今年も桜の季節がやってきた。

もうあれから2年がたつんだなぁ。
あの日も桜が満開だった。

 

 

市内のグループホームMで
たった3か月で
精神的にも身体的にも
崩壊していった兄。

原因は厚労省のガイドラインに触れるほどの
向精神薬剤の過剰投与。

粗末な扱いと
素人レベルの介護士らの記録を
録画した動画をもとに、
「向精神薬剤を投与しないでくれ」
と話し合いをした結果、
中止したもらうことができた。

 

すると、
驚くほど、身体のこわばりもなくなり、
元気にホームを歩きまわるようになった。

 

しかし、施設側からみると
元気になりすぎて手に負えなかったのだろう。

 

週に2,3日の割合でホームに会いに行っていたのだが、
ある朝、ホームを訪れると
そこには、
以前にもまして、
首はうなだれ、
口から糸を引くようなよだれを流した兄の姿があった。

 

職員に薬の件について尋ねると
施設長のところに相談しに行き、
「頓服的に朝と夜飲ませています」
という言葉が返ってきた。

確かに元気になりすぎて
暴言を吐くこともあったようなので
どうにもならない時は
頓服的に飲ませてもらってもよいと
許可はだしていたが、
「頓服的に朝、晩?」
それは、頓服ではなく、常用だ。

彼らは本当に何もわかっていない。

そして、以前から2か月待ちで予約していた
定評のあるⅠI医師の診察が2週間後に控えていたので
そこでは、何も言わなかった。

そして、診察の日。
まだ、30代前半の若いS施設長はどや顔で
兄が暴言を吐いたりしている

普段の様子を記した手紙を差し出した。

そして、その手紙を持って
病院へと向かった。

グループホームのS施設長の書いた手紙を読んで
I 医師は
ふん、と鼻で笑ったあと、
診断結果についての話が始まった。
「所見の段階で、明らかに薬の過剰投与とすぐにわかりました。」
「今の段階では、本来の姿が見えない。
直ちに薬を中止し、身体から薬を抜かなければいけない」
と私に告げた。

そして、レントゲン写真を見せながら、
兄の病気はアルツハイマーとレビー小体型の混合型だと
こういったケースはメマリー(中程度のアルツハイマー治療薬)を
投与すると、せん妄状態を誘発させてしまうのです。
と説明された。

改めて、お薬手帳を確認すると、
ある時から薬がアリセプトからメマリーへと変更されていた。
そして、その2か月後から、
妄想状態が酷くなり、徘徊が始まったのだった。

でも、アミロイドペット検査まで行ったのに、
なぜ、その段階でレビー小体型が見抜けなかったのか。

続けて、その医師は
私が持っていったアミロイドペットの検査結果を見ながら
その時の担当医師Tとは同期であったということ。
そして、そのT医師は
「自分は老年科はやらない。脳の方に行く」
と言っていち早く老年科を捨てた男ですから。
と言い放った。

 

確かに、
兄がアミロイドペット検査を受けた病院は
高次脳機能障害を得意とした病院であり、
初診の日に、兄の車の事故の話を聞き
「一時的な低酸素状態に陥ったための障害の可能性がある」
と、決めつけていた。
そのため、匿名で学会の資料にさせてほしいとも言っていた。

要するに、
自分自身の学会発表の資料のために
患者の検査をしているのだ。

あの時点から
私は間違えていたのだ。

随分、遠回りした。
兄にごめんね。と後悔しかなかった。

そして、その日のうちに
グループホームを退所し、
翌日からⅠ医師の所属する病院に入院することになった。

 

そして、一か月が過ぎた。
首は座り、こわばった身体も
すっかり元に戻り、元気になり、
病院のフロアを歩き回っていた。

グループホームで崩壊された精神状態は
なかなか、回復することは難しかったが、
笑顔が増え、歌を歌っていた。

しかし、職員が手薄な土曜日の午前中、
廊下を歩いていたところで、転んで
右足大腿骨転子部骨折となっってしまった。

そして、別の整形外科で手術し、
1か月入院した後、今の病院に戻った。

その後、検診のために
手術を受けた病院に
介護タクシーで車いすを押しながら
何度か兄の通院に付き添った。

2019年の春のことだった。
病院の前の桜は満開だった。
車中から見える、街並みはどこも桜が満開だった。

「あきちゃん、桜綺麗だね。」
そういいながら、
兄の気を紛らわすため、
車中でも、病院でも
「上を向いて歩こう」を二人でずっと歌っていた。


あの時の桜は本当に綺麗だった。
それ以来、兄は一度も
今の病院の外の世界を知らない。

あの時の桜。

兄はもう覚えていないだろう。

私は今でも桜の季節になると
あの時のことを思い出す。

 

切ない桜。