開店が2011年10月なので、
わずか半年とちょっと。
だけどまあ、
アレじゃあ、無理もない感じ。
海洋堂の店舗(海洋堂ギャラリー)展開は試行錯誤の繰り返しで、
東京進出の推移は良く知っている。
最初(1984・昭59)は神田・茅場町の川縁で、
(店の奥の窓から見渡す川に、ボートが停泊しているのが見えた)
「東京ならどこでも良いってわけじゃない」
と思わされたし、
2年後の1986(昭61)には、渋谷になぜか2店舗のギャラリーを経営し、
1990年に、神泉に近い第2ギャラリー(道玄坂)に一本化され、ホビーロビーと改称された。
海洋堂は1992年にワンフェス運営をゼネプロから引き継ぎ、
1996年から食玩を展開。
翌97年に渋谷ホビーロビーを秋葉原万世橋に移転。
「海洋堂ホビーロビー東京」と改称。
※この店舗だけは、行った覚えがありません。
わずか1年後の98年に、秋葉原駅前のラジオ会館4Fに移転。
2011年6月5日に 、ラジオ会館の建て替えに伴い閉店するまで、13年は安泰だった。
7月1日、新ラジオ会館1号館7Fに移転。
しかし解せないのは、ワンフェスカフェがあるのは、この新店舗からかなり離れた、
元はラオックスのコンピュータ館だったビル。
ビル全体を買い取ったのは、この人。
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新装開店当初は、上階でテナントで埋まりきらないところもあったし、スタート時の店舗で、早々と撤収したところもある。
5Fのフィギュアカフェが
大繁盛している一方で、
地下秘密基地のようなワンフェスカフェは、
いつでも人がまばら。
広すぎるフロアを埋めるためとはいえ、
海洋堂の歴史博物館的な、
古色蒼然たる遺物を展示してしまうと、
せっかく抜け出したはずの、
停滞や衰退ムードが再び顔をもたげ、
負の気がフロア全体に蔓延してしまう。
長年の海洋堂ウォッチャーとしては、
「変わってないなあ(相変わらずだなあ)」という印象。
変革と前進が今の海洋堂を築いたんだから、
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過去を振り返ったら、成長は止まり、老いが始まってしまう気がする。
とか何とか言ってるお前も、朽ち果てかけてるだろ!
と言われてしまえば、それまでですが。
生きてる限り、前へ進むしかないわけですよ。
時折、歩みを止めて休む必要はあるけどね。