造形師列伝・木下隆志②/海洋堂ギャラリーの歴史 | アディクトリポート

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※昨日作成中で間に合わなかった記事が出来上がったため、不定期公開します。

 

前回の関連記事(テーマ:ウルトラマン)で、

 

 

さて、前回寄り道してたら、

海洋堂のCharacter Classicsの総括が中途半端になってしまったので、

今回こそは、やり抜かねばと。

——としておきながら、

またしても途中で終わってしまったが、

この一連でふり返っている事柄は、

タロウCC/たまにはしくじる、あの人あの会社

2019年10月28日

の際に語ろうとしながら、

内容が多岐にわたるため早々と切り上げたもので、

それだけにじっくりていねいに拾っていくと、

今回もまた、語りきれるかどうか…。

 

海洋堂のハイパーソフビ ウルトラマン(ファイティングポーズ)は、

1988年製で、全高70センチ

画像はこちらより

 

 

海洋堂 1/50 ハイパーソフビ ウルトラセブンは、

全高71センチ 1989年〜92年製と推測。

誰か発売時期を教えて下さい!

 

なぜ発売期を特定できないかというと、

ネットでは情報に行き着かず、

発売時の模型誌が手元にないため。

 

海洋堂の広告を見れば歴然ですが、

あいにくSW関連号以外は処分してしまいまして。

 

後述する

「海洋堂」半世紀フィギュア大図鑑

は、

全5000アイテム中、食玩を中心に2000アイテムしか収録されず、

セブンのソフビも未掲載。

 

たしか同時期に発売されたと記憶する、

ビオゴジ大型ソフビ「ゴジラ1989(1mビオゴジ)」

は掲載されてはいるものの、

『ゴジラvsビオランテ』公開が1989年12月16日だったから、

安直に1989年発売とされているが、

いやいや、そんなはずはない!

 

 

 

同作の原形は、

1990年、海洋堂主催の『第二回アートプラ大賞』に出展された超大作で、

後年にソフビ商品化された

ため、発売は91年かさらに後のはずだし、

(同社最大のソフビ製品のため、発売までには時間がかかると、新宿の夏期イベントでセンムが言ってた)

とにかくハイパーソフビのセブンは、

ソフビ素材で顔面がやせ細ってしまった製品の顔幅を広げて固定し、

専用台を設置した独自作例

 

この1mビオゴジとほぼ同時期の発売で、

海洋堂ホビーロビー2号店の、

階段あたりでの見本写真の撮影が記憶に残っているからである。

 

今回は、

海洋堂Character Classics資料館

はお休みして、

ここで海洋堂ギャラリーの歴史をふり返っておく。

 

海洋堂ギャラリーの歴史

 

大阪が拠点の海洋堂が、

海洋堂ホビー館を大阪府門真市殿島町6-10

に構えながら、

↑月刊ホビージャパン1983年7月号広告

「東京進出こそ業績拡大の要(かなめ)」とばかりに、

1984年7月22日に一号店をかまえたのが、

月刊ホビージャパン1984年8月号広告

関東首都圏の住人には、

「どうしてそんなところに?」と首をかしげる、

↑月刊ホビージャパン1984年12月号の広告↓

中央区茅場町(かやばちょう)2丁目17−4

などという、

誰も立ち寄らないような川沿いの場所だった。

かわ

(店の奥の窓から見渡す川に、ボートが停泊しているのが見えた)

 

開店日の1984年7月22日に立ち寄ると、

店前でのセールに大混雑。

 

「ここにあるだけでおしまいです!」に煽られて、

売り切れ間際のララァのレジンキットを買って、

yoki

午後に再び立ち寄ると、

「ここにあるだけでおしまいです!」と午前と同じかけ声が聞こえ、

再びララァが売られていて、

「これが大阪商法か」と思い知った。

 

茅場町ギャラリーは1986年11月に渋谷に移転。

渋谷駅から近く、

階段を下りていく狭い店舗だった。


86年翌12月には、

道玄坂を登りきって右の曲がったところにあった、

 

渋谷駅よりも神泉駅により近い、

渋谷第2ギャラリーがオープン。

 

 

1988年には、開業2周年の渋谷第1ギャラリーが渋谷ホビーロビー1に改称。

 

1990年には、渋谷ホビーロビーの1と2を2に統合。

 

↓ホビージャパン1990年12月号の広告

 

海洋堂は1992年ワンフェス運営をゼネプロから引き継ぎ、

1996年から食玩を展開。

翌97年に渋谷ホビーロビーを秋葉原万世橋に移転。
「海洋堂ホビーロビー東京」と改称。
※この店舗だけは、行った覚えがありません。

いや、秋葉原では同じ会社が複数の店舗を持つのがあたりまえで、

どうやらラジオ会館すぐ近くの、

ショーケース密集店舗、

秋葉原ホビー天国のことを指しているらしい。

エレベーターが店の奥にあって使いづらく、

階段を上ったかなり上階に海洋堂の店舗があり、

アッセンブルボーグの部品が遊び放題に散らかっていた。

 

 

秋葉原/神田ラジオ会館4F

びる

ふyt

に移転したのは翌1998年である。

 

 

 

 

↑月刊ホビージャパン1993年1月号の広告

↑月刊ホビージャパン1994年5月号の広告↓

↓月刊ホビージャパン1999年4月号の広告

 

さて、木下隆志の造形師列伝のはずが、

どうして海洋堂ギャラリー=ホビーロビーに触れているかというと、

渋谷ホビーロビーで、

木下氏とお目にかかることが多かったため。

 

↑「海洋堂」半世紀フィギュア大事典

 

ハイパーソフビ ウルトラマンCタイプを、

「目が帰ってきたウルトラマン風なのがおしいですね」

と私ごときが僭越ながら図々しく指摘したら、

初対面の木下氏は当然、

「こいつ誰やねん?」風の納得されない怪訝顔をされていた。

 

それはともかく、

同氏がギャラリーに顔を出した当初から、

後世に製品化される、

 

 

海洋堂 1/50 ハイパーソフビ ウルトラマン

の、原形と言える

30センチモデルがすでに展示されていた。

 

このハイパーソフビウルトラマン第2弾直立ポーズ80センチは、

メフィラス星人の回の実物と、寸分違わぬ見事な造形。

 

 

80センチとサイズ的にも造形的にも同社製品の最終決定版で、

 

2014年4月に、

ケンエレファントが復刻再販した際の情報によれば、

 

 

 

初回発売は1989年だったそうだが、

もっと(70〜71センチセブンより)後だったんじゃないかって気がする。

 

それはともかく先述どおり、

このフィギュア(初代マンCタイプ直立像)には、

同じポーズで全高30センチほどの原形があり、

木下隆志が渋谷ホビーロビーに出現当初から展示されていたが、

原型師はなぜか木下氏ではなく、

京本政樹氏とされていた。

 

京本氏はその後もバンダイから大型ソフビの

京本コレクションを発売。

「原形担当」とされていたが、

木下氏が世に出てたちまち、

↓ボークス圓句クオリティでなく、

木下作風コピペ造形が即座に後に続いたので、

それはあたかも、

『小学三年生』 1981年6月号 - 1982年3月号連載の

「ウルトラ戦士銀河大戦争」が、

 

作画の内山まもるは名義貸しに過ぎず、

実際は制野秀一氏(1950年7月21日 - 2005年8月21日)の代筆だったが、

復刻採録されたのが2010年10月5日で、

 

事実を知る制野氏のご逝去から5年も経過し、

内山氏も「ウルトラ戦士銀河大戦争」については

「記憶がない」と編者の間宮尚彦氏にはもらしていたが公表はされず

翌2011年12月1日には急逝されてしまったのと通じるように、

30センチ直立ポーズのウルトラマンCタイプ像も、

京本氏の作例ではなく、

木下隆志氏の作例の名義貸しだと思われる。

 

京本氏と言えば、

 

1990年代には、特撮にも造詣を持っていたことは有名で、自ら原型担当となってウルトラマンや仮面ライダーのソフトビニール人形をプロデュースしていたことがある。

元々特撮番組に強い思い出があったわけではなく、時代劇で共演することが多かった黒部進(ウルトラマン・ハヤタ 役)や森次晃嗣(ウルトラセブン・モロボシダン 役)に当時の話を聞き、そのうちにドラマの撮影技術的な面に興味を持った。

藤岡弘、や村上弘明など仮面ライダーシリーズの出演俳優と共演した際に、当時の話を聞く機会も多かったことも影響しており、ライブの途中で特撮やテレビ番組の話を語るようになった。

そもそもその経緯は、『必殺』に出演直後にトーク番組出演の依頼が増え始め、時代劇でのクールなイメージと自身の陽気なキャラクターのギャップに悩んだこともあってそれらの話をしているうちに、円谷プロダクションから「バンダイから商品を出してみないか」と声をかけられたのが始まりである。

幼少の頃より製作が好きで『超人バロム1』のマスクを紙粘土で制作し弟に着けさせた写真も残っている。また、『仮面ライダーBLACK』でゲスト出演した時に「仮面ライダーのスーツ」を見せてもらい、その後の造形制作の参考にしたという。

よく「ヒーローグッズコレクター」として紹介されることがあるが、実際は撮影技術や造形などの製作方面に興味があり、特定作品のファンやグッズ収集家ではなく「考証家」である(ホビー誌での連載タイトルは「HERO考証学」であった)。

 

——となっており、多摩美大中退でもあるため造形能力もあるのだろうが、

タロウの頭部はセブンが原形等、

 

 

↑根本的に別造形ですが…。

 

事実誤認も散見するし、

ホビージャパンのモデラー紹介コーナーでアレフゼロ/三枝徹氏

 

 

が紹介された時、

京本コレクションのタロウ原形らしきものが写っていたりで、

海洋堂の直立ポーズ30センチ初代マン作品の造形も、

木下氏の手になるものだと、私はにらんでいる。

 

海洋堂ホビーロビーに話を戻すと、

この記事(ワンフェスカフェ閉店に思う/2012/5/4)で紹介したように、

同じ秋葉原ながらラジオ会館とは別の場所(元はラオックスのコンピュータ館だったビル

AKIBAカルチャーズZONEに、

かる

ワンフェスカフェを開店。

いりぐち

いんしょく

1001

ていたい

ぷら

ぎゃおす

 

開店が2011年10月なので、

閉店が2012年5月20日と、わずか半年足らずの命。

 

海洋堂の製品ポリシーは、

常に先駆者であり、

類似製品が他社からも出回って飽和化すれば撤退すると言うことで、

ウルトラマンフィギュアも

 

びりけん
わいど
 
いいいいいい
 
53
まんと
 
——等の競合他社が進出すると、
海洋堂は休止期に入って同ジャンルから撤退するため、
かの木下造形も、
カブトムシとか阿修羅像など、
他ジャンルに移行していく時期もあった。
 
「海洋堂」半世紀フィギュア大図鑑は、2014年10月の発行で、
その時点で木下隆志本人が最高作と自認するウルトラマン造形は
↓これだった。
メガソフビ ウルトラマンAタイプ
 
それが再び、Character Classicsで、
木下造形がウルトラ/円谷作品に戻って来た!
 
——というところで、
いよいよ最終回の次回に続く。
 
 

 

造形師列伝・木下隆志②