同志
わらさ(鰤に出世する一つ手前)の刺身を
刺身にしないで素焼きで表面を焦がしてから、
別鍋で煮ていたじゃがいもの照り煮と合わせて
ブリ大根ならぬブリじゃが?もとい、“わらさじゃが”を作りました。
この焦げ目が香ばしく、魚の身もパサつかず、おいしくできました。
魚好きの方には気に入っていただける味かと思います。
カフェオレも、挽きたての豆で入れたらお店風の味。
一手間プラスで、良くなること探し。
面倒くさがらずに、出来ることをコツコツやってみる。
すると結果的にしあわせも増すように思います。
そこに何かのヒントが隠されているような・・・
取材先でのインタビューや職場でのコミュニケーションなど
ONのときに関しては、それなりに熟せるようになりましたが
「文字では饒舌」という私は、会話がちょっと苦手です。
沈黙しないようにと要らぬ気をまわしてしまうからです。
そもそも昔から集団行動が得意ではないらしく
群れに属さなければならないときは端っこにおり
微妙な距離感がつかみきれず緊張するのを自覚しています。
だから、お互いにバラバラした「個の人」があつまって
誰かがいなくても過度に心配されないぐらいの緩さが快適です。
ひょっこり現れ、自然にくっつき、はらりと離れるインターバル。
沈黙していても大丈夫な安心感。
「メールの返信がないんだけど・・・あの人どうしたのかしら!?」
「いや、どうもしてないけど、そういう気分(状況)じゃなくて」
そんな自己都合な言い訳をしても互いに許されるぐらいの緩さ。
似た者同士、変り者同士、少数精鋭の“同志”には
緩いようでも、しっかり引けば切れない
強いつながりがあります。
陳皮
蜜柑の皮がからからになりました。
日本茶に入れるかお風呂に入れるか、などなど。
すっかり見慣れてマンネリズムを感じる部屋ですが、
たまに誰かの目に触れることで
ああしよう、こうしようと次の工夫を思いついたり
新しい刺激を貰えるのではないかと思います。
今日はこれから友達が家にやってきます。
コーヒーかカフェオレ・・・それとも紅茶かな?
おうちカフェを開店。そろそろお湯でも沸かしましょう。
鐘がなると結婚式のチャペルの扉が開き
色とりどりの風船が空に飛んで行きました。
その様子に気を取られて、図書館の自動ドアにぶつけた肩が
うすら青くなってきました。ああ、いたた。
いい大人ですが
懐かしの学習漫画、日本の歴史シリーズを借りました。
第1巻「日本のはじまり・旧石器時代~縄文時代編」。
17巻まで来たらようやく「大正デモクラシー」。
全20巻あるようです。
随想 111012
ドライブが好きです。数百キロはノンストップ。
そんなタフな運転をするようには見えないそうですが
実はそういうのも得意だったりします。
私が運転するのも、誰かの運転に乗せてもらうのも
どちらも楽しく、何キロでも何時間でも退屈しません。
変わりゆく窓の外の様子にいちいち歓声をあげ、おもしろい看板に笑ったり。
車内は動く個室になって、大音量で音楽をかけても大丈夫。
ハンドルを握る知人の意外な一面が発見され、
思いつきと勢いで寄り道をしてB級グルメを堪能したり写真を撮ったり。
そういったすべてを共有するのが愉快で、いいです。
渋滞は決して好きではありませんが、
もしそうなっても大らかにいられる仲間とならばどこまでも。
遊び心があるドライブへ、また出かけたくなる日和です。
週末に山道を歩きました。
凸凹、岩、木の根、泥濘などで障害物だらけの道中は
本来ならば自分のペースでのんびりと、時には立ち止まり
景色を眺めつつ進むべきなのでしょうが
訳あって大急ぎで突進せねばならない状況になり、
自分の筋力をまるで無視した結果・・・まんまと無理がたたりました。
終わった途端に緊張の糸が切れたのか
軽い肉離れを起こしたようで、足がぶらんぶらん、膝がカクカク。
体重を支える力さえも足りない状態で、平地でもよろめくのです。
そこまで運動不足だと思っていなかったのになぁ。
「おばあちゃんみたい」と笑われた数日間がすぎ、
ようやくまともに運動できるまで復調。思いのほか時間がかかりました。
情けないので、日頃からの精進をひそかに誓った次第です。
でも、「弱っているときは優しくしたくなるなぁ」という方もいたので
その人の前では、まだ弱ったままでいても良いかもしれません(笑)
甘ほろ苦酸っぱい
正直その時点ではまだその彼のことをよく知らなかったけれど
一挙一動一言ごとに魅了されていくのが分かった
きっといい人だと感じた途端
万人にとって良い人か、善い人かなどはさして重要ではなく
私にとって「いい人」ならばそれで十分だという気がした
つまり、好きになってしまったんだろう
よく知らない分だけ次に会える日が待ち遠しく
カレンダーの日付を眺めるだけで毎日が楽しくて浮き浮き
忙しいときでも何とか偶然のタイミングを捻出してしまうほど
パワーが漲る自分にやればできるじゃんと驚いた
初期段階の恋は果敢で怖いもの知らずになるものらしい
寝ても覚めても気になるくせに眠る間も惜しい
一日千秋せめて夢の中で逢えたらば
ああ久しぶりに思い出した
厄介でクセになる甘ほろ苦酸っぱい感じ
まさしくこれが恋心というもの
ケーキの日
黄色いドレスで踊る人たちみたいな花
女たちはおしゃべりするのが好きだから
夜中にひそひそおしゃべりしている気がする
嬉しいことがあったからケーキを買った
この嬉しい気持ちを記録しておこうと思ったのに
写真を撮り忘れてしまったことに気付いた
すこし残念だけどこういう風にも考えられるね
しあわせは心にちゃんと焼きつけて
心の感じることをたいせつに日々を過ごしたい
瞬間をカメラに収めるのもいいけれど
そのことだけで安心してしまわないように
それだけに頼らないように
自分の眼でちゃんと見ることにしよう
ケーキは仕方ないから
あと一年待てばいいかな
そうやって何回も嬉しいことを
一緒にシェアできたら楽しいはずだから
と、暢気にポエムなどしたためる
late teens
「陸上していたころ、大会で来たことある。」
晴れていればスケボーの群がいる競技場横の広場は、
昼間の雨の名残で人気もなく、つるつるした路面が鈍く光っていた。
ナトリウム灯が霧雨をオレンジに照らす公園通り。
いつもの野良猫の姿も見えず、水を跳ね上げふたりぼっちで歩く。
門限を破っているのは承知だったから
どこか落ち着かず、そわそわしているのに
そのまま離れていってしまいそうな予感に押しつぶされ
それでも、もう帰らなきゃ、と言いだせない心苦しさでいっぱいだった。
せめて星さえ見えていれば、気の利いた言い訳も思いつきそうなのに。雨粒は散り際の桜を大方落としており、
サイドミラーに花びらを張り付けたまま走った。
制限速度では飛んで行かない、祭りのあとに切なくなる。
少し前まではいつだって手をつないでいた
触れあわないままの右手に、塗りたてのマニキュアがにおった。
大人の理に適う説明とか、物事の順序立てとかいうものを、
出来ないわけじゃなかった。ただ時間と手間を惜しまなければ。
明日が来るのを静かに待てば良いものを、ただ待てなかった。
恋を育てるには、ただただ、未熟で若かった。
随想 110930
日本大通り駅の、不思議な壁面が気になります。
この埋め込まれた金庫の扉を開けたら
モンスターズインクかどこでもドアみたいに
知らない世界にワープできたら楽しい。
私が製作者なら、誰も開けないと分かっているのに
引き出しの一つに、あえて何かを隠してみたい。
こんな風に、見ている側にあれこれ想像させる
アイデアが素敵だと思います。
想像力は持ち前のものだけでなく人から育ててもらうこともできるし
自分では想いもよらなかった、誰かの柔軟な発想が
価値観や人生のビジョンまでも変えることもある。
真上から見れば「まる」い円柱でも
真横から見たらそれは「しかく」で
どちらも間違ってはいません。
本日で9月もおしまい、今年も余すところ1/4年となりました。
朝晩の肌寒さは秋そのもので、ちらほら紅葉も始まっています。
見るも学ぶも食べるも、よい季節になりました。
ダンボールの腕時計
辛うじて中央線を引いたような、細い対面道路にもバスは来る。
大きな車体がすれ違うたびに小さな渋滞が起こる坂道のてっぺんに
私の通う学校があった。
帰り道は、裏道の石段を歩いて行くか
バスで下って最寄駅に出るか、遠回りして横浜まで出るか。
バス停に並ぶ何人かの顔見知りと、ワンメーターを割り勘するかなど
方法は気分次第で日替わりだったけれど
「遠回りして、横浜」。時間さえ許せば、私はそれが一番好きだった。
並木道やグラウンドのある公園や老舗の商店街などを
ぐるりと回りながら一山越えて、
横浜駅のロータリーまで連れて行ってくれるまでの間
本を読んだり、音楽を聴いたり、眠ったりした。
夏は涼しく冬は暖かで、後部座席は特等席。
210円で味わえるその贅沢なルートのために、何度もバスを待った。
当時のことを思い出すと恥ずかしいことが多すぎるから、
あのとき、ああすればよかったと考えるのはやめにしている。
でも、一つだけちょっと後悔していることがあるのだ。
とあるバス停から降りた、
駅から近い割に寂れた商店街の、さらに1本奥の通りにある古道具屋で
古董品のカメラとか、書き手の分からない漢字の掛け軸などに混じって
日比野克彦氏の作品と思しき、ダンボールの腕時計が
どういうわけか売られていた。
完全非防水仕様。
カッターで切り、ボンドで貼り、マッキーで塗った感じの、
実用性の限りなく低いダンボールの腕時計は素敵だった。
でも、本物か偽物か(おそらくそれは本物だったと今は思うけれど)
買おうかどうしようか迷って、サイフを握っていたその僅かな間に
他の人がそれを手にしてしまっていた。
少しでも疑ったり、業突く張った自分がいけなかったのだろう。
もし、それが本物であっても、偽物であっても、
自分さえ気に入ったならばそれでよかったのに
小さなサインに惑わされて価値を量ろうとした時点で、
もう、ダメだったのだと思う。





