こんにちは!Seiraです!
実は、先日20歳を迎えました。
カナダや他の国の成人年齢は各国やその地域ごとに異なりますが、私は生まれも育ちも日本。ハタチを迎えるということはある意味自分の中の何かが大きく変わるような、そんな気がしています。そういえば日本もついこの前まで成人年齢20歳だったし、成人式(二十歳の集いっていうとこも出てきてるらしい)もタバコやお酒の解禁も20歳なのでやはり特別な1年という感じがしますね。
前置きが長くなりましたが、今回から約4回ほどに渡って私Seiraの20年間を振り返っていこうと思います。初回の今回は、生まれてから小学校入学までの出来事を書こうと思います。
幼少期(小学校入学前まで)
私は今から20年前の春に母の地元である山梨県の病院で出生し、1歳すぎまで父の実家がある神奈川県で過ごしていたそうです。その後、父の転勤がたまたま母の地元になりそれ以降は山梨で育ちました。それから留学するまではずっと山梨で暮らしていたので、神奈川での生活は記憶になく、親から聞いた話やたまに見るアルバム・カセットビデオからの情報しか知りません。
生後半年ごろに初めて東京ディズニーランドへインパークを果たし、それから1年に1度のペースで家族でパークに足を運んでいたそうです。初めてのキャラクターグリーティングはマックス(グーフィーの息子)でした。
1歳過ぎには東京ディズニーシーにも訪れ、その時はちょうど開園5周年だったり「アラジンのア・ホール・ニュー・ワールド」という伝説的なイベントが開催されていました。この頃ちょうど言葉をなんとなくぼやっと呟きはじめていたそうなのですが、パーク内の至る所にミッキーマウスやその形のものがあったので必死に「ミッキー!ミッキー!」と言いたげにそれっぽい言葉を言っていたそうで、後に母はこのことを呼吸発作にならないか心配だったと振り返っています。
ある意味生まれながらにしてDヲタだった私はパーク以外にも日頃からディズニー作品を見て育ちました。「ピーターパン」や「アラジン」「白雪姫」はVHSで何度も繰り返しみていたのを辛うじて覚えています。ピクサー作品もたくさん見ていて「トイ・ストーリー」や「モンスターズ・インク」「ミスター・インクレディブル」辺りは大好きな作品たちでした。
運命が変わったのは4歳になった頃。24時間ずっと一緒にいた親とすこーし離れて、幼稚園に通いはじめた頃でした。毎日登園が嫌で門のあたりで泣き叫んでいたようです。どれくらいの期間かは忘れましたが年少さんの1年間は泣いた記憶ばかりです。母も最初の頃はうるっとなったようですが毎日続いていたので「はい行ってらっさいー(棒)」と気にしなくなったようです。むしろ毎日泣きながら先生に担がれていく私を見て笑っていたようです。まあそうなるわな。
5歳ぐらいの頃、私の中で大きく変化したことがありました。それは特撮ヒーローの存在です。当時放送していた「炎神戦隊ゴーオンジャー」「侍戦隊シンケンジャー」「仮面ライダーキバ」「仮面ライダーディケイド」「仮面ライダーW」はディズニーかアンパンマンで育ってきた私にとってとてつもない刺激だったと思います。親は特撮ヒーローは1年で変わってしまうからという理由で変身ベルトなどのおもちゃをねだっても買ってもらえませんでしたが、とにかく夢中だったことは覚えています。さらには、幼稚園が非常に小規模なクラスで女子が10人に対し男子が3人だったため「セーラームーン」や「プリキュア5」なんかもめちゃくちゃ知っていました。同時期に「ドラゴンボール改」のフリーザ編がやっていたこともあり、そちらにもハマり、色々外の世界を知ったのがこの5歳の頃だったと思います。
そして6歳の頃。年長となってながーく感じていた幼稚園も最後の一年でした。先生や友達ともまるで第二の家族のように思っていたのでどんなことで遊んだとか何を話したとか、何で怒られたか、など人並み以上に記憶が残っています。最初はあんなに嫌に感じていたのにいざ卒園となると少し悲しかったです。
幼稚園の3年間の間に実は色々やっていたことがありました。
1つは外部の英語クラスに通っていました。同年代の子達とネイティブスピーカーの先生で簡単なアクティビティをするような感じのクラスで、リアルの英語で楽しめるならと親が通わせてくれていたそうです。当然英語がペラペラではなかったはずなのですが、どうやってコミュニケーションをとっていたのか今考えれば謎です。もしかしたら他の子達と一緒に日本語で押し通していたかもしれませんが、それでも毎週1時間といえども、ネイティブと話せる機会があったことはすごいと思います。それもあって、小学校までにはアルファベットは一通り書けるようになっていましたし、ある程度の超基本的な単語は覚えていました。もちろんアカデミックなものや日常会話を習得したわけではありませんが...。
もう一つはフィギュアスケートでした。こちらは冬のシーズンだけでしたが地元のアイスリンクで行われているスケート教室で週末滑りに行っていました。多分4歳から始めたと思うのですが、そこから小学校6年生の12歳までずっと通っていました。小さい頃から滑っていたのもあって基本的なことは一通り習いました。最後にはジャンプ+スピンの練習もしたりしたのですがそれはできずに終わってしまいました...。プロを目指していたわけではないのですが、浅田真央さんや高橋大輔さんのパフォーマンスを見てこんな風に滑れるようになりたいと言っていたそうです。そんなんで一時期はマイシューズも持っていました。成長とともにすぐに履けなくなりました。
そんな色々な経験や興味があった幼少期ですが、何よりも夢中だったのは絵を描くことでした。スケッチブック(もしくは紙や広告の裏)、クレヨン、色鉛筆を握らない日はなかったと思います。スケッチブックや紙の使用量が半端なかったらしく、母が広告の裏紙を集めてスケッチブックを作ってくれたのはすごく思い出に残っています。ちなみにパチンコの裏紙はツルツルのプリント用紙なので色鉛筆やクレヨンと相性が悪く大嫌いでした!とはいえ、もらったスケッチブックはすぐに使い切るし、挙げ句の果てには弟のスケッチブックや落書き帳の紙をとってそれに描いていたりしました。絵を描くことは他の遊びをすることよりも私にとって重要だったんだと思います。
ちなみに絵を描くこと以外だと最初に言ったようにディズニー作品を見ることや、おままごと、ぬいぐるみなど女の子向けのものがかなり好きでむしろベイブレードとかポケモンは知識が皆無でした。特撮とドラゴンボールだけで男の子っぽいが出てた気がしますね。ちなみに親の教育方針でゲームはない環境で育ち、DSやWiiの存在を小学校に上がるまで詳しくは知りませんでした。
0歳から6歳までの期間を今回は振り返ってみました。共感してもらえたりしたら嬉しいです。また、アメブロはお母さん達がたくさん利用してると思うので、子供の立場になって一つ発信したいと思います。幼少期に抱いた興味関心は10年後20年後、また人生において強い影響を及ぼすことがあります。やってみたい、見てみたい、こういった声にぜひ耳を傾けてあげて欲しいです。イヤイヤ期と重なってわがままだなと思う気持ちもものすごくわかります(下の弟の時は本当に地獄でした)。でも本当に幼少期のインプレッションは子供たちの人生に関わる大切なものなので、ぜひチャンスを多く与えてあげて欲しい、そう思います。
なーんかめちゃくちゃ長くなりましたね。6年間を3000字にするとこうなるわけですか...。1年あたり500字...。本当はまだまだ書きたいこともあったのですが、書ききれなってしまうので今回はこの辺で。また思い出したら追記したり、別の記事でその事を描こうかなと思います。
では次回は小学校入学から卒業までの6年間を振り返ります!
今回もお付き合いいただきありがとうございました!!
April 4 2024