭和の香りが残るヴァイオレンス表現は今見てもカッコ良い。

先日は高市首相都合による突然の解散選挙で雪の中の選挙となった訳だが、その道中で運悪く雪に足を滑らし自転車のハンドルに身体をぶつけて蹲ってしまった。その時、真っ先に考えたのは「やべっマイナ保健所も資格確認書も持ってないや」そのまた前日に会社の健康診断に行った際に保険証を提示すると「使えないので忘れたって事で処理しておきます」と受付で聞いて「やべっ資格確認書って送られて来たはずなのに広告だらけの郵送物に埋もれてるかも」と焦ったばかりだった。とりかく最近は政治屋の利権都合で我々の生活は煩雑になっている。フリーランスとして現場に関わるのを止めて特定の企業に所属したのもインボイスの複雑な事務処理を避けての事だった。「インボイスで徴税したいなら欲しいなら勝手に持って行け」とか「マイナンバーカードで個人を管理したいなら勝手に監視しろ」とか思う訳だが、それすら国民に負担させる。それこそ夜中に泥棒が家主を起こして「盗品を持って帰るのが手間だから見繕ってくれ」と頼むようなものです。この国には管理能力すら充分にないと露呈しています。このように我々の生活は法律の枠を変えられる事でどんどんブルシットジョブが増えて不便になり無理ゲーへと追い込まれる。それは同調圧力を振り回す大衆の中にある傲慢過ぎる勘違いによって日常生活に実装されています。

 

 

社会秩序は何によって成り立つのだろうか。フレデリックワイズマンの『法と秩序』ではゴミウヨ代議士が法の重要性を解く熱っぽい演説をする訳だが、その執行が弱者を苦しめるという行政執行の結果の一例がラストシーンとなっています。それこそ流行で保守を名乗る人間の多くが勘違いしてる事だが我々の生活と社会秩序を守っているのは法でも技術でもない。そんな細々とした観念は現実に追い付けない。その事実に対して謙虚であるのが保守であり傲慢であるのが革新派である。この社会の秩序は一割の暴力と九割の善意によって成り立っている。それがなければ資本社会は機能しないという真理をベースに語っているのがマルクスの『資本論』における分析であり、それ以降のマトモな経済学者であれば、その点だけは誰もが当然の如く肯定しています。だが現在の日本のゴミウヨは戦後のクソパヨがベースなので法への傲慢過ぎる妄信の中で法に外れない限りにおいて自己利益を最大化して、その卑しく稚拙な目的意識が誰にとっても当然なのだと勘違いしている。そんな卑しい連中は欧米人と親米売国奴だけなのにプーチン氏やハメネイ氏や習近平氏という倫理道徳知性がある東側の指導者ですら自分たちと同じクズであると勘違いしています。クズは西側諸国民だけであると自覚せねば物事は正確に捉えられません。

 

それこそ人間の頭の良さは善意を元にした感情の働きによって決まる。それだけに実質的に社会主義の失敗体験という社会資産を持つ中国ロシア等の世界最先端の先進国は時間を味方にした4次元で物を考え、それを見習うアジアやアラブやアフリカの賢明な諸国は三次元で物を考えるが、それより劣る今の欧州は2次元=平面でしか物を考えられなくなり、それより更に劣る米国は線でしか物を考えられず、それを真似するだけの土人蛮族である日本人は「快」と「不快」の二項対立である点でしか物を考えられていない。CGのパラメーターに例えるなら4ベクターかブールか位の差がメタフィジックな次元の意思決定能力にあるのだ。ただただ「快」の為に屁理屈をこね回して自分が賢いと思い込んでる日本のエリートは完全に終わってます。その事実に謙虚になれない勘違いがブルシットジョブを大量に生み日本社会は無能化を加速しています。いやむしろ事実に気付きたくないだけ。そもそも日本人は元々は中国人同様に欧米人と違って道徳的で頭が良かった。だが大東亜戦争で空襲と原爆の恐怖に捻じ伏せられ正義の貫徹を禁じられた。つまり道徳的判断は欧米人の金儲けの都合に捻じ伏せられているのが現状です。それに対してストックホルムシンドロームにかかって「自由民主主義こそが正義なんだ」とあり得ない理屈で自己催眠をかけている。だからバカになる。その証拠として病院の窓口では「保健所忘れとして処理しておくので資格確認書を持って来れる時に持って来て下さい」と現場の常識と善意によって問題は回避された。この資格確認書自体も中央政権の横暴に対し自治体や医者の庶民への「思いやり」が対峙してるから成立しています。この社会は法ではなく不条理へ抵抗する「暴力」と、他者を守る「善意」によって成り立っている。それを自覚して盗人侵略者である鬼畜米に抵抗する所から始めなければ日本社会の復活はあり得ません。