あきちゃんと歌う「上を向いて歩こう」
一枚のセピア色の写真がある。

およそ、半世紀以上前の写真だ。

母と6歳年上の兄と私。
私は2歳ぐらいなのかな。

シャッターを切っているのは
父なのだろうか。

今となっては、
誰も、この日の事を知る由はない。

ただ、私の手を
ぎゅっと握りしめている兄の手と楽しそうな笑顔

このころ、私たちは幸せだったんだろうか。


この写真は
母が亡くなった時に
遺品の中にみつけた写真だ。

この写真を撮った
数年後には
私達家族は、バラバラになった。

だから、私には「家庭らしさ」の記憶が
あまりない。

でも、微かに家族らしい生活を
送っていた幼い頃の思い出を時々思い出すと、
今の私には悲しく、切なくもある。

母は、長く実家から離れて
私を抱えながら、
波乱万丈な生活を送った後、
晩年は、実家で
父と兄とで三人で暮らしてきた。

私は7年前、心臓の病気を患った母を介護するために
夫を神奈川に残し、
愛知県の実家へと戻ってきた。

そして、
母を見送り、
父を見送り、

現在は若年性アルツハイマーの兄をみている。
(正確にはレビー小体型との混合型。タレントの蛭子さんと同じ)

様々な理不尽な要因が重なり、
兄はあっという間に
意思疎通が全くとれなくなった。

今、兄との唯一のコミュニケーションは
「上を向いて歩こう」を歌うこと。

入院中の兄とはこの1年
たった一度しか面会できていない。

その時も、
ひたすら、二人で

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日
一人ぼっちの夜・・・

と歌った。

毎朝、この写真を見ながら
私は兄とともに歌う。

一人ぼっちになってしまった実家で
兄が帰ってこられる奇跡が起こる日が
来ることを願っている。

私はこの数年、
両親の介護から兄の介護を通じて
ハッキリ言って、
本当に患者やその家族の気持に
全く寄り添っていない、
行政も含めた、
医療、介護現場に疑問を感じている

愛知県の東三河という
閉鎖的な地域だからという
理由では片づけられない。

強い憤りと
ともに、
本当に、医療と介護の現場に必要なのは
「愛と笑い」なのだと
いう答えにたどりついた。

私のこの思いに賛同してくださる方と
巡り合えたら嬉しいです。

お気軽にお声がけください。、