こんにちは!Seiraです!

 

先日投稿した20代を振り返るシリーズ、今回は第2弾小学校の6年間を振り返っていこうと思います!小学校は今の自分を形成するきっかけとなった出来事がいくつもありました。なのでポジティブなこともあるのですが、その反面ネガティブな部分もかなり出てきます(中学校編よりはマシです)。それでは振り返っていきましょう。

 

 

 

 

小学校時代

 

1年生の頃は新しい環境で周りの男の子たちが本当に怖かったのを覚えています。幼稚園のみんなが割と温厚でお互いに思いやりのある友達ばかりだったので、全く違う状況に非常にストレスを抱えていました。TVの話も、ゲームの話も、何も理解できない時期がありました。それもあって、休み時間は校庭で遊んだりするよりも教室の中で絵を描いたりするような日が続いていました。男の子たちと親密になってお互いの家に行って遊んだりするようになったのは入学してから半年ほど経ってからだったと思います。それまでは女の子たちと遊んだり話したりするのが好きだった、というよりもそのほうが安心できたのだと思います。ちなみにその間に一番下の弟が生まれました。一応夏休みには地域の子供クラブのソフトボール大会に出たりしたのですが、熱血系が怖くてずっと日陰のベンチでポカリを飲んでました。

 

自分の人生の中で最も大きな変化があったのは2年生の8歳の時でした。この頃にはクラスのみんなと仲良くできていて、スポーツは好きではなかったので一輪車や竹馬などを友達とやってました。割と平凡な小学生になりかけていた頃だったと思います。その2年生の時の大晦日に放送されていた紅白歌合戦を録画してみていた時のことでした。その年の紅白はミッキーマウスや沢山のディズニーキャラクターたちがステージに登場する豪華な回でした。この時、嵐の大野智さんによるウォルト・ディズニーの特集が同時に放送され、私はこの時に今まで当たり前に存在していたディズニーというブランド、キャラクター、そしてその他全ての基盤を作り上げたウォルト・ディズニーという1人の男の虜になってしまい、そこから私の人生の夢が決まりました。「彼のような、世界中の人々を笑顔にするものを生み出す人になりたい。そしていつか彼を超えるアーティストになる」わずか8歳の子供は、自分が生まれる約半世紀前にこの世を去った男にまるで魂を吸い取られたかのように、ディズニーの全てにのめり込んでいきました。

 

3年生の時、もうすでに重度のディズニーヲタク(通称Dヲタ)と化していた私は夏休みの自由研究をウォルト・ディズニーについてのレポートにし、世界各国のディズニーパークの概要、ミッキーマウスの変遷などについてまとめました。当然当時の担任は「こいつ完全にやばいやつだ」と思ったでしょう。最近その当時のレポートが実家で発掘されたのですが。完全に思想の強いヲタクそのものでした。ですが、当時の没頭ぶりは今でも変わらずに続いてると考えるとそれはそれですごいものです。

 

そして、もう一つこの時期に自分の中でぼんやりと思っていたことがありました。それは髪の毛のことです。周りの男の子たちよりもちょっと長めの髪(女の子のボブっぽい感じ)だったのですが、なんとなく短髪にすることに違和感がありました。明確な理由はなくただ単の好き嫌いの問題でした。また、この頃からぽっちゃりおデブちゃんになり、性格や外見も合わせると中性っぽいような雰囲気になっていた気がします。エピソードを加えると警察署の道場で行われていた空手教室に行っていたのですがそこで「男なんだから我慢しろ」「これぐらい理解しろ」など、かなり理不尽なことを言われたり、性別を理由に決めつけられたりしてメンタルがボロボロになっていきました。今思えば、この時既に自分の性自認について違和感を感じていたのかもしれず、余計に強くストレスを感じていたのかもしれません。そして何より空手とはいえ他人の殴る蹴るという動作を怖く感じていました。完全に武道不向きの人間だったんですよね。結果的に8歳から10歳ぐらいまでの2年くらい通っていたのですが、よく耐えたなと思います。ちなみに、帯は買ってないのでずっと白でしたが6級(緑帯)まで行ってたと思います。今のところ真偽は不確かですが実家に証明証書があります。

 

4年生の時、髪を短くしました。ところがどっこい、おデブちゃんだったので丸い顔が強調されてしまい大変なことになってしまいました。親や友達にもイジられていたのですがこの頃はそこまで気にしていませんでした。ご飯を食べることは好きだけど、スポーツは好きじゃなく部屋の中で絵を描いている方が好きだったので、これは流石にやばいと思った母は弟と私をスイミングスクールに通わせてくれました。元々幼稚園で通っていたり夏休み限定で行っていたこともあり縁のある場所だったので結構楽しかったです。サッカーやバスケ、野球が苦手で体を動かすことを避けてきた分、疲労はすごかったです。でも正直痩せたりとかはなかったです。

 

10歳の年だったので授業参観の一環で二分の一成人式がありました。その時にみんなで将来の夢について発表したのですが。そこで私が発表したのは「東京ディズニーランドのバルーンを売るキャストさん」でした。私はこのことをかなり後悔しています。なぜなら本当の夢はもっと壮大で、自分が心からなりたいと思っているものだったのに、周りの目を気にして現実的な夢にしてしまったのです。私が大嫌いだった先生がある時、友達に「〇〇、現実を見ろ」と言ったことが私の中でまるで自分が言われたかのようにトラウマになってしまい、私の夢は現実的ではないのか、そう思い悩んでしまったのが元の原因です。10歳はある意味子供時代の終わりだと私は思っていて、周りの大人たちの中には将来何になりたいのかを聞くときに具体的なものを求め出す人もいます。例えば「サラリーマン」「イラストレーター」「医者」などでしょうか。でもそれまでの子供達というのは大きくなったら何になりたいか聞かれた時に「仮面ライダー」「プリキュア」「お花屋さん」など自分が好きなものやふんわりとした憧れを夢とすることが多いです。私の場合「ウォルトディズニーを超える人になる」という夢を小さい頃から持っていたのですが、それは特定の職業を指しているわけではありません。アニメーター、映画監督、ショー演出、マーチャンタイザー、プロデューサーなど職業を指せば彼を目指すにしても本当に幅広いものがあります。絵を描くことやアニメーション作品を見ることが大好きだったからアニメーターを目指す、というこの答えに辿り着いたのはその二分の一成人式での発表の後でした。周囲の目を気にして自分の本質的な部分、大事な部分を大切にできなかったことに、母はかなりショックを受けたようです。それ以降、私はどんな時でも自分の夢を恥じることなく表に出すようになりました。そして今もその夢を抱き続けているからこそ、海外からこのブログを発信しています。

 

 

さて、長くなりましたがここからが5年生のパートです。ここからは私の内面的なことにフォーカスしていきます。この頃からとうとう私のダイエットが始まりました。きっかけとなったのは、担任や友達から他の肥満児のクラスメートと同類にされたことです。その肥満児のクラスメートを私は心の底から人間的に嫌っていて、その人間と同じカテゴリーにされたことがショックで自分を変えたいと思うきっかけになりました。そこから過度な食事制限はせず、週に一度の水泳とおやつを食べることで夕食を食べすぎないことを意識していました。

 

林間学校がなどの時に自分の体を見られることを意識してしまう子供は多いですが、私は自分の体を嫌うようになりました。自分の中でこの頃には体の性別と心の性別が大きく違うと気づいていて、男性の体でいることに酷く拒絶するようになりました。生まれた時から持っている自分の体なのに、成長と共に思っていたものと大きくかけ離れていくことが怖かったのだと思います。ある意味、身体的に成人することへの拒絶でした。

 

6年生の時は一番髪が長くてポニテにできるぐらい長かったです。運動会では組み立て体操があったので髪をしばりましたが、それは私にとって大きな変化でした。「髪を縛るなんて女みたい」と言われたからかもしれませんが、抵抗がありました。また同時期に先生から「髪をきれ」「卒業式に袴履いてこいよ」など今でこそ問題になりそうな言葉は何度も言われたことがあります。身内の中でも「男らしくしなさい」と言われたこともあります。確かに「らしさってなに??」と思うことはありましたが、それでも、その当時はLGBTQ+のことを自分も詳しく知らなかったこともあり、「私はこういうことを言われても仕方がない見た目をしてるんだ」と思うだけでした。もし、私が2020年代の小学生だったら、そんなことで思い悩んだり周囲から言われたりすることもなかったのでしょう。ですが、髪が長くても、心が弱くても、関係なく仲良くしてくれたのは幼馴染たちとクラスの女友達でした。放課後や休み時間の記憶は男の子たちと遊んだ記憶より女の子たちと遊んでいた記憶の方が圧倒的に多いし楽しかったです。当たり前のように感じていましたがこんな変わった人間と友達でいてくれたことは本当に感謝でしかありません。

 

 

小学生の後半は体の変化と共に精神的な変化が大きくありました。もちろん見た目の変化が凄まじかったのはいうまでもないですが...。今でこそ「あー、あの時ジェンダーのことで悩んでたんだな」と思いますが、無知というのは恐ろしく、自分が何者であるかすらも未知のままになってしまうのです。周囲の大人から言われたマイナスな言葉は褒められたことよりもよく覚えていますし、若干トラウマにもなっています。一時は不登校寸前まで精神的なダメージがありました。そんな中でも小学校が楽しかったと思えるのはクラスの友達たちの存在でした。光あり闇ありの6年間でしたが生涯忘れられない思い出がたくさん詰まっています。

 

 

さて、今回はここまでとなります。次回はさらに闇の底へお連れします。悪夢の中学時代です。

くら〜い話が多くなってしまいましたが、サムネは小6の際にフリグリで撮ってもらったスティッチ&エンジェルとの3ショットです!

 

April 8 2024