生まれて10年にも満たない子どもたちに話をする時、難しいことを難しいまま話すのはバツである。

教師の役目は難しいことを簡単に例えたり、イメージ図を描いて話したりすることである。

難しいことを難しくいうのは誰でもできる。

いかに本質をシンプルに伝えるかが大切だ。


何を教えるにしても、その子に納得させながら短時間で全体像と次をイメージさせながら教えることができる人は一流である。


・どういう理由で、どこを目指すのか。(全体像)

・そのために今から具体的に何をするのか。(当面の課題)


今日、達人を見た。

授業を考える時に大切なのは「つなぎ」であると思っている。

子どもの意識が川のように流れるのが理想的だ。

つなぐために様々な教育技術を使う。


この前の算数の全体公開授業のスタートの2分間には手遊びを使った。

「まねしてね」と私は呼んでいる。

手のたたき方などをまねさせる幼児向け?のゲームである。

幼児向けではあるがアレンジすれば6年生までは充分使える。


もちろんただの遊びではない。

この120秒はつながっているのだが指導者側からみると3つのパートで構成してあり、それぞれのパートにはそれぞれ意図がある。意図がなければ授業中にする意味はない。

・パート1の意図 (集中とリラックスと全員参加を促すこと。)

・パート2の意図 (本時の方向を頭にしみこませること。)

・パート3の意図 (既習の重要語を復唱させ、本時の学習のポイントを理解する下地ぬりをすること。)


このような「つかみ」は次の第1段階の学習活動を全員のものにするために、どうしても入れなければならないと私は判断した。準備運動前の軽いジョギングで体を温めるのに似ている。



私の専門は保健体育である。

その中のスポーツ運動学であるが、これは知名度が低い。

運動生理学や運動心理学、運動社会学などは何をしているのかおよそ見当がつくのだが、「運動学とは何やってるの?」といつも聞かれた。「現象学だ。」と答えると「余計わからない」と言われたものである。

卒論は「ジャンプヘディングのモルフォロギー的考察」である。

何のことかことかさっぱりわからないといわれる。


充分な説明はできないが、「人間の運動現象を観察して運動の事実をありのまま捉えてその意味を考察すること」を目指していたというのは覚えている。誤解を恐れず、一言で言えば「運動の見極め」と言っていい。


ニュアンスは、医者が患者に触れてする「触診」に近い。

決して血液検査などの数値データーからの分析ではない。

運動現象を科学的(物理的・数値的)に捉えるのはバイオメカニクスとかキネシオロジーとか呼ばれている。

現象学では数値データーはおまけ程度にしか扱われない。

人間のありのままの運動現象が大事なのだ。

一部だけ切り取って数値化したものを振り回すようなことはしない。


今は体育研究とは離れてしまっているが、私の教育実践の根底にはこの現象学で学んだ「見方」へのこだわりがあると思う。

私が子どもの動きを見極めるために使ってきた時間は膨大である。

向山氏がしていた放課後の作業を私は見習った。

夕方、今日子どもと話したことや教室の一日の出来事を映画のように思い出す孤独な作業をしてきたのだ。


今まで1000日分は行ってきただろうか。長く続けるコツは映像で思い出すようにすることだ。

初めは断片的に3つくらいしか思い出せないが、100日ぐらい続けていると連鎖的に映像クリップのように出てくる。

「あの子はこのような状況でこうしていたので、こうかかわったら、こう反応した。」という状況に埋め込まれた見極めは連鎖的に思い出せるようになったころにできるようになる。

見極めができない状態で教育技術だけを振り回すのは危険なのである。

患者の診断を誤ったまま行う処方が患者の命を余計脅かすのと同じである。

鳥目の人が夜間、車の運転をしているのとも似ている。


しかし、なぜか大学を含め教育界では「見極め技」習得も「指導技」習得も常識となっていない。

力量とはこの2つの掛け算の積だと思うのだが。



今までそうじの指導についていろいろ悩んできた。

どうにもならなくて「あとみよそわか」だけでいいと思った時もある。

毎年思うが、そうじの躾は本来学校ですべきことではないと思っている。

家で親がすべきことだと思う。


問題は「子どもがそうじしないこと」ではなく、「家でほとんど何もそうじについて躾けられていないこと」だと思う。挨拶、公共の場での振舞い、そうじ、食生活については親が90%の責任を持つべきである。


いつもこのことを考えると幸田露伴の躾の話を思い出す。

娘の文(あや)に細かに、そして厳しく教えたらしい。

「あとみよそわか」 という呪文の話は心に残っている。

ぞうきんの絞り方、用い方、バケツにくむ水の量など・・・やはり親がすべきなのだ。

そうじは修行のようなものなのだ。

永平寺に修行にいった島田先輩も「そうじは大事なおつとめだ」と言っていた。


しかし、学校でそうじ指導に真剣に取り組んでいるところがあるのも知っている。

長野県では有名だが無言清掃というすさまじいそうじ指導を見たこともある。

そうじをする行為を教育的に(精神的に?)指導することは意味があると思う。

しかし、そうじのやり方をきちんと教えられていない10歳にも満たない子ども集団がきちんと掃除できるわけがない。ここからスタートするべきである。


その場で手取り足取り教えるのが基本なのだが、40人を相手に多忙な学校の一日の中ではとてもしんどい。

学校の中心は授業なのである。そうじ指導にあまりエネルギーをかけるとその分授業のエネルギーが減る。一日のエネルギーは限られていると割り切るほうがよい。ここは効果的に行動を変容させる手立てを講じるべきだ。今まで10数種類の指導ストックの中からなかなかいいものを挙げる。


●指導法1 

いい加減にそうじしている子どもに。

「あなたのやり方はいい加減なので、明日はそうじをしなくていいです。見学してください。」という見学パターン。

●指導法2

教室以外のそうじ場に行って遊んでしまう子に。

「あなたは代表で行っているのですが、きれいにする気がないようなので、明日は教室そうじをしてください。」という残留パターン。

●指導法3

教室以外のそうじ場に行って遊んでしまう子が多数いる場合。

「私がここをきれいにそうじしています」というタイトルをつけた画用紙を張り出し、熱心にそうじしているこの名前を書き増やしていく。プラス評価の積み重ねパターン。

●指導法4

そうじが終わったあと、クラス全員でそうじの反省会をする。

「今日一番がんばっていると思った人はだれか」を全員に発表させる。(ひとり10秒)

プラス評価と公表をクラスの生活に組み込むパターン。

これを1週間続ける。または週1回定期的に行う。


どれを使うかは状況を見て判断するが、そうじだけの問題ではないことを忘れないことだ。

学級経営の素地ができていない時はどれも効果が少ない。




私は指導技術のランキング1位は「話す技術」であると考えている。

教師は毎日、子どもたち相手に話すのが商売である。

つまらない話を聞かされる子どもからは笑顔と緊張感が失せる。


私は今までに出会った子どもたちに数え切れないくらいの話をしてきたし、これからもするだろう。

以前教えた子どもから聞いたのだが、私の話には「たとえ」話が多いらしい。

調子に乗ってストーリーテラーみたいになる時もある。


今日のたとえ話。

「ざるとボール」  ノート指導の場面で

「日付を書くとか、ノートをさかさまに出さないとか、小さなことに思えることがいくつもあるが、このようなことが当たり前にできないと君の努力は報われない。」

「これらのことができないで穴だらけだと、どんなにたくさんのことを学んでも、ざるの目から落ちるようにほとんど残らないのである。」(イメージ図を板書)

「君たちはボールになりたいのか、ざるになりたいのか」


3年生にも6年生にも同じようなたとえ話をしている私は問題があるにちがいない。

しかし、3年生にも充分通じていたという感触があった。

久しぶりに算数の授業開始直後にノートチェックをした。

「日付と線を書いて持ってきなさい。」

持ってきた子は教卓の横から列をつかせて座らせて待たせる。

これからの3分間に私は全員に対して10のチェックをする。

・ノートがない子はだれか。(0人)

・だらだらしてなかなか書き始めない子はだれか。(6人)

・日付を書いていない子はだれか。(0人)

・線を定規で引いていないのはだれか。(4人)

・線ががたがたしているのはだれか。(12人)

・両手でノートを差し出さないのはだれか。(5人)

・さかさまに出したり、並んでいるときに油断したりする子はだれか。(4人)

・マルをつけてもらった後、「ありがとう」をいう子はだれか。(8人)

・目を見て「ありがとう」を言うのはだれか。(2人)

・見せ終わった後に、復習問題をしていない子はだれか。(4人)


子どもたちに漠然と注意してもそれは子どもたちに充分届いていないという事実を見過ごしてはいけない。

指導の基本型はシンプルに「みんな」に話し、リアルタイムで「ひとり一人」を評価・助言することである。

指示したことは必ずチェックをして、できていなければその場でその子に直接、具体的に努力する方向を示すことが学級経営の素地作りのツボである。


「どっちでもいい」などと曖昧でいい加減な判断・行動が許されないことがいくつかある学級はかんたんに崩れない。

これを徹底的にする気概をもつことが学習集団をマネジメントする必要条件だと私は思っている。

数分のノートチェックから子どもの事実をいくつ見抜くことができ、どう切り返すかが隠れた授業技量である。



オリジナルアイスブレークを考えた。

目的は心の氷を解かすことだ。

「たまごわり」とネーミング。


アイスブレークというのは出会いの場面で参加者のリラックスを誘う導入技術である。

私は「つかみ活動」と呼んでいる。

ファシリテーションの世界では当たり前のことである。

簡単に言えば、話し合うきっかけをつくるためのちょっとしたゲームやクイズや運動を行う「あれ」である。

誰もがどこかで経験したことがあるとおもうが、やはり当たり外れはある。

特に大人向けのアイスブレークは多いが、9歳以下の子どもにぴったりのものはあまりない。

単純明快で、短時間でできて、ちょっとどきどきして充実感のあるものがいい。


「たまごわり」は初めから最後まで声を出さないで行う。

声はゲーム効果を下げるので初めにしっかり釘を刺しておくことが重要。

やりかたは、まず相手をきょろきょろ探して、相手が見つかったらお互いに右手人差しを「ET」 のようにちょんと合わせる。

最初の動きは「ゆびちょん」である。

指先に神経が集中して面白い。

ここでを合わせて、で「せーの」をして息を合わせて、両手で挨拶を始める。


動作は3挙動。

1 まず両手で自分の頭を軽くたたき(たま)、

2 次に胸前でパチン(ごわ)、

3 決めは相手と両手をパチンと合わせる。(り!)


終わったら次の相手を探して同じようにする。

5分ぐらいの間に10人ほどの人とできる。


恥ずかしい顔に笑顔がぱっと咲く。

いっぱい咲くはず。


もちろん、やり方をシンプルに説明し、楽しく演示してやりたくなるように仕向けるのは当然である。


「日本ファシリテーション協会」のページは役立つのでリンク貼り。


http://www.faj.or.jp/facilitation/tools/

アドリブというのは「ad lib」と書くらしい。

ad libitum アドリビトゥムが省略されたものだそうだ。

「随意に」という意味のラテン語だ。

随意には束縛や制限のないとか、思いのままであるという意味があるようだ。


「思いのまま」か。

これはいいね。



いね

3年1組 算数科学習指導案              11月15日(火)5限目

1.単元名  見やすく整理しよう (ぼうグラフと表)
2.目標

・資料を目的に応じた観点で落ちや重なりがないように分類・整理し,進んで表や棒グラフに表そうとする。     【関心・意欲・態度】
・資料を分類・整理する目的に応じて観点や項目などを考える。    【数学的な考え方】

・資料を分類・整理して表(一次元表,簡単な二次元表)や棒グラフに表すことができる。 【表現・処理】
・表や棒グラフから数量をとらえたり,数量間の関係を読み取ったりすることができる。

・表(一次元表,簡単な二次元表)の作り方や棒グラフの読み取り方,かき方を理解する。【知識・理解】

3.指導にあたって

 (1)教材観

 現在の子どもたちはすでに急速な社会の情報化に巻き込まれながら成長している。高度情報化社会では膨大な「量」の資料が流通するため、資料からデータを的確に取り出して、意味づけして解釈・判断する力が今までよりも重要になってくるであろう。(図1)

ちがい

OECDのPISAテストにおける「読解力」の捉え方を当てはめて資料を活用する学習場面を考えると次のように4つに分けることができる。(図2)


読み解く力

       
①必要な資料データを探したり、収集する場面。   (データ収集、データへのアクセス)
②資料から必要な部分をピックアップする場面。   (解読  データーの取り出し)
③取り出したデーターを解釈する場面。      (解釈  データの意味づけ )
④意味づけたデーター(情報)を判断する場面 (判断・評価=思考 筋道立てて考える)


 算数科においては上記の中で、数処理(分類・整理やグラフ化)が必要な場面を取り扱い、さらに見やすく整理した数量関係に目を付けて、それを根拠として筋道立てて判断、思考する力を育てていきたい。
 また統計教材の学習において大切なことは次の5つであると捉え授業を構成することとする。

①何を知りたいのかをはっきりさせること。 (目的の明確化)
②必要な資料を収集すること。 (収集の条件)
③適切な項目に分類整理すること。 (表に整理)
④結果を見やすくグラフ化すること。(図形資料)
⑤分類整理の結果をもとに判断できることを言語化すること。(判断)


 本校で使用している東京書籍の教科書は、統計関連教材を以下のように配列している。

○数字は配当時間 
 

2年 時計やひょうやグラフ①

      ・簡単な一次元表とグラフの読み方、書き方。
3年 ぼうグラフと表⑩

     ・資料を分類整理して一次元表にまとめること。
      ・ぼうグラフの読み方、書き方。
      ・簡単な2次元表のまとめ方と読み方。
      ・まとめ やってみよう①(本時)
4年 折れ線グラフ⑧

      ・折れ線グラフの読み方、書き方。(傾きと変化の関係)
    整理のしかた⑤

      ・2つの観点から資料を分類整理すること。
   ・2次元表をまとめて、特徴を調べること。
5年 百分率とグラフ⑬

    ・資料を全体と部分の関係として捉えること。
   ・帯グラフや円グラフの読み方、書き方。
    算数と情報「給食大調査」②

       ・目的に応じて収集した情報を,既習を活用してグラフや表に表すこと。
   ・それを元に考察して,問題解決能力や情報処理能力を伸ばすこと。・
6年 算数と情報「物の値段大調査」②

       ・目的に応じて収集した情報を,既習を活用してグラフや表に表すこと。
     ・それを元に考察して,問題解決能力や情報処理能力を伸ばすこと。

 2年生で1時間だけ簡単な資料の扱い方を学習しているが、本格的な資料活用の学習は3年生からであると考えて良い。そして3年では物事を統計的に見る際に一貫して必要となる「分類整理」について取り扱う点が重要である。したがって技能的な面に偏るのではなく、子どもたちが「表」や「グラフ」のよさ(有用性)に気づき、今後進んで活用していく態度育成を意図して授業を構成していきたい。たとえば分類整理をする必要感が実感できる素材の提示や表とグラフの関係を視覚的につかませることができるデジタルコンテンツの活用などである。

 また単元の終わりでは、子どもたち自身が実際に「生データー」を収集し、分類整理して、表に表したり、グラフ化する場面を通して学習内容の確認と体験を通して見やすく整理する良さを実感できるように配慮したい。

(2)児童観

育てたいことがら

 このクラスの子どもたちは大変活発である。そして落とし物が非常に多い。
 学習上の問題点は学習用具が揃わなかったり、一部の自分勝手な言動に引きずられたりして学習が滞ることもしばしば見られることである。4月から学習時のルールを丁寧に繰り返し確認し、叱咤激励する中でメリハリのある学習の雰囲気作りを心がけてきた。
 算数学習においては、多くの子どもたちは単元や領域、習熟度に関わらず、「計算問題は好き」だと答えるが「考えることや書くことは苦手」だと答える。これを評価の4観点で子どもたちに自己評価させると「関心・意欲・態度」は○の子が多く、「考える」はおよそ半数が△、「できる」は◎が多く、「わかる」はだいたいの子が○という傾向を示した。

 基礎的な計算技能については、継続的に実施している百ます計算の結果を見ると、九九の定着や集中度は徐々に高まっていると判断できる。9月のテストでは単純な計算ミスや単位のつけ忘れなどのケアレスミスが4月より減少している。また、およそ90%の子どもたちが計算時に定規を使って横線を引くことが習慣化している。
 このように算数の学習に前向きな面が多く見られるが、依然として「考える」ことへの抵抗感は拭いきれていないことが指導上の悩みである。学期末の個人懇談の際には数名の保護者から「文章題が苦手なのが心配だ」という相談を受けた。家庭学習の際に相当苦しんでいるようである。
学校での授業中はわかったつもりでいても、いざ家庭で自分一人の力で問題に向かった時には悲鳴を上げている様子が目に浮かぶ。

 このような実態を踏まえて、本単元では資料の分類整理やグラフ(図形資料)を作成する学習体験を通して、問題を把握したり、問題解決の見通しを立てるためにまずは「見やすく」処理することが非常に大切であることをつかませたい。これは表やグラフに書き直してみるというだけに止まらず、常に問題場面をイメージ図に表したり、数値化してみたりするという考え方の習慣につながるものである。この過程をないがしろにするがために問題が把握できないまま立ち往生してしまう子どもが多い。「考える」ことが苦手だという子どもたちは「何を考えればいいのかわからない。」という悲鳴をまず上げる。つまり、何が問題なのかよくわからないまま、とりあえず強引に解決しようと試みる傾向にある。このような子どもたちに対して、本単元の分類整理の学習は非常に意義深いと考える。

 したがって、本単元では指導が技能的な面にばかり偏らないように留意し、見やすく分類整理する良さに気がつかせたり、グラフ化よって誰もがすぐポイントがわかるというメリットを実感できたりするような授業構成を工夫し、細やかな評価・支援を行うようにする。 

 

(3)指導体制と指導方法


2年生の時はT.Tで算数を実施していたが、4月から少人数算数が始まり、2グループに分かれて学習することにもずいぶん慣れてきた。当初算数の習熟度別の意味が分からなかった子どもたちも実際に少人数グループで学習する中で「いつもとはちょっと違う学習(活躍)ができる」ということに気づき始め、安心しているようである。

 本単元はがっちりグループ12名、チャレンジグループ28名の習熟度別の編成を行った。これはプレテストを実施し子どもたちの資料に対する実態を調べてみたところ、重なりや落ちがないように最後まで資料からデーターを抜き出す段階での差が見られたからである。また日常の分類整理の様子や、問題把握力・数学的な思考の苦手意識などの観察データをグルーピングする基礎資料とした。

 プレテストで子どもたちにどのグループに入りたいか選択させると、スピーディで確実な数的処理を苦手とする子どもたちは、「先生にそうだんする」を選ぶ傾向にある。そこで学習の見通しがうまく立たず不安な気持ちを持っている子どもたちにはじっくり算数的な活動を進める中で分類整理の良さに気づいてほしいと願い、人数の少ないがっちりグループに入るように勧めた。

 また、チャレンジグループ28名の子どもたちは計算の基礎的な技能はかなり高いので、表に分類整理したり、グラフを書くポイントを捉えて書くことには抵抗が少ないと考えられる。しかし自分で分類の観点を考えたり、どのように目盛りを打てばよいか考えたり、あるいはできあがったグラフからある読み取りを行って、それを言語化する点につまずく子が見られると予想できる。そこで28名を4人の7グループに編成し、単元を通して関わり合う学習場面を多く設定することとする。