象の夢を見たことはない -2ページ目

さくら狩りは素敵さ

ただ生きて戻れたら

 

 

ぼーっと見ていたらハンドルを取られる。

 

冷静と情熱のあいだ

農家の作業は、計算されているようで計算されていないし、計算されていないようで計算されている。

 

彼らの頭の中を見ると、実際の作業を軽く見積もり過ぎていて実データと照らし合わせるといい加減だったりすることもあるが、作業をする主体の心理的な負担も含めて考えるとその評価に納得することもある。

 

フォードの工場での労働時間の分析から、ライン生産方式からセル方式への転換なんていうのもあったけれど、機械化やAIによって人が働く必要はなくなってきていることを考えると、もはや労働は感情で動くほうへシフトをチェンジする時代へきている。

 

中山間地域での米の生産は、付随する草刈りやトラクタ・コンバインの移動にかかる時間を考えると、すでに全く割に合わなくなってきた。1反あたりコシヒカリで7俵~8俵で1俵(60kg)の農協への卸価格は、年々下がり続けてきたが、去年9000円台に突入。今年はそれでも10500円まで戻したが、だいたい1反の経費が、苗代から肥料、籾摺り代金などあわせ、労働賃金全く入れずに7万以上かかる。なお、8俵とれる農家は少なく、だいたい平均すると7俵。これに軽トラなどの車検代とかこまごまな農作業の器具の修繕・購入、獣害対策費用などを合わせると作れば作るだけ赤字になる。

 

では、なぜこれで経営ができるかというと、米以外に小麦や大豆を作ると1反あたりの奨励金がでる。麦、大豆、飼料作物だと35000円、したがって、大規模な農家は米で儲けはでないが、この奨励金だけで、10町だと350万、50町だと1750万入ることになる。中山間地域だと専業でも5町が限界で175万。たぶん機械は維持していくだけでペイしない。もちろん、賃金なしでだ。したがって、大規模農家でも、自力で米を売れる農家だけしか生き残れないが、これも結局どこまでもつかのチキンレースになっている。なお、いま、中山間地域で農作業しているのはほぼ年金生活者だけである。

 

 

オヤジが草刈りがつらくなってきたので、このところ2,3年は中山間地域に特有のナナメってる畔の草刈りを中心にやっているのだが、今日様子を見てきた。

これらは昨年の11月20日前後に草刈りしたが、3月19日まで4か月手を入れる必要がなかった。まだ、しばらく大丈夫だが、いまからが大変なのである。ただ自分もこれからこれらを趣味でやれるほど、蓄えがあるわけではない。なお、実際はナナメっているとこだけで、これの3倍あるし、そうでないところも刈っている。今からこんなことやるやつって、変人だけであるが、日本の多くの中山間地域はこれからの時代変人大歓迎であろう。変人でしかも小金持ちじゃないとダメだ。そんな奴はいない。そんな人間が大勢いるわけがない。

自分は冷静と情熱のあいだにいる。冷静と情熱のあいだにはなにも生まれない。

三重県公立高校入試

理科の難易度がかなり高い。

もともと、三重県公立高校入試の理科は、平均点がぶれる上に、難しめなのだが、物理は物理だけでなく、数学の知識が必要になっていたり、生物とも結びついていたりと、化学にしても、それぞれの物質の属性や、化学式など一つ一つの細かい知識を積み重ねる必要もあり、しかも問題数が多めな上に考えさせる問題であった。

 

国語、英語、数学、社会とも、文章の読解力とスピードを求められるようになっており、共通テスト的な資料の読み取り力が中学生にまで波及してきている。特に現実世界において、出会う情報が多くなってきている分、それらを速く、的確に処理するという現実世界への対応力が中学生にも求められている。この傾向は、無意識的に行われているものであるため、これからもずっと続いていく。将来的には、ツールやデバイスなどの使い方も含めて、基礎的な知識だけでなく、横断的な知識の応用力が問われる世界になるので、公立高校の試験対策も世界の情勢をみながらの総合的な人間力を養うものである必要があるだろう。

 

試験がおわって何するのと聞いてみたら、一人の中学3年生が友達と2人で東京へ2泊して遊ぶと。三重県のド田舎の中学生が、2人だけで東京へ行くことを計画する時代になったかと感嘆していたら、もともとは海外へ行こうと思っていたという。無謀だとは思ったけど、実現させていたら面白かっただろう。彼らの無茶な突破力こそが、日本人が持っている本当の力であるバカ力で、それが幕末とか戦後とかに発揮されたおかげでいままで日本が生き残ってきたのかもしれないとふと思った。そういうのは教えられるものではないし、教えられるとしたら、世界の面白さを伝えることだろうが、それも大きなお世話だなと彼と話をしていてそんなふうに思った。たぶん、新しい戦後は彼らの時代になるだろう。

クロストレーナー

サオリーナができてすぐからの会員なのである。

 

 

もともと、できたころにもジムはそれなりに人も来ていたのだけれど、ここ1年、2年くらいはさらにトレーニング女子が増えたような気が。プールも併設されているので、自分的には最初プールをメインに使っていたのだが、正直メニューもそうそう変えられるわけでもないので飽きてくる。ジムだと、器具ごとに目先が変わるので飽きにくいし、なによりストレス発散の方法をみつけてしまったのである。それがクロストレーナー。

 

 

このクロストレーナー、自分が最初使っていた頃はガラガラだったのだが、最近使う人が増えてきた。どうやら、有酸素運動の消費カロリー数がかなり高いらしい。

ジムの有酸素運動マシンでカロリー消費の大きいものは ...

まじか。結構漕いでいるのだが、水泳のほうがきつい気がしていたのだけれど。
で、なんでこれがストレス発散になるかというと、これを漕ぎながらステップ踏んで踊るわけだ。ヘッドホンから軽快な音を流しながらである。要するに、ライブに行けなくなったので、これの上で踊って発散しているわけで。まあ、踊るったって、時間中ずっと踊っているわけでもないし、バランスが崩れるからそんなに簡単にステップも踏めないので、せいぜいヘドバンしながら、体を揺らしているだけなのだが、ライブ会場で動くくらいには体を揺らせるわけで。タオルで頭を拭きながら、手ぶらで頭を振っているとほとんどライブ感覚で楽しめる。名古屋にいたころは、ジムではトレッドミルを使うことが多かったのだけれど、ブタになった体が大きくなったので、膝がやばいと。しょうじき、黙ったままでずっと同じペースで走るのも飽きていたのでなにか使えるものねえかなと。で、こいつもただこぎ続けるのは飽きてたので、バーから手が離せるなあとなったタイミングで身体を揺らしてたら、おっ!と。これは楽しいと。
 
正直、傍からしたら、変なおっさんにしか見えないのかもしれないが、ライブ会場で踊っていると結構まわりもノリがよくなるので、でも正直ヘッドホンだけで自分の世界で踊ってるのはやっぱりキモいかもしれない苦笑
 
夜の街 流れ星  夜の街 流れ星  夜の街 流れ星
今日借りた本
フーコーは借りたけど(これって今時5千円もするの?)途中まで読んでんーとなってたしか前にと思ったら何か書いていた。

 

 

あとちょっと読んで返そう。メメント・モリはさらっと読んだ。図書館システム更新でしばらく休館らしいので、だいぶ貸出期間はある。もう少し借りとけばよかった。

 

 

 

 

独立国家の作り方

世界2.0からの。

 

 

じゃあ、具体的に自分のレイヤーってどうつくればいいの?ていうか、そもそもレイヤーって何?ということが描かれているのが、坂口恭平氏の独立国家の作り方である。

 

路上生活者の視点から始まるわけだ。公園に寝ると警察官がやってくる。だが、警察官らは内緒話のように宣言する。河川敷へいけと。役所は縦割り社会であり、その縦割り社会の中にデッドスポットがある。それぞれの省や役場の管理下から外れている場所。そこが河川敷なのだ。そんなふうにして彼らは住む場所を見つける。次は食べるもの、そして娯楽までも。街の中には、そのような間隙があり、それらを見つけることで快適な自分自身の生活ができる。そういう思考、試行こそが空間を生み出している。路上生活者のレイヤー。レイヤーの発見である。

 

一方で一般的な人々についてである。所有を増やすことで発展した世の中。その世の中では土地を所有することが目的となっており、そのことで生活者が逆に土地に縛り付けられている。35年のローンを組んで、借金を返すために仕事をする。そのための生活である。そのために生きている。土地を所有することで、本当の意味で生きることを放棄してしまっているじゃないかと。生活が土地の奴隷になっているわけだ。システムの奴隷である。常識の奴隷でもある。それは本当に考えて生きていることになるの?僕たちは何にも考えてないんじゃないのかと。

 

路上生活者は考えている、考えながら生きている。家なんて寝室だ。自分の部屋はこの世界そのもので、世界には何でも落ちているし、そろっている。彼らは家を買うことはできない。だから、レイヤーを作り出したのだ。自分たちだけの。

 

それに気づいた坂口氏は自分のレイヤーを作り始めた。最終的には自分の中にもレイヤーを作った。絵を描き、ボランティア活動を行い、家を作り、本を出版する、トークショーもする。一人の人間の中に多次元宇宙を創る。それぞれの宇宙で社会との交換も始めた。自分の重力を多次元へ漏らすのだ。彼は、自分自身の新政府の総理大臣である。自分自身が独立国家になるのだ。

 

躁鬱病も抱えている。奥さんも子供もいる。そういう赤裸々な話を交えつつ、自らの生き方を恥も外聞もなくさらけ出してくれている。彼は、生きることを芸術とよぶ。自らの頭で考え、そして動く。実践する。それこそが芸術なのだと。

 

彼は鬱の自分でさえ利用している。鬱のときは、何にも感動しないし、何も行動できない。自殺願望が襲ってくる。だが、そのときが実はチャンスだ。そのときにだけ、絶望眼が働く。本物がなにかがわかる。本当にやばいものにあったときだけ、絶望眼がコンピュータのように寸分の狂いもなく、正確に反応する。行動する必要などない。傍観し俯瞰する。そのときにだけ、ほんとうに大切なものが見えるのだ。

 

自分で考えて、自分で計画して、自分で実践する。思考しよう。歩こう。人に出会おう。貨幣との交換ではなく、才能の交易によって新しいネットワークを作る。レイヤーを創出して、自分を拡張し、社会を拡張せよ。