腹違い
ジョーカー
全く見る気はなかったがお気に入りの学者たちが右も左も声を揃えて絶賛していたので一応、日本公開前にネットで拾って放置してた本編ファイルを拝見。元々マンガからしてバットマンシリーズの悪役として登場する怪人たちは世間に虐げられて異常な心理状態に陥った普通の人という設定である事を知っている人間にとっては何ら驚きのない内容でした。マーベルに例えるなら『ローガン』の路線。まるでスコセッシの『キングオブコメディ』を思わせるデニーロと『ミーンストリート』や『ドアをノックするのは誰?』等のノワール映画を思わせる貧民屈の生活。確かに商業映画市場では描かれる事の少なかった側面だが、この社会状況自体は昔から金融資本主義の権化たる米国にはあった訳でアッパークラスのサクセスストーリーを描いたような商業映画ばかりを見ていても、それなりに想像力があれば、その裏にはこのようなアンダークラスがいる事は容易に想像できます。
その面に関しても躊躇なく描くイーストウッドのような作風は9.11以降の自信を失った米国では過剰に高評価される傾向があります。その傾向が日本にも飛び火したのは、やはり日本の現状も当時の米国のように行き過ぎたグローバリズムや金融資本主義の弊害が国民を致命的な所まで追い詰めつつあるからなのでしょう。この作品ではジョーカーはもしかしたらバットマンの腹違いの兄なのかもしれないって所が描かれていて時間軸としてはティムバートン版一作目の回想シーンに至るまでが描かれます。よく奉公先で使用人が孕まされるなんて話はあるが、そもそも富豪って奴は用心深いので話の半分はパラノイアである可能性が高い。それだけに母は何処の馬の骨とも知れない別の男に抱かれながら敬愛していたご主人様に抱かれる妄想をしてボケてからは現実と妄想の区別がつかなくなったのでしょう。これは私の勝手な邪推な訳ですが。
この社会のガバナンスは何に立脚しているのか。そこには実は確かなものは何もなかったりします。だから禁止事項の一線を越えてしまった人間は既存の社会秩序がおままごとのように脆弱だと知るのです。その秩序の脆弱さを人々に思い知らせようとするのがジョーカーというヴィランの目的。平たく云えば「キレイ事を云うな」が彼の主張なのです。ただ脆弱ではあっても実際に社会が金や権力ではなく信頼や良心やモラルという個々の内発的な感情をプラットホームにして動いているのは事実。近年ではそんな信頼すらも経済価値として横領して売り払うような政商売国奴がただただ保身と私利私欲の為に社会のプラットホームを壊し続けている訳だが。そんな事実に気付かないで単に権力者の思い通りに愚民化された層がいるのも確かです。
ただ大多数のマトモな労働者は「公共の利益を棄損し続ける勝ち組になる位なら貧しくとも実質的な経済価値を生み続け公共の利益に資する負け組でいたい」と望む矜持を持っています。だからこそ、ここまでやられても日本の秩序は崩壊せずに済んでいるのです。ただ自分ひとりが勝ち抜ける方法なら、それなりに頭が働いていれば誰にでも分る。それをやらないのは壊してはいけないものが分っているからです。ノーランの『ダークナイト』で船の窓から起爆スイッチを捨てた囚人のような振る舞いにこそ人々は心を揺さぶられる。それこそが本当に社会秩序を、ひいては結果的に仲間や自分自身を守れる行為だと本能的に分っているから。そんな良心の伝染こそが腐り果てた社会を救う光明になる。このジョーカーはむしろ虐げられた普通の人というよりはサバンナ状態のグローバリズムに気付いてそこへ人々を引き摺り込もうとする竹中平蔵のようなグローバリストに近い。だからこそ私がジョーカーというキャラに共感する事はありません。