独立国家の作り方 | 象の夢を見たことはない

独立国家の作り方

世界2.0からの。

 

 

じゃあ、具体的に自分のレイヤーってどうつくればいいの?ていうか、そもそもレイヤーって何?ということが描かれているのが、坂口恭平氏の独立国家の作り方である。

 

路上生活者の視点から始まるわけだ。公園に寝ると警察官がやってくる。だが、警察官らは内緒話のように宣言する。河川敷へいけと。役所は縦割り社会であり、その縦割り社会の中にデッドスポットがある。それぞれの省や役場の管理下から外れている場所。そこが河川敷なのだ。そんなふうにして彼らは住む場所を見つける。次は食べるもの、そして娯楽までも。街の中には、そのような間隙があり、それらを見つけることで快適な自分自身の生活ができる。そういう思考、試行こそが空間を生み出している。路上生活者のレイヤー。レイヤーの発見である。

 

一方で一般的な人々についてである。所有を増やすことで発展した世の中。その世の中では土地を所有することが目的となっており、そのことで生活者が逆に土地に縛り付けられている。35年のローンを組んで、借金を返すために仕事をする。そのための生活である。そのために生きている。土地を所有することで、本当の意味で生きることを放棄してしまっているじゃないかと。生活が土地の奴隷になっているわけだ。システムの奴隷である。常識の奴隷でもある。それは本当に考えて生きていることになるの?僕たちは何にも考えてないんじゃないのかと。

 

路上生活者は考えている、考えながら生きている。家なんて寝室だ。自分の部屋はこの世界そのもので、世界には何でも落ちているし、そろっている。彼らは家を買うことはできない。だから、レイヤーを作り出したのだ。自分たちだけの。

 

それに気づいた坂口氏は自分のレイヤーを作り始めた。最終的には自分の中にもレイヤーを作った。絵を描き、ボランティア活動を行い、家を作り、本を出版する、トークショーもする。一人の人間の中に多次元宇宙を創る。それぞれの宇宙で社会との交換も始めた。自分の重力を多次元へ漏らすのだ。彼は、自分自身の新政府の総理大臣である。自分自身が独立国家になるのだ。

 

躁鬱病も抱えている。奥さんも子供もいる。そういう赤裸々な話を交えつつ、自らの生き方を恥も外聞もなくさらけ出してくれている。彼は、生きることを芸術とよぶ。自らの頭で考え、そして動く。実践する。それこそが芸術なのだと。

 

彼は鬱の自分でさえ利用している。鬱のときは、何にも感動しないし、何も行動できない。自殺願望が襲ってくる。だが、そのときが実はチャンスだ。そのときにだけ、絶望眼が働く。本物がなにかがわかる。本当にやばいものにあったときだけ、絶望眼がコンピュータのように寸分の狂いもなく、正確に反応する。行動する必要などない。傍観し俯瞰する。そのときにだけ、ほんとうに大切なものが見えるのだ。

 

自分で考えて、自分で計画して、自分で実践する。思考しよう。歩こう。人に出会おう。貨幣との交換ではなく、才能の交易によって新しいネットワークを作る。レイヤーを創出して、自分を拡張し、社会を拡張せよ。