映画『延安の娘』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

適切なポジション

 

 

延安の娘


<池谷薫監督について>

監督本人は『蟻の兵隊』とこの作品の共通点を「真実を追い求める人間の姿」と語っているが、あえて客観的にフカンしてみましょう。共通するキーワードは中国、老人、記憶って所だろうか。つまりは20世紀の激動の時代の犠牲となった証言者たちが引退によって箍が外れて被害を訴え始めた。それを拾って彼らなりの決着の付け方を追って映画にしている。これが大まかには池谷監督の方法。本人も語る通りその方法によって見えるのは歴史の細部であると同時にそこに生きた個人。証言と正確な史実との照らし合わせをきっちり入れてる律儀さにはいかにもTVドキュメント業界で叩き上げられた真面目なスタンスを感じさせられます。

 

<下放について>

私の親の世代(1940年代生まれ)は当たり前に知っている時事だが、私の世代では学校の授業でも意外と扱われなかった中国近代史なので一応触れておきます。下放(下卿)とは文革の一環として毛沢東が推奨した政策のひとつ。都市部の学生たちを辺境の農地に送り込み開拓の肉体労働に従事させた。文革も末期になると上層部の腐敗で不正が蔓延り今では悪政のひとつとも認識されています。ただ経済自由化で第一次産業が廃れた事と人口爆発で陥っている現在における世界的規模の飢饉の現状を目の当たりにすると一概にこの政策が間違っていたとは決め付けかねます。辛い労働に耐えてでも開拓せねば誰かが飢えるのです。経済的な勢いを失いつつある現在の日本にとっては他人事ではありません。食品価格の高騰で低所得層の食卓からはおかずが減る一方。日本政府には弱者切り捨ての障害者自立支援法や後期高齢者制度で事実上の間引きや姥捨て山状態でツケを埋める前に願わくば農民をもっと優遇してニートや役立たず官僚を下放して第一次産業を活性化させて欲しい所。

 

<作品について>

この作品の映像はまるで劇映画みたいに撮られています。池谷氏によれば対象者が皆顔見知りで、その中でもメインに扱った男性が仲間内のリーダー格だったのでカメラに対して皆が協力的に演じてくれたそうです。当然ながらドキュメントなので本人が事実を再現していてアドリブも大いに使われています。それにしても多数のディスカッションでのカメラポジションの取り方はとても上手く色っぽい。恋愛御法度だった下法先で生き別れた娘と父親の再会をセッティングしてそこに関わる人々から下放の詳細を炙り出す。革命の聖地でもある延安は特に下放した若者への監視も厳しく女子の妊娠が発覚すると中絶させられたそうです。だから密かに生んだ子は農家の協力で隠された。異議を唱えれば反革命のレッテルを貼られ更に辺境へと飛ばされる。そうやって離ればなれになった人々が集まり過去を明かし溶かされてゆく蟠り。その一方で実際に革命を行った後期高齢者世代は笑いながら語る。「奴らが従事していたのは単なる肉体労働じゃないか、パルチザンとして呑まず食わずで山中に立てこもり実際に命をかけて革命を戦った我々の苦労に比べれば屁でもないわい」