アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

スマホは幼稚な玩具

 

 

迷宮のしおり

 

これまたYOUTUBERの嫉妬が織りなす現代病。作者は昔ロボットアニメで有名な人らしいがマクロスとかガンダムとか日本のロボットアニメって脚本が破綻していて品質が低過ぎるから仕事のリファレンス以外ではほとんど見ない。そんな訳で今作でもクライマックスには大した脈絡もなく巨大ロボット同士のバトルが展開して大いにシラケさせて貰いました。きっとロボットアニメのファンはこのバトルで喜んでいた事でしょう。とにかく話としては一緒にYOUTUBERやってた親友のコミュ力と可愛さにコンプレックスを抱いてる柔道少女しおりの人格が壊れたスマホの中に閉じ込められてしまうってな物語。現実世界では常識や羞恥心を失った新たな人格の自分が型破りな動画を撮ってバズりまくり。これまたネット社会に対する現代人の実感が出たような内容になっています。

 

かつて「悪名は無名に勝る」という狂気じみた煽りをした政党党首がいました。いわゆるアテンションエコノミーによる公共性への収奪の始まりです。それこそ法に触れなければ、いかに卑劣な事をやっても自分にはお得。信用という公共財産がことごとく破壊され日本社会はエンタメ地獄へと変貌します。そんな現状への実感があるからこそ閉じ込められた常識のある自分がいて、その一方で気に入らない物は全て排除する現実世界の狂気が暴走するってなパラノイアに陥る。なかなかSNSという凶器に対する切り口は悪くない。

 

だが中盤から色々とご都合主義が目立ち始め後半になると力技で無理矢理捻じ伏せたって感じ。それこそ一緒にYOUTUBERやってた親友との蟠りとか話として解決させておいた方が良さそうな所をテキトーに済まして派手なバトルに雪崩れ込む感じ。これだからロボットアニメ作るような脳筋の作品は萎える。それと何よりも違和感があったのが主人公しおりの中の人があからさまにアニメ声とはかけ離れてると思って見ていたら、やはりプロ歌手でしたか。いわゆる役者と歌手は同じ人気商売でも声の鍛え方が違う。それこそ福山雅治とか大友康平なんて初期は特に声が良過ぎて芝居が頭に入って来ない。そんな訳で役者を声優に使うのは賛成だが別の職種を引き摺り込むのは感心しない。まあ『風立ちぬ』の庵野に比べれば歌手の方がまだマシな訳だが。ヒロインと主人公を一人二役やる『遠井さんは青春したい』もヒロインが最後までオカマにしか見えなかったので声優的NG。

掲示板荒らし

 

 

遠井さんは青春したい!

「バカとスマホとロマンスと」

 

まあ低予算ながらにメタいネタやりまくって大爆笑させて頂きました。こちらも現代の時代性を捉えてSNSを中心にした内容になっています。アニメ「バカとテストと召喚獣」を思わせるような副題が付いてる訳だが笑えるって所だけ共通して全くの別物。「青春ロマンス部」なる意味不明の部活を始めた6人がSNSでバズって人気者になる訳だが一部の心ない者に貶められてクライマックスは割とシリアスにその犯人を捜すってな方向に展開します。これは一応は舞台が現代って事だが、ここで描かれるSNS社会って微妙に現代より感覚が古い印象を受けました。つまり『神は見返りを求める』とかに描かれる所まで腐り切ってはいない世界観なのです。それこそ吉田恵補とか石井裕也の近年の作品で絶望のどん底に叩き落されていると緩く感じるのです。それに前半部分は型破りのコメディで絵的な作り込みの足りなさは良い味になっていたが後半のシリアスな展開ではアクションが超ショボすぎてネタに見えてしまうという残念なクオリティ。ただ表現してる内容自体は極めて真っ当ではあります。

 

つまり「クズに何云われても関係ありません」が普通の人間の態度だという常識。近年ではこの常識すらコミュニティの崩壊や個人の砂粒化で怪しい訳だが。とにかく仲間以外の発する言葉は単なる雑音。常識がある社会は、そんな雑音は気にしません。ただ大衆の中には一定数クズがいるから「トランプは民主主義の敵」と煽られるだけで暗殺犯アローンガンマンになってしまうバカが割と大量発生するのでメディアの暴力は侮れない。あまりに下らないから自分は読まなくとも読んだ誰かがガソリンやナイフやお手製ライフルを片手に凸って来る事もあるのです。その意味であらゆるメディアは公害になり得るし現在の西側メディアは金儲けの為のヘイトポルノと化して完全に公害です。ここに描かれる愉快な高校生たちみたいな使い方は僅かなプラスの側面って所だろうか。どちらにせよメディア自体ではなく観客も生産者も性根が腐っている連中が大多数だからメディアは公害になる。それも最近じゃAIを入れる事で今までメディアに責任転嫁してたクズ連中がAIに責任転嫁する時代になった。ギャレスEの『クリエイター』に描かれたような卑劣な欺瞞を既にトランプですらやっています。それこそ我々の業界に例えるなら絵が下手な奴ほど筆のせいにするのと同じです。

お祈りメール地獄

 

 

不思議の国でアリスと

-Dive in Wonderland-

 

これもバーチャル体験のワンダーランドって事で設定は少しばかりVRメディアが進歩した近未来。時代性を作品に反映するのはコンテンツ生産者としては当然の事なので「社会情勢とか興味ないから」みたいな事を云ってる老害は大体無能です。ごく普通のJDが地方の裕福な親戚の家で新しく開業するアミューズメントのVR体験をするってな物語。基本的に原恵一の『バースデーワンダーランド』とかと同様に異世界へ行って何か学んで来ました系と同じでアリスと一緒に冒険するうちに自分の中にあった欺瞞に気付き始めるってな内容。何よりも時代を反映してるのは主人公が就活中で山のようにお祈りメールを貰い続けてるって所。我々の世代は世間から就職氷河期とか呼ばれてるけど、それは欺瞞です。もし就職氷河期なんてものがあるとすれば、それは我々の世代以降ずっと続いています。なんつっても一度も景気は浮上してないし浮上する理由もない。なるべくして日本経済は転落し続けているので今の若者が就活に苦しんでいないようには全く見えません。

 

この作品の主人公は見栄で行きたくもない大企業を受けまくってるから落ちるのであって本当にやりたい仕事なら働き口はあるってな示唆に至るって意味でこの作品自体が就活カウンセラーみたいな役割を果たしてる訳だが、この国にそんな事云ってられる余裕あんのか?ってのは大いに疑問。私は十代の頃から自主制作で低予算映画を撮りまくって映画祭での受賞作品も出した。それを片っ端から映像制作プロダクションに送ったが何の返事もなかった。これが氷河期以降の社会です。つまり運良く入れた前の世代がへばりついていて実力もやる気もあっても相手にされない。それでジャンルを映画だけじゃなく広告やPVにも広げたら拾って貰えて活躍の場を得たので世界最高峰の中国企業からも出資を得られるレベルまで来たと思ったら嫌中ヘイトのせいで台無し。とにかくマトモな人材からアジア企業に逃げちゃうから人手不足で人材力も低下。昔馴染みの仲間と何とか支えてるが人手が足りないからって間違ってバブル崩れの老害でも入れようものなら一気にブラック化して優秀な若者も逃げてしまう。この主人公が心を入れ替えて中小に就職できても近年の日本社会は倒産寸前の場末だらけです。どんなに誠実なマインドで仕事に向き合っていても終わってる日本社会じゃバカを見るだけ。アジア企業に逃げましょう。

テーゼだけ

 

 

劇場版プロジェクトセカイ

壊れたセカイと歌えないミク

 

遠い昔を思い出してみれば映像屋としてEXILEのMV関係の仕事をしていた時、偶然『TellTheWorld』のMVを見て「この表現力には敗けた」と思ったのが本格的に3DCGを始めたキッカケだった。そんな訳でそれなりに初音ミクというボーカロイドの作曲ソフトが作った文化には私の世代も思い入れがある訳だが、この作品に関しては「なんじゃこりゃ」と思わされた。むしろ『超かぐや姫』の方があの頃のボーカロイドの名曲をガンガンに使って盛り上げてくれた。この作品はハッキリ云って取って付けたような世界観と取って付けたような物語でありきたりなヒット作のテーゼだけをなぞってる印象しか受けませんでした。こっちも設定としては今よりメディア技術が少しだけ進んだ近未来って事になってる訳だが、そこには叶わない願望が含まれています。

 

このバーチャル世界への少しの進歩は10年ほど前ならば我が国の技術人材でも可能だっただろう。だが能力のある人間ほど日本企業の為に力を使う事がバカバカしくなった。どうしようもない無能連中が利権に諂ってポジションを得て進歩を妨害する。そんな無能なクソ企業が増え過ぎた。その一方でアフリカやアジアは中国の技術革新と共に一気に生活を変えた。マトモな実力を持った労働者がどっちと仕事をしたいかは明白。私自身も中国やインドやロシアやナイジェリア等の先進国以外の企業からは仕事を受けたくない。ジャップは勿論欧米企業も利権にへばりついてマトモに仕事しないゴミだらけだから契約しても平気で踏み倒して来る。こんな不誠実なクソ虫の為に作ってやれるコンテンツはない。だから西側商品は進歩どころか劣化する一方なのです。

 

それはさえおき今作の世界は最初のボーカロイド初音ミクが遥か昔の商品と化した時代の若者たちの所に歌を忘れたミクが突然現れる所から話は始まる。どうもこの世界もネットの仮想空間でSNS代わりに仲間と繋がれるらしく、そこにはリンレン等のボーカロイドも共存してるってな世界観らしい。ここに登場する若者たちは音楽をやっていたり演劇をやっていたりとエンタメ人材の卵ってな感じな訳だが、こいつらがミクの相談に乗るうちに負の感情の集積体と対峙する羽目になるってな内容。悪役がファジーな上に、それに対する解決策にもギミックがなく、ただ歌とダンスを見せる為にテキトーに話を作りましたって感じ。これならMVでも見ていた方がマシ。

変顔フィーバー

 

 

超かぐや姫

 

パブリシティ戦略の面からしても成功例として業界内では近年お手本にされている一例。内容的にも、お手軽に子育て体験って面があり氷河期以降、経済的に子供が作れなくなった現代日本人のニーズを捉えた内容。更に近年のネット動画文化を踏まえた内容でもあります。ここ最近は細田守の『サマーウォーズ』以降ヴァーチャル空間を舞台にしてアテンションエコノミー的な文化を中心に描く作品がどっと増えています。そんな中では一応、頭一つ出てるという印象を受けました。まあ戦略的に的確にニーズを捉えてるって意味での優秀さでしかない訳だが。いわゆる竹取物語の現代版って事で、かぐや姫はYOUTUBERとして大人気になりヴァーチャル空間で様々なイベントをこなすってな話。彼女を拾って育てた主人公は地味な優等生女子な訳だが、そのキャラを保つ為に血も滲むような努力をしていて、この二面性も現代的要素でありながら最初から爆笑の渦に巻き込んでくれます。つまり生き辛い現代人の共感を得られる要素がてんこ盛りなのです。ギャルキャラ天然のかくや姫と真面目な主人公のソフト百合要素ありのコント状態で話が進み最後には時空を超えた絆へと至る。

 

この作品の主人公は優秀だが完璧主義で時にオーバーワークして無理をしながらカツカツに生きている。このキャラは今の世代の実感が滲んでいるだけに共感が得られ易い。その生活に別の世代のトンデモ破天荒な相棒が転がり込む事で彼女の中に起こる変化って所も、それが時代を超えるって所も、この世代への救いの手に見えてしまう。もっとデタラメで良いのだ。きっと祖父母の世代はそう云った。きっと孫の世代もそう云う。カツカツの時代に生きると視野狭窄の中で最適化を目指し価値を感じられないままに日々を浪費する。それがコスパ最強だとかタイパ最強だとか勘違いしながら。そこに最適化されているのは無価値な基準である事にすら気付かない。それぞれに感じる価値は違うからモラトリアム期に試行錯誤を繰り返して自分が求める物が見えて初めて最適化の基準が生まれるのに可哀相な事に現代の若者はそのモラトリアム期すら奪われ指針の大元を腐らされている。いつ紙切れになるか分からない紙幣を貯めるより本能のまま大金叩いて旨いもん食って考えた方がコスパは良いに決まってる。とりあえず繕った笑顔見せるよりも感情剥き出しの変顔連発してた方が女の子は可愛い。

正論大魔王

 

 

劇場版総集編

ガールズバンドクライ

【後編】なぁ、未来。

 

ガールズバンド物で映画版が2作連作の総集編といえば、どうしてもほぼ同時期の『ぼっちざろっく』と比べたくなる所だが同じようなバンドあるあるがあるものの方向性は全く違う。つまり前者はほぼ空気系と呼べるコメディの覇権作だが今作はシリアス路線でガチでロック魂を見せようとしています。その構図は話が進むに従って明白になる。かつて主人公に事なかれ主義で生きるよう警告した腐れ縁の親友は先輩が作ったバンドでアイドル歌手的に成功していた。その一方でロック魂を捨てられなかった先輩は成功している自分のバンドを捨て主人公と合流し新たなバンドを作る。その対立関係こそ正に「大衆迎合のポップスVS腐敗を許さないロック魂」という構図になって来る。そして大衆迎合しない側は必然的に社会的弱者となり敵であるはずの側から手を差し伸べられる惨めさすら味わう。だが手を差し伸べたその敵の中には疚しさがあるのだ。そいつらは社会的に自分が勝っていても実力的に自分が負けている事を知っている。だから頑なに成功とは違う道を行く連中の存在価値が誰よりも分る。

 

この作品の主人公は確かに親に寄生し続けながら大人に反抗する半端者の甘ったれだ。だが卑劣な生き方に抵抗して何が悪い?それは浅慮な人間からは最近じゃ「中二病」とすら称される。ならばマトモな大人程、死ぬまで14歳の中二病だ。なぜ西側企業が無能化しているのか。それは既得権の中で幼稚化した企業が幼稚な席取り争いだけに興じて価値を産まなくなっているからだ。これが末期資本社会の腐敗堕落幼稚化である。そこから東側企業に視点を転じれば多くの大人が価値を産んでいる。しっかりと成長してる社会には大人がいる。その大人とは確実に責任を果たし問題解決能力がある人間の事です。だから問題解決能力すら持てない無能な人間に大人ズラされても軽蔑し唾を吐きかけるのが当たり前なのです。この主人公の父親はいじめ問題を隠蔽しようとした。それは責任を果たせない無能な大人の振る舞いです。まあ各方面に問題からのダメージを最低限に抑えるよう工夫する知恵も大人には必要だが、ただ怠慢でいる事をその知恵と履き違えてるクズが今の日本社会には多過ぎます。だから彼女のような迷惑な正論大魔王は今だからこそ必要なのです。「絶対負けてない」「間違ってない」「何一つ後悔してない」そんな風に歩める人間こそ本当の大人になれるのです。

負けたくない

 

 

劇場版総集編

ガールズバンドクライ

【前編】青春狂走曲

 

昔から上京して音楽やるってタイプの青春映画は腐るほどあって、それは今も変わらないって所を証明するかのように典型的なこの作品。逃げるように東京に出て来て、ひと昔前の作品の多くは生活の為に女を売るってな話になって来る所だが昨今のコンプラはそれ系のリアリズムを許さないのか憧れのミュージシャンに出会って健全にバンドを始めます。これがまた昨今のポルノキチガイ大衆に媚びてか憧れの先輩が至れり尽くせりで仲間集めてバンド活動に導いてくれる訳だが、それに対してこの主人公は、あんなに彼女の音楽に夢中になって憧れていた割には乗り気ではない。この主人公はまだ十代でトラブルを抱え高校を中退して大検を受ける為に上京したので勉学に忙しいのだ。そんな彼女だからこそ心の底からの叫びがあり、そのロック魂に先輩も魅せられて彼女を同じバンドに勧誘する。その一方で先輩の方はといえばバンド活動で成功して彼女が作ったバンドはスターダムを駆け上ったが、そこに大人の事情が入りアイドル歌手的なポジションを押し付けられ自分のロックな音楽性を追及できなくなった事に我慢できなくなり脱退。音楽に抱いた夢を捨てて帰郷しようとしていた折に主人公に出会って再びロック魂に火が付いた訳だ。

 

タイトルだけ聞くと昔ハリウッドでLGBTビアン映画に『ボーイズドンドクライ』って残酷なデカタンスがあったのを捩ったのかなって感じな訳だが、あそこまでシリアスな内容ではない。ただ主人公がまっすぐ過ぎる性格で学校でのいじめを許せなかった事からいじめのターゲットにされ、そんな理不尽に抵抗すべく学校を辞めたって所はそれなりにシリアス。まあ周囲の状況を見ると彼女が反抗した親は家を出た後も上京資金や生活費や学費なども支援し続けて、何とも甘ったれた経済環境でロックしてる訳だが。つまりは純粋に少年少女の主張をしていられる環境は整ってるって訳だ。まるでまだ豊かだった時代のヤンキーみたいに。ただただ純粋に理不尽な世の中に負けたくないという抽象的な情念が彼女をロックに駆り立てている。このアニメも昨今の『がんばっていきまっしょい』等と同様に3DCGである事を隠そうともしないタイプな訳だが彼女の情念の見せ方はアナログ的なビジュアルで、それによって全体的に引き締まっている。このある種の幼稚なエゴこそが本作を牽引する最も大きな魅力に思えます。

怪物犬の悲哀

 

 

フランケンウィニー

 

タイトルからも分る通り『フランケンシュタインの花嫁』の犬版。隣の犬の髪形がまんまヒロインを模してる。『エドウッド』や『マーズアタック』にも通じるC級ジャンル映画愛を感る。ティムバートン自身が撮った長編クレイアニメとして『コープラスブライド』と同様に差別迫害を受ける怪物の悲哀がモロ。ティムバートン作品は実写よりアニメの方がテーマ性が分り易い。

 

残酷な展開

 

 

コララインとボタンの魔女 

 

いかにもティムバートン系って感じのダークな世界観で展開されるコマ撮りアニメ。現実より豊かな生活の世界に迷い込んだ少女。その世界では皆、目ん玉がボタンだったってな話。そこには魔女の企みがある訳だけど、こいつがやはり憎らしい敵でありながら、どこかティムバートン作品の怪物たちような孤独感と哀愁を帯びていて、やはりティムバートン組出身だけに怪物の哀しさに同情的な面があるのだなと思わせる一方で、その面を打ち消すかのような残酷な展開があったりして。ティムバートン本人の作品にしても毎回思うのは『シザーハンズ』や『バットマンリターンズ』や『コープスブライド』みたいにもっと怪物の心の闇に踏み込んで欲しいって所。今回の魔女にも例外なくそんな欲求を感じました。

王になろうとした男

 

 

ヒューストンがキャリア後半に残した力作のひとつ。タイトルの通り落ちこぼれ軍人が山岳地帯の未開地へ旅をして、そこで未開人相手に神を演じて王として居座る話。話はインドに始まりそこから北上。現在のウズベキスタンに当たる地域が舞台らしい。設定された時代と違って撮られた当時は旧ソビエト領内。ロケができる訳もない。いわゆる土着文化も本物は撮影当時には既に残っちゃいない。そこはハリウッドスタジオ撮り文化。どんな文化もスタジオ内で米国的偏見だらけのエキゾチズムだけで作り変えてしまう。ウズベキスタンから社会主義の蔓延故に失われてしまった文化を描き続けるラジコフ等の当事国の作品を見た後で、この作品のような未熟な欺瞞にあえて触れてみるのも面白い。

 

 

マルタの鷹

 

 

主人公が強すぎてサスペンス感はないけど、繰り返しがギャグとして冴えるハードボイルド。鷹は本当に偽物だったのだろうか。ヒューストン作品の中じゃメジャーな割には奮わない。

 

 

ロイ・ビーン

 

 

「誰だ?」「正義だ!馬鹿野郎」あの登場シーンは久々にゾクッとしました。近代化の流れの中でズル賢いやつが生き残り強く生きた男達が排除される。その流れに真正面から挑むビーン判事のとぼけたスタイル。マンガ『ワンピース』にもこの手のハードボイルド的なノリは継承されています。ジョニートーの『非情の罠』『PTU』『エグザイル絆』等に描かれる敵の前で異常なほどに余裕の態度を見せ合う強い者同士のシンパシー。テーマ自体はサムペキンパーの『砂漠の流れ者』と同じで西部への郷愁、時代への抵抗が描かれます。私の中ではこれはジョンヒューストンの最高傑作です。

白鯨

 

 

本当に予言者の言葉通りに進んだね。話は悪くないけど、スケール感を感じさせる引き絵があまりに少ない。その上、轟音の中で作業する海の男たちとは思えないほど役者の声が張ってない。リアルで考えれば、あんな遠くから小さなトーンで話したんじゃ誰も聞き取れないはず。

 


赤い風車

 

 

コンプレックスに悩まされる画家ロートレックの恋物語。ここでの死の表現はなかなか興味深いが、演出的に重喜劇を狙って失敗してかのような印象。

 


サン・ピエトロの戦い

 

 

あの名匠ジョンヒューストンは大戦中である初期に『マルタの鷹』と『黄金』の間にこんなドキュメントも撮っていた。いわゆる第二次世界大戦におけるイタリアでの攻防。連合軍の側から山岳地帯での過酷な戦闘を描いている。ただ戦略は実に凡庸な力技でミッション通りに事が進むので娯楽としては面白味に欠ける。プロパガンダ映画でも人の心を動かすには娯楽性が重要なのだ。公開が遅れたのは思想的な問題よりも映画自体のつまらなさが一因のような気がしてならない。派手な戦闘シーンばかりで全く何の衝撃もなく心を動かさない戦争映画の駄作は現代においても沢山あるが、そんな作品群の悪い見本。ただ戦闘終了後に疎開から帰って来る一般市民のシーンは良い。むしろそっちの方が戦闘シーンより娯楽性がある。女や老人たちが協会を立て直し活気を帯びる集落。戦没者の遺体を棺桶に入れて運ぶ人々。頭に壷を乗せて運ぶ山岳民族は紀行モノのドキュメントでもよく見るが、頭に棺桶を乗せて運ぶ人々の姿を見るのは初めてかもしれない。