1℃
私を軽く抱きすくめ
「いつもより熱い」とあなたが言った。
体温計はいつもより1℃高い数字を示し
その小さな変化を察知したセンサーに感心する。
実は朝からちょっと元気なかったから
たかが1℃の微熱でも
やさしくされると身に染みるじゃない。
もうすぐ長袖で歩ける。
あなたにはシャツも似合う。
一緒にまた季節が変わることを
しあわせだと思い洟をかむ。
ありがとう。
けっこう毛だらけ
「かわいい子には旅をさせよ」という諺があります。
子どもが可愛いならばなおのこと、箱入りにせず甘やかさず
旅(世の現実や厳しさの経験)をさせなさい。そんな意味かと思います。
これは何もかわいい子に限らず、
かわいくない大人(?)にも言えることで
トラブルもひっくるめて、いろいろあるから旅は良いもので。
日常から切り離され、五感が高まり、経験値が上がり
視野が広がり見えること、気付かされることは無数にあります。
自分自身も含め、周囲のことも、冴えた頭で観察できます。
・・・というのは旅する側から見た世界。
実は留守番している方も留守番しながらいろいろ考えているもので
かわいい子に旅をさせた親もまた、無関心とはほど遠く
毎日同じルーチンをこなし、見慣れた風景を歩きながら
“いつもとはどこか違う日常”を旅しているのです。
「いつもそこにある、当たり前のような幸福」に
たとえ保障や約束のひとつも無かったとしても
なぜ、繋いだ愛しい手を放すことができるのかといえば
そこに根拠などなく、ただ大丈夫だと頷ける何かがあるからで
シンパイではなくシンライしている・・・それだけのことです。
朝の5時にカーテンの向こうが黄色くて
早起きのあの子なら、きっと同じ空を見ているだろうと思いながら
不思議な色に染まった世界をしばらく眺めていました。
Stingの「La Belle Dame Sans Regrets」が心地よく
何度も聴いていました。
拝啓 残暑の候
残暑に追い込みをかけて鳴く蝉の声は、どこか切なく
遠い昔、夏休みの終わりに庭の茱萸にとまったツクツクボウシが
秋の訪れを惜しむような声で、繰り返し歌っていたのを思い出します。
歌い終わるときに、なぜか毎回声が裏返って
限界ギリギリまで加速する様が可笑しくて、笑わずにいられなかった。
箸が転がってもおもしろかった年頃のことです。
その後、
いかがお過ごしでしょうか。
私はというと、いつも通りに静かにしています。
にぎやかな蝉たちのほかは、音も気持ちも静かです。
今日は日差しが強かったのですが、雨傘しか持っておらず
それを日傘だと思い込んで、歩くことにしました。
傍目がどうであれ、自分さえよければいいやと思って。
あなたのことを考えながら、一駅余計に歩きました。
いつも通りでしょう。
一駅分、街を歩いていたら不思議な感覚に見舞われました。
子どもの頃から知っている、この街が好きだなぁとしみじみ感じ入り
路地に潜んだ思い出を拾い上げて、
楽しかった時代、昔の日々などを振り返ってみたりもしました。
悔やまず、惜しまず、どこか清々と、ただ懐かしい。
記憶のアルバムを紐解き足跡をたどると
「いま」がどれほど貴いものか、改めることができます。
とても逢いたくなりました。
それから、無駄遣いでコミックを一冊買いました。
別に必要なものではないのは分かっているのですが
ただ、喜ぶんじゃないかと思って買いました。
思惑通りに喜ばせられたなら、してやったり。
私もすっかり嬉しくなってしまいますから。
つまるところ、誰かのためとかいう大義名分はすべて
実は自分自身を喜ばせるためでしかなく、
平たくいえば自己満足でしかないことばかりです。
けれどもそれがあらゆる行いの動機となって、
世界が回っているのかもしれません。
(なんて、たかだか数百円にして
スケールが大きな話になってしまいましたが)
人を喜ばせたくてすることと自らが喜ぶことが一致していれば
我々に限らず、たいてい物事は上手くいくのだと思った次第です。
それでは、またね。
長くなりましたが本日はこの辺で。
敬具
Pyramid
健康のため、階段を使うようにしているのですが
とある駅で、何段か上がってみると謎の表示が目に入りました。
この先、階段、長く、注意?
何なのだ、いったい・・・と思いながら、
1フロア上がりきって折り返すとそこには
ダダーン!と、眼前にそびえたつピラミッドが。
地上が遠い。。。
一目見て、これはキツイなぁと肩をすくめると同時に、
さきほどの注意書きが妙におかしくもあり。
“長い”ってこういうことでしたか。
★
エジプトをはじめ、アフリカ大陸には行ったことがありません。
新婚旅行にケニアを選んだという友人夫妻のエピソードに、
そのセンスは素晴らしい!と感銘を受けました。
どちらが先に言いだしたのか、どちらともなく一致していたのか。
冒険ですが、ある意味とてもロマンチックな選択ではないでしょうか。
「いつか行ってみたい場所」は、無数にあります。
その上、どこか新境地を踏むたびに
「もう一度行ってみたい場所」も、増える一方だから
好奇心は尽きることはありません。お金は尽きても・・・(笑)
ミーハー気質な旅も、したらしたで嫌いではありません。
でも、予定をがちがちに組まず、フレキシブルに旅するのが心地よい。
気の置けない仲間と一緒なら、行き当たりばったりも楽しいもので
別の興味があったとしても、何時にここで集合!といって
解散しても気を遣わないようなパーティが良いです。
「ここがいいんじゃない?」とガイドブックで選んだのに
行ってみたら本と違うレストランになっていることは多々あります。
おまけに酷いサービス(ともいえないような)を受けて
納得いかない料理が出てきて、皆のテンションが下がることもあります。
けれども、そこで“その店”を選んだ彼や彼女を責めるのは筋違いで
お店選びに失敗したことさえも、ひとつの思い出になりますし
面白い内輪話のタネとして、皆の記憶に残ったとすれば
プラスの「収穫」はあるのでしょう。
こんな風に、降りた駅で目の前に長い階段があったとしても
その状況を楽しんだもの勝ちなのだと思います。
ひぃひぃ言いながら昇り切って、あー、疲れた!と愚痴をこぼし
歳の割にようやった!!と、健闘をたたえ合いたいものです。
泣いてもいいんだよ
思い出の曲が頭を巡っているのかもしれないし
好きな映画の名シーンを反芻したり本のページを捲っているのかもしれない。
何の変哲もない風景を見ている横顔が少し潤んでいるようだった。
狭いシートで触れる肩から伝わる温度と重さが好きだ。
カーブで傾いた身体が静かに上下しているから
あなたの横で、じっと、雛を護る親鳥の気持ちになる。
「起こしてあげるから寝てていいよ」と囁く。
瞼の裏に誰かの去り際や目映い笑顔や柔らかな匂いの記憶などが
何の変哲もない私の隣で過ることがあるとしても
それは至極自然なことなのだと思う。
互いを思い遣って生きられるように
心はときどき寂しくなる風に出来ている。
泣きたいときは泣いてもいいんだよ。
きっと、かみさまが「ひと」を創ったときに
そうやって私たちに優しさを植えたのだと思うから。
追熟
じゃがいも、米なす、ミニトマト。
いただきものの野菜が、たくさんあります。
米なすは大きな3つがグラタンと麻婆ナスに変身。あと1つ半になりました。
ミニトマトはお弁当に入れています。
じゃがいもは玄関で出番を待っている。早くしないと芽が出そうなので
ドイツ風に(?)、主食として茹でようと思います。
トマトが収穫された朝はまだ少し緑っぽいものも混ざっていたのに
今はみんな赤くなって、すっかり甘くなりました。
バナナやメロンのように追熟をするものだと初めて知りました。
ぱちんぱちんと、枝から切り離されても生きている。
★
いただいた野菜たちをありがたく味わいながら
追熟するのは、人も同じことなのかもしれないと思いました。
「老い」について、とある先生が言いました。
歳を重ねるにつれ、人は次第に肉体が衰えていくのに精神は洗練されていく。
けれども、非情にもそれらは反比例しているから、
誰もが一度は同じことを思うのだと。
「もっと知りたい、もっとやりたいことがある。人生は短い。」
幾つになっても尽きることのない知的好奇心に
自分の身体が思うようについてこないという事実と、焦り。
若い時代には考えたことも無いジレンマに対峙していることを
若い人こそ、知らなければならないのだと。
「よく、お年寄りに『おじいちゃん』『おばあちゃん』と
一絡げに呼びかける人がいます。
でも、それはいけません。必ず『〇〇さん』と、名前で呼んでください。」
その人の名前で呼ぶことは、親しみや敬意を示すだけでなく
呼ぶ人は、その人の存在を認識し
呼ばれる人は、自分自身に立ち戻ることができる。
そして、「ああ、この人は私を知っている」と安心できるのです。
老若男女、関係なく。
「名前で呼ぶ」とは、至極当たり前のようでいて
意外とそうでもないことです。
親しくなりたい人や、気になる人がいるならば、
まずは名前をたずねてみてはいかがでしょう?
永久不変
しあわせには足がはえていて
永久不変なものじゃなく
生もののように足が早く
ひとところに留まらないものだから
儚さを受け入れるための
覚悟みたいなものがあった
太陽が眩しすぎる日は影も色濃く
今日、この瞬間が嬉しすぎるのに
目いっぱいの嬉しさのなかにも
一抹の侘しさが同居しているのを
どうすることもできなかった
ねじり草が群生する原っぱで
裸足でバッタを追いかけ
青いじゅうたんに寝ころがって
時間よ止まれ!と
戯れに呪文を唱えてみる
花のいのちにしてもみても
永久不変なものじゃなく
けれど種を蒔かずとも
根がある限り
またさりげなく息を吹き返し
人知れず咲いているから
足元に目を留めてごらん
ずっと咲き続ける造花よりも
ときには枯れて朽ち果てても
いのちある美しさが貴いものだと
あなたは知っているんでしょうに
時間は止まらない
ならばまたおいでよと
秋を呼ぶ風が通り過ぎて行った









