アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

百年前

 

 

ワンダーウーマン


『ジャスティスリーグ』を映画化するにあたって『アクアマン』と同様に今まで映画化されて来なかったDCのコンテンツを今更ながらに急ピッチで映画化してる中の一本。女性ヒーローとしてはDCの中じゃ一番有名なキャラ。いわゆる近代文明と隔絶したアマゾネスのプリンセスが犯罪者を退治するってなコミックな訳だが、この映画版の舞台はスーパーマンやバットマンに出会うよりも一世紀近く前に遡る。つまり第一次大戦。英国に協力してドイツの毒ガス兵器開発の野望を叩き潰す。ガス兵器は実際に多大な被害を出したので、それ以後、火炎放射器等と共に非人道的兵器として国際法で戦争での使用が禁止されました。ナチスも大日本帝国もそのルールを守ったが鬼畜米は守らなかった。クソ鬼畜米こそ卑劣な戦争犯罪者として片っ端から射殺すべきです。

 

それはさておき第二次大戦中に連載開始したこのコミックには当時としては珍しい男性に助けられない強いヒロインという意味でもフェミニズム的シンボリズムの意味が残っています。それだけに今作でも英国議会の態度とか露骨に女性蔑視な発言をする男たちが登場する訳だが、それよりも彼女を島から連れ出した米国スパイが赤ん坊に興味を示したヒロインに何気なく発した「(君と違って)土人形じゃないんだから」が一番のレイシズムに満ちたハラスメント発言に思えました。ただ今作のヒロインは極めて浮世離れしていて神々の事以外は眼中にないって感じで細かい性差別なんかよりも性別に関係なく人々の心に根差した腐敗や堕落を糾弾するってな豪快さが嫌いになれません。

プリンちゃん

 

 

スーサイド・スクワッド


DCコミックの悪役を集めて愚連隊を結成するってな裏ジャスティスリーグ。スーパーマンの話題からして時間軸は『バットマンVSスーパーマン』の数ヶ月後位なのだろう。スナイパーやら超能力者やら怪物やら魔女やらが集まっているが、その中で最も目立っているのはジョーカーの恋人。他に誰もが知るレベルにメジャーになっているキャラがいないから、コイツを目立たせるしかないって所だろうか。マーベルと違ってDCの場合、スーパーマンとバットマンばかりが有名で、その主要人物に関わる役所以外はあまり聞き覚えのないキャラばかりになります。

 

この作品にもバットマンは登場する訳だが、この作品での振る舞いはちょっとばかし無粋過ぎ。いくら相手が冷酷な殺し屋の犯罪者でも家族との時間に割って入るのはいかがなものか。それこそ警官やマフィアであっても、なるべく家族の前で拉致るのは人情に欠けるので避けるものだが、ブルースウェインはわざわざ娘に家族サービスしてる所に登場して娘の前で父親に恥をかかせるような行為を平気でやる。ダークヒーローだからとはいえもう少し人情を持って欲しいものです。それよりも気になったのは、この愚連隊を結成させようとする米国政府の動機。他のスーパーヒーロー大集合系もそうだが米国独特の疑心暗鬼って感じ。やはり人殺しで金儲けしてる糞の穴国家は常に報復に怯えてるって所だろうか。だから強い実力組織を作って保身したいのだろうけどスーパーヒーローならまだしも悪役を集めても統制にリスクがあり過ぎるし、その割にあまり強くないし、あまりメリットが感じられません。

腹違い

 

 

ジョーカー


全く見る気はなかったがお気に入りの学者たちが右も左も声を揃えて絶賛していたので一応、日本公開前にネットで拾って放置してた本編ファイルを拝見。元々マンガからしてバットマンシリーズの悪役として登場する怪人たちは世間に虐げられて異常な心理状態に陥った普通の人という設定である事を知っている人間にとっては何ら驚きのない内容でした。マーベルに例えるなら『ローガン』の路線。まるでスコセッシの『キングオブコメディ』を思わせるデニーロと『ミーンストリート』や『ドアをノックするのは誰?』等のノワール映画を思わせる貧民屈の生活。確かに商業映画市場では描かれる事の少なかった側面だが、この社会状況自体は昔から金融資本主義の権化たる米国にはあった訳でアッパークラスのサクセスストーリーを描いたような商業映画ばかりを見ていても、それなりに想像力があれば、その裏にはこのようなアンダークラスがいる事は容易に想像できます。

 

その面に関しても躊躇なく描くイーストウッドのような作風は9.11以降の自信を失った米国では過剰に高評価される傾向があります。その傾向が日本にも飛び火したのは、やはり日本の現状も当時の米国のように行き過ぎたグローバリズムや金融資本主義の弊害が国民を致命的な所まで追い詰めつつあるからなのでしょう。この作品ではジョーカーはもしかしたらバットマンの腹違いの兄なのかもしれないって所が描かれていて時間軸としてはティムバートン版一作目の回想シーンに至るまでが描かれます。よく奉公先で使用人が孕まされるなんて話はあるが、そもそも富豪って奴は用心深いので話の半分はパラノイアである可能性が高い。それだけに母は何処の馬の骨とも知れない別の男に抱かれながら敬愛していたご主人様に抱かれる妄想をしてボケてからは現実と妄想の区別がつかなくなったのでしょう。これは私の勝手な邪推な訳ですが。

 

この社会のガバナンスは何に立脚しているのか。そこには実は確かなものは何もなかったりします。だから禁止事項の一線を越えてしまった人間は既存の社会秩序がおままごとのように脆弱だと知るのです。その秩序の脆弱さを人々に思い知らせようとするのがジョーカーというヴィランの目的。平たく云えば「キレイ事を云うな」が彼の主張なのです。ただ脆弱ではあっても実際に社会が金や権力ではなく信頼や良心やモラルという個々の内発的な感情をプラットホームにして動いているのは事実。近年ではそんな信頼すらも経済価値として横領して売り払うような政商売国奴がただただ保身と私利私欲の為に社会のプラットホームを壊し続けている訳だが。そんな事実に気付かないで単に権力者の思い通りに愚民化された層がいるのも確かです。

 

ただ大多数のマトモな労働者は「公共の利益を棄損し続ける勝ち組になる位なら貧しくとも実質的な経済価値を生み続け公共の利益に資する負け組でいたい」と望む矜持を持っています。だからこそ、ここまでやられても日本の秩序は崩壊せずに済んでいるのです。ただ自分ひとりが勝ち抜ける方法なら、それなりに頭が働いていれば誰にでも分る。それをやらないのは壊してはいけないものが分っているからです。ノーランの『ダークナイト』で船の窓から起爆スイッチを捨てた囚人のような振る舞いにこそ人々は心を揺さぶられる。それこそが本当に社会秩序を、ひいては結果的に仲間や自分自身を守れる行為だと本能的に分っているから。そんな良心の伝染こそが腐り果てた社会を救う光明になる。このジョーカーはむしろ虐げられた普通の人というよりはサバンナ状態のグローバリズムに気付いてそこへ人々を引き摺り込もうとする竹中平蔵のようなグローバリストに近い。だからこそ私がジョーカーというキャラに共感する事はありません。

サボタージュ

 

 

スター・トレック BEYOND


前2作を担当したエイブラムスが監督を降りたのでスルーしてたシリーズ13弾目を今更ながらに拝見。案の定ヴィジュアルセンスが旧世代に戻っていました。もはや化石となったモーションコントロールカメラでも合成できそうな古典的なクレーンやドリーを使ったカメラワーク。こっちの方が見易くはあるけれど、せっかくなら進化した立体的マッチムーブ合成技術を使って手持ち撮影やズームを多用した臨場感のあるカメラワークがないと見てて退屈。

 

今回はカークがピカードみたいな提督になる為に艦長を引退する事を考え始めスポックは母星の大使を引き継ぐ為に引退する事を考え始めるというチーム分裂の危機に始まり最後のミッションで罠にハメられて危機また危機の冒険をするうちに心境が変化してゆくというご都合主義パターン。この第一世代の若き日を演じる新メンバーになってから今回で3本目な訳だが、ほとんどのメンツがそれなりに旧シリーズのメインキャストに通じるキャラになっている(特に6作目で艦長に就任するスルはその片鱗を今作でも見せています)のに対し、どうもドクターだけは旧シリーズの不細工なデブオヤジの印象に比べてイケメン過ぎます。ビースティの名曲が流れるこの作品の予告を見た時には、なかなかセンスの良いトレーラーだと思っていたが、なるほど本編の中で効果的に使っていたって訳だ。その名の通り小型戦闘機に任務放棄をさせる妨害電波は爆音で。パンクロックファンやクラシックヒップホップファンはクライマックスの宇宙バトルで確実にアゲアゲになれます。 

帝王カーン初登場

 

 

スター・トレック

イントゥ・ダークネス

 

シリーズ12作目は宿命のライバルであるカーンの登場秘話。ここからTV版の特集"宇宙の帝王"へと繋がって更に映画版2~4作目へと繋がる訳だ。今回はクライマックスで内容的に映画2作目を焼き直したような所もある訳だけど。それにしても、その後ずっとコールドスリープだったはずなのに"宇宙の帝王"ではカーンが急にゴツイおっさん化しているってのは、この後にもう一波乱あったって事だろうか。やはり今風の要素を色々入れ込んでも基本的にオリジナルTVシリーズリスペクトな姿勢がJJ演出からは感じられます。それ故か無理にオールドファンに媚びて強引に今回もニモイを登場させちゃってるし。シリーズも長く続くと整合性には無理が出る。細かい所には目を瞑りましょう。でもTVシリーズの最大の良さであった人間ドラマの深さはもっと保って欲しい所。スポックがカーク船長との冒険の中で人間らしさを学び絆を深めるというシリーズを貫く最大のドラマがやたらと軽く感じられてしまう。安っぽい友情みたいな。もっと変に友情ドラマしないで徹底的に突っ張り合う関係であって欲しい訳だ。それでこそシリーズを貫く彼らの絆に重みが出るというもの。

 

最近はエディターもCGの仕事に深く咬まざるを得なくなっているのでハリウッド第一線のSF大作から学ぶようにアドバイスされ、しばらくはスルーしていたSF大作を中心に勉強しようと思い立ち一発目にこれを見た訳だが、いやはや見事にハズレ。映像的な意味で。いかにもシェイク使いましたって感じのスピーディな手持ちズームでの合成などエイブラムスらしい今風の映像ではあるが前作の方が斬新に感じられた。VFXがチャチく見える。それはCG自体の問題ではないが。要は特撮的な美術セットの造形の甘さ。冒頭の惑星の未知の植物と思しき木の葉がセロテープにしか見えない。揺らぎに植物の重みを感じないから。確かにオリジナルTVシリーズは映像的に全てがチャチかったので、そのオマージュと捉えられる所もある。エンタープライズ船内をはじめとした人工的空間に汚しを入れない感じとかは安っぽくなる事を覚悟であえてやっている感がこのシリーズにはある。だがそれが凝ったCGの作り込みに対してあまりに浮いてしまっている。

 

必ずしも大金かけたハリウッド大作のクオリティーが高いと云えない事は先刻承知。欧州やアジアなど先進国の優秀な人材が母国に戻ってしまう事の多い現状からしても良い作家は世界にばらけたのだから。低予算でも高品質の特撮ができる今となっては彼らにとって高いバジッドは何の魅力もない。むしろ脚本的な制約が足枷になるだけ。そんな国は貧しくなければさっさと捨てるのが当然。貧しい後進国の人間だけが残る。ヒスパニックやアフロ系に辛うじて支えて貰ってる土壌。現代のハリウッド映画を見るからにはそれを容認しなければ。今の所ヒット作だけを辿ってもほぼ5割の確率で低い品質の映像には当たる。その理由としては人材の欠如と同時にマシンの性能が上がった事による慢心もあるだろう。その点に関しては全ての撮影現場に生じてる問題な訳だが。そんな訳でしばらくは過去20年ほどのハリウッドSF大作を掘り出す訳だが今度こそ学ぶ所の多いCGに出合いますように。

ニモイが語り継ぐ

 

 

スター・トレック 2009


日本では『宇宙大作戦』として知られる初代スタートレックの面々。カーク船長、Mr.スポック、Dr.マッコイ、スコッティ、スル。彼らの馴れ初めを描いたエピソード0がこれ。そこにタイムスリップの要素も加わって、これで劇場用シリーズは4作目と7作目以降と半数以上がタイムトラベル要素付きとなった。私は『スタートレック88』として商品化されたピカード総督やデータなどが登場する第2世代以降のTVシリーズには興味を惹かれなかったのでメンバーが変わった7作目以降はあまり楽しめなかったが、この作品はオリジナルメンバーという事で興味を惹かれた。何と云ってもこのシリーズの最大の魅力はバルカンと人間の混血児Mr.スポックとカーク船長の友情。

 

なぜ挑むのか、そう尋ねられた登山家は云った。そこに山があるからさ。これは劇場用の5作目『未知の世界』でのカーク船長とMr.スポックの会話。今回の悪役は元々はバルカン星人と同じ種族だったロミュラン帝国のネロ船長。百年以上先の未来から老いたMr.スポックと共にタイムスリップ。この老いたMr.スポックの役を何とレナードニモイ(初代スポック役)本人が演じている。彼の登場シーンには鳥肌が立った。この感覚は初代トレッキー以外には分らないかもしれないが、その魅力を旧シリーズで存分に味わった我々には鳥肌モノなのだ。どんなに派手なCGよりも彼のアップショットがファンを魅了する。そして「宇宙、それは最後の未開地…」というお馴染のナレーションが彼の声で流れるともうメロメロ。彼は様々な冒険を演じ我々よりもずっと前の世代から夢を与え続けていた。その彼が更に我々よりも先の世代にも夢を与えるべく語り継ぐ。変わる事のないレナードニモイの魅力に感動。

重力ブーツ

 

 

スター・トレックVI 未知の世界


「ISay”GoToHell”」スポックの台詞が印象的です。

映画版旧シリーズを通しての一貫したテーマである

人間性を学ぶバルカン星人スポックの成長のドラマと

地球人とグリコン人との対立に、今作品で決着がつく。

 

それなりに派手な宇宙バトルシーンはあるものの

話の大筋としてはグリコン人との平和協定を邪魔する為に

暗殺騒動を仕組んだのは誰かという犯人捜しをする

ミステリー仕立ての物語になっています。

 

旧シリーズ中で一番新しいので当然だが、特撮として

一番優れたクオリティに仕上がっている。それまでは

あまり描かれなかった船内の食堂や、下級乗組員の仮眠室。

そこで巻き起こる重力制御装置の破壊による混乱。

そして、今作品のキーとなる犯人が使った重力ブーツ。

グリコン人との和解を妨げ、攻撃を仕掛けた犯人を捜し

エンタープライズ号の内部で展開する密室ミステリー。

シリーズ中では4作目に次いで面白い作品だと思います。

スペースオペラ

 

 

スター・トレック


TVシリーズや他の映画版とは一線を隔した作品です。

オペラよろしく最初にOVERTUREがある時点で

これはもうロバートワイズのミュージカルだ。

ロミュラン星人とバルカン星人の歴史もグリコン星人と

地球人との確執も関係ないスペースオペラです。

 

無限の知識を求めて太陽系に迫り来る謎の物体ビジャー。

その正体を確認する為に旅立つエンタープライズ号。

だが謎の物体の正体を目の前にカーク船長は言葉を失う。

実際の当時の時事ネタを絡めた見事なオチがあります。

 

作品としては実に良く出来ているが、特撮の面では

あまり初期TVシリーズと変わらないクオリティにガッカリ。

スケールだけがアップして、やたらとエキストラが多い。

いっそ、こいつらを躍らせた方が面白い気がする。

 

ちなみにこの作品を見ても2作目の伏線はないので

TVスペシャル『宇宙の帝王』を見てから2~4作目を見よう。

グリコン星人の襲撃はこの作品にも出て来るので

グリコン星人との確執のドラマとして見るなら

この作品を見た後には5,6作目を見よう。

犬になれ

 

 

囚われのサーカス

 

純イスラエル映画という訳ではなく米国のシュレイダーが撮っているので、やたらとキャストが豪華です。ジェフゴールドブラムVSウィレムデフォーって時点で普通にハリウッド第一線でも売れる組み合わせです。それ故か米国的文脈の中だけでホロコーストのPTSDが狂気の世界として語られます。この手の被害者意識を悪用する米国人には反吐が出ます。いわゆるパレスチナ虐殺を主導してるのはユダヤ教徒ではなく耶蘇教福音派のシオニストの方が多いからこそ米国はイスラエル側に加担してるのです。ユダヤ教と耶蘇教と回教は教典の大元を共有していてエルサレムを巡る言説においてアラブ人排除は耶蘇教徒にとって都合が良いのです。それもカソリック等の欧米圏で都合良く捻じ曲げられた解釈によるものなので正教徒のような正常な倫理が欠如したクルセーダー的な意図が働くのです。だからスラヴ系やセム系やアフロ系と違って欧米のような西方の蛮族がユーラシア大陸への侵略と収奪を繰り返し未だに植民地利権を維持しようと卑劣な虐殺の詭弁として幼稚なナラティヴを垂れ流すのです。

 

ユーラシア大陸をはじめとする世界の8割の人類を襲う西方の蛮族からの侵略に対してイランや中国やロシアは勇敢に立ち向かう英雄です。ブリックスはG7という盗人侵略者から人類を守っているのです。そんな盗人側に垂れ流されているナラティヴがホロコースト批判であり、これを繰り返しエンタメ化する事には自己正当化の意図があるのです。ユダヤ人以上に苦しめられた民族はアジアにもアフリカにもアラブにも腐るほどいるのに、そっちは無視して踏み殺すレイシストの詭弁です。

 

とある芸人の視点で描かれるホロコースト。この芸人はナチの慰み者として収容所で犬を演じ続けた。その間に彼の家族は恥さらしの身内として虐げられ自殺に追い込まれる。そして肉親を失ったショックで正気を失い精神病院に入れられる訳だが、これを誰が狂っているのか分からないような構図であえて見せています。その意味ではテリーギリアム等を連想させる世界観です。トラウマを克服するというよりも、いかに狂気を飼い慣らすかって方向。今平さんも『黒い雨』や『セプテンバー11』で動物に憑依されたかのようなPTSD症状を描いていた訳だが、それ程までに過酷な状況に晒されていたという一例で今作では犬にならなければ生きられなかったユダヤ人の悲哀が描かれるという訳です。

それにしても過去の亡霊の見せ方として炎を使うシーンは何とも象徴的でシュレイダーが敬愛するスコセッシの『最後の誘惑』を思わせます。この表現は元々はゾロアスター教の火炎崇拝に起源があり、それは回教にも耶蘇教にも引き継がれています。この信仰は砂漠の地中から噴き出した天然ガスに発火してる状態を古代の人々が見て神の啓示だと受け取った事に始まります。ユダヤもムスリムもキリストもその延長線上に多様な信仰の形を築いています。だが果たしてその解釈の違いだけが侵略と虐殺を繰り返させたのだろうか。いや、いつの時代も宗教的信仰心やイデオロギーや哲学的倫理は方便に利用される。そして純粋に信じる善人が食い物にされる。かつて神の啓示とされた現象は金になる。エネルギー利権こそが争いの根源的な動機でありコスパが悪いシェルオイルよりも中東への収奪によるペトロドラーの維持こそが暴利を貪る欧米のオリガーキーの意図だからこそ西側メディアにおける虐殺の正当化が行われ続けているのです。パレスチナ虐殺は宗教対立の建前に覆われた石油利権の奪い合いであり、このエネルギー利権を担保にドル基軸は成り立っていた。だがこの盛大なる横領を今や世界は許さない。

 

ドンバス虐殺やコロナ風邪に対する自由民主主義者のあまりに卑劣で愚鈍な反応に失望してかロシアの特別軍事作戦を切っ掛けにして欧米への抵抗は激化しスーダンを皮切りにアフリカ中で売国奴政権への反逆が起こり真の意味でアフリカ諸国の多くが主権を取り戻しつつあるが当然ながら利権を失った負け犬である西側諸国では微塵も報道されていません。つまりは自由民主主義者という盗人レイシスト害虫が世界から淘汰されつつある。G7諸国民は能力でも暴力でもブリックス側に負けて収奪できなくなったので現在物価が跳ね上がって貧困化しているのです。ただ単にテメーじゃ大した価値も生み出せないG7の盗人犯罪者諸国が分相応の利益しか得られない状態に戻りつつあるだけ。これを西側メディアは「世界秩序の崩壊」とかキチガイの屁理屈を並べてる訳だが、それは負け犬の戯言でしかなく世界の2割以下の自由主義陣営という盗人が惨敗を認められずに悪足掻きして暴力装置を発動させようとしてるだけ。ジャップや鬼畜米のような末人は放っておけば自滅する訳だが、この薄汚い暴力装置のクズどもは世界を道連れにしようとする危険がある。

 

クズの自滅に巻き込むな

戒律グラデーション

 

 

サイの季節

 

イランはペルシア人だけの国ではない。4つの民族と宗派が入り乱れ、その中で2番目に多いのがクルド人であり、ムスリム圏の中でもトルコやクルドは元々オスマン帝国の繁栄を誇りアラブ等と比べて戒律が緩いので欧米寄りな価値観も浸透し易い。ちなみにパキスタンやアフガンやロシアにもペルシア系の人口は少なくない。そんな訳で同じ国の人間でも一枚岩ではない。ただ鬼畜米のような盗人がいきなり指導者を殺せば団結して米軍排除の弔い合戦を開始するし、そうなってしまっては歯止めが効かない。トランプは誰もが自由主義者のようなクズだと勘違いしていたが故に甘過ぎる目測で最も取り返しのつかない過ちを犯した。ここ最近の西側は腐敗堕落し過ぎてケンカや戦争の勝ち方すらも忘れてしまったようだ。ケンカでも勝つ為の鉄則は相手の面目を潰さない事にある。プーチン氏はあくまでゼレンスキに民意がある間は彼を丁重に扱い亡命資金すら用意して退く事を勧めた。これが解決能力がある優秀な大人のケンカのやり方です。この度量の深さこそが相手に自分の敗北を納得させられるのです。それができないなら殺すしかない。

 

それに比べたら今の西側諸国民って、まるでエミリッヒの『インディペンデンスデイ』に登場する宇宙人レベルの害虫です。あの映画では大統領が「平和共存はできないのか」と尋ねると「平和ナイお前死ネ」とテレパシーを飛ばし、それを受けた大統領が「奴らの頭の中が見えた」「奴らは食い潰して去るイナゴだった」と驚愕する訳だが今の自由民主主義者は正に自分では価値を生み出せずに戦争や金融で収奪して食い潰すイナゴそのもの。『エクソシスト2』でも語られる通りイナゴは耶蘇教の教義でも悪魔の象徴とされる。つまり今の西側諸国民は自分たちが腐敗堕落して悪魔そのものになってしまってる現実から逃れる為に神経症的にメディアでヘイトポルノを垂れ流すが、それはあまりにもみっともない負け犬の戯言にしか聞こえません。そんな自由民主主義者という最低の悪魔の暴力に正面切って抗っているのがロシアや中国やイランであり世界のほとんどは彼らを応援しています。それこそ日本人の価値観からしても明らかに正しいのはブリックス側であり自由民主主義者こそが現代のナチだという事実を認識できない訳がない。ストックホルム症候群で鬼畜米の暴力に怯える戦後ジャップの現実逃避はそろそろ終わらせましょう。

このケンカの鉄則は戦争でも同じで相手の立場を慮れないなら殲滅戦で完全に滅ぼすしかない訳だが、そんな資本力も産業力も今の西側には残っていない。つまり朝鮮、ベトナム、アフガン、イラク、ウクライナ、ナイジェリアに続いて今回も鬼畜米は戦争に惨敗した。もはや西側諸国という犯罪国家どもは世界中から敵視されています。この作品に描かれるイラン革命にしても元々は親米売国奴の傀儡政権を宗教関係者を中心に団結した庶民が追い出したという民主的な変革です。だが同じムスリムでもペルシア基準の戒律はクルドに比べると厳しい。それ故に旧政権側で執筆をしていた作家は不道徳とされ追放や東国の憂き目を見た。

 

クルド人監督として世界的に有名なバフマンゴバディは今世紀に入る頃からイラン映画界で頭角を現し主に音楽を扱った作品を中心に撮っていた訳だが、アングラ音楽を扱った『ペルシア猫を誰も知らない』を撮った事でイラン映画界から追放されて今では欧州資本で撮っています。やたらと西側ではイランの娯楽第一線より戒律に反して映画界から追い出されたパナヒやジャリリみたいな監督ばかりが持て囃される訳だが、この作品に描かれた詩人のように30年間も投獄されるなんて事は希であり、あまり西側の映画界と事情は変わらず戒律に反する映画を撮れば仕事を貰えなくなったりスポンサーが離れるので富裕国で資本収集するという状況に追い込まれる訳なので別に彼らは国を追われている訳でなく単に製作費を出して貰えなくなっているので欧州の資金を使って母国で撮っているって訳です。そんな訳で欧州の大スターを主演に使ったりもしています。

 

そんな社会を背景に今作が描いているのは詩人の妻を巡る三角関係。意外に展開にトリックがあり映像的にもエモい撮り方をしていて引き込まれました。そしてソポクレス的な展開に思わず『オールドボーイ』を連想してしまいました。ゴバディ作品の中でも、かなり娯楽度が高く唸らされる。この作品でもアングラな興信所とかトルコ的な文化と交じり合ったペルシア文化的な美学が感じられて興味深い。とにかく価値ある文化倫理知性を備えたユーラシア大陸の仲間と共に鬼畜米という害虫を駆除したい気分です。イランやロシアのミサイルは性能が高く飛距離も長いから湾岸諸国に留まらず、ついでに横田基地も粉砕して欲しい。もはや鬼畜米の虐殺と収奪には我慢の限界に達しつつあります。