私の専門は保健体育である。

その中のスポーツ運動学であるが、これは知名度が低い。

運動生理学や運動心理学、運動社会学などは何をしているのかおよそ見当がつくのだが、「運動学とは何やってるの?」といつも聞かれた。「現象学だ。」と答えると「余計わからない」と言われたものである。

卒論は「ジャンプヘディングのモルフォロギー的考察」である。

何のことかことかさっぱりわからないといわれる。


充分な説明はできないが、「人間の運動現象を観察して運動の事実をありのまま捉えてその意味を考察すること」を目指していたというのは覚えている。誤解を恐れず、一言で言えば「運動の見極め」と言っていい。


ニュアンスは、医者が患者に触れてする「触診」に近い。

決して血液検査などの数値データーからの分析ではない。

運動現象を科学的(物理的・数値的)に捉えるのはバイオメカニクスとかキネシオロジーとか呼ばれている。

現象学では数値データーはおまけ程度にしか扱われない。

人間のありのままの運動現象が大事なのだ。

一部だけ切り取って数値化したものを振り回すようなことはしない。


今は体育研究とは離れてしまっているが、私の教育実践の根底にはこの現象学で学んだ「見方」へのこだわりがあると思う。

私が子どもの動きを見極めるために使ってきた時間は膨大である。

向山氏がしていた放課後の作業を私は見習った。

夕方、今日子どもと話したことや教室の一日の出来事を映画のように思い出す孤独な作業をしてきたのだ。


今まで1000日分は行ってきただろうか。長く続けるコツは映像で思い出すようにすることだ。

初めは断片的に3つくらいしか思い出せないが、100日ぐらい続けていると連鎖的に映像クリップのように出てくる。

「あの子はこのような状況でこうしていたので、こうかかわったら、こう反応した。」という状況に埋め込まれた見極めは連鎖的に思い出せるようになったころにできるようになる。

見極めができない状態で教育技術だけを振り回すのは危険なのである。

患者の診断を誤ったまま行う処方が患者の命を余計脅かすのと同じである。

鳥目の人が夜間、車の運転をしているのとも似ている。


しかし、なぜか大学を含め教育界では「見極め技」習得も「指導技」習得も常識となっていない。

力量とはこの2つの掛け算の積だと思うのだが。