ガンダムあれこれ/それまくる話(89) | アディクトリポート

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それまくる話

で、

テーマはガンダム

7774

 

1.安彦良和論

 

まずはこの記事(番組緊急告知/こころの時代~宗教・人生~「わかり合えないをわかりたい」)の続報。

 

なんで放送日(5/11 午後1時)から,

こんなに時間が空いたかというと、

ちょうど、この時(見逃しちゃイカン!実写版峰不二子2019-1)の

「ルパン三世 グッバイ・パートナー」と同じように、

 

視聴の最後で寝落ちしてしまったから。

 

安彦良和氏って、

絵師やキャラデザイナーとしては天才の域だけど、

いち

にい

さん

演出家としては異彩は放てず、

それは本人の人柄が良すぎて、

作品に臭みがなくて「つまらない」からなんでは。

 

『ガンダム』では、そのクソ真面目なつまらなさを、

俗物のきわみみたいに、意地が悪くてどこかひねくれた、

こころざし

↓富野カントクの西崎義展観と、ヤマト<ガンダム論。

 

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)
牧村 康正 山田 哲久
講談社
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富野喜幸(当時表記:富野由悠季)が補ってくれたことと、

型破りなドラマ演出に「いいですね、こういうの。どんどんやりましょうよ」

と大いに気を良くしてノリノリだった。

 

そのためガンダムでは、

安彦良和の描く、

人好きのする絵柄からは予想だにしない、

「安彦良和画集」(講談社)の付属ポスター

 

キャラの思いがけない言動が、視聴者の興味と緊張を持続させた。

 

なので、「ジ・オリジン」というのは、

脱臭=富野臭さのニオイ取りや富野汚染の浄化作業に他ならず、

安彦作品としては正像に近づき、

こういう頷ける意見もある一方で、

 

富野ニオイフェチは気にくわないらしい。

 

これもあって安彦氏は、

富野氏に続く次世代クリエイターとして、

やはりひねくれて屈折した押井守を見込んでいた時期があったと推察。

 

立喰師列伝』(2006)の舞台披露試写会で、

だんじょう

2006年1月28日 スペース汐留にて

登壇はしないものの、

招待客として安彦氏をお見かけした。

 

そういえば、

いたって「まともな」安彦良和氏は、

「異常きわまりない狂った」日本の現政権に一家言(いっかげん)あるはずなんだが、

さすがは政権の洗脳装置と化した国営放送、

そこらへんはかけらも触れなかったね。

 

2.場所の記憶・26

 

ここのところ、急激に頻出の「場所の記憶」だが、

閉店物件ばかりで、

「時すでに遅し」

「なんで今頃」と、

手遅ればっかりだったので、

今回は健在な模型店をご紹介。

 

2019/5/23に、実に久方ぶりに、

日中に赤羽に出かけた。

 

赤羽と言えば、

ヤマナカ模型

画像と解説はこちらより

 

都内の有名模型店といえば、

個人経営の小売店より、

チェーン店のポストホビーが幅をきかせていた

1980〜90年代。

 

ふと赤羽を訪れ、

模型雑誌の広告では見かけながら、

小売店で販売されているのを見たことがない、

パラダイスの巨大ソフビ、

イノウエアーツ/井上雅夫のビオゴジ(原型制作1990年)があって、

画像と解説はこちらより

 

この店のただならぬポテンシャルを感じた。

 

しかしとにかく私が赤羽を訪れる機会は少なく、

2003年頃に埼玉に戻ってきたので、

ふと赤羽に立ち寄ってみたら、

このお店がまだあった。

 

須藤商店や、

上田屋商店とは異なり、

同一アイテムの囲い売りはなく、

商品は行くたびに様変わりしてはいるんだが、

とにかく来店ごとに見逃せないアイテムが待ち受けている。

 

2005年頃は、

映画版クリンゴン・クルーザーの初版(1979)とかが古物コーナーにあった。

りんごん

 

かといって絶版キットの品揃えが常備なのかというとそうでもなく、

その後は2011年に、

こんなのがあった程度。

まるさん

「宇宙の騎士テッカマン」のランボス(声:滝口順平)

 

でもって、今回のテーマはガンダムだけに、

5/23に来店して見かけたのが、

↓これ。

実物はザク・マシンガンではなくザク・バズーカを持っており、

武器違いと断り書きもあった。

 

見た目の大きさが、

あのDXソフビスーツ

つまりガンプラMGサイズの1/100スケールだったので、

これは並べ甲斐があるぞと勇んで購入。

 

めでたくこのように(撮影:iPhone XR

 

帰宅後にネットで調べて、

MAXIMUM 機動戦士ガンダム

マキシマムモビルスーツフィギュア2

MS-06S シャア専用ザク

という、プライズ景品だったと知る。

 

モデラーMAX渡辺氏が原型を製作したプライズ品『MAXimum』第2弾。ゲームセンターの景品として登場したものになります。1/100サイズです。

このシリーズは、アニメで動いていたMSをイメージしたディスプレイモデルで過去にMAX渡辺氏が模型雑誌用に製作したキットが元となっています。このザクは別冊の表紙を飾ったもののカラバリです。

可動部は首、肩のみで、基本素立ちです。DXソフビスーツより前に同じようなコンセプトで発売された商品ですね。

今になって見てみるとRobot魂Ver.ANIMEに近いですね。まぁアチラは超絶可動するのですけど。

 

——ということで、

次はMAX渡辺氏について。

 

3.ブーメランMAX渡辺

 

MAX渡辺、本名:渡辺誠こそ、ガンプラとホビージャパンが生んだプロモデラーの代表で、

その存在はコンスタントではなく波状的だが、

要所を必ず押さえ続けて来た。

 

同氏の成功の秘訣は、

「つかず離れず」の姿勢だと思う。

 

1/60ザクをニコイチで、自動車の修理剤だったポリパテで成形したグフが、

ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」の読者投稿ページに掲載されて

そこからデビュー。

 

(以下転載)

 

──渡辺さんは、月刊ホビージャパン別冊「How to build GUNDAM 2」(1982年)で、模型ライターとしてデビューしたんでしたよね?

渡辺 「商業誌に作品が掲載された」という意味では、そうなります。だけど、その前年に出た「How to build GUNDAM」(1981年)の読者投稿ページに、作品が載ってるんですよ。1/60ザクを改造した1/60グフですね。このグフを見た小田雅弘さん(元ストリームベース所属のプロモデラー)が「渡辺くん、やってみない?」と声をかけてくれたんです。そうして依頼されて作った初の作品が、「1/60機雷散布ポッド付ザク」ですね。

 

──当初は模型雑誌に載ることが目的だったんですか?

渡辺 目的というか、塗装でも工作でも抜きん出ていた小田雅弘さんに憧れていたんです。しかし、模型ライターを続けていても、食えないことはわかっていました。「ライターを続けながら、ホビー業界で食っていくにはどうしたらいいんだろう」と考えたとき、「模型メーカーになる」という選択肢が出てきたわけです。ちょうど、ガレージキットが盛んになってきた時期でもありますからね。原型も自分で作って、社長もやって、ライターもやるという道を選びました。

──1987年の4月に、有限会社マックスファクトリーを設立しています。模型ライターとしてデビューしてから、5年後に法人化しているんですね。

渡辺 その5年の間に、仲間を集めてマックスファクトリーを名乗って、活動はしていたんです。5年たった頃、大手の版元さんから「今後は個人に版権をおろすのが難しくなるから、早く会社をつくりなよ」「法人にすれば、版権を通りやすくなるから」とアドバイスされて、会社をつくる決意を固めたんです。

──当時、有限会社をつくろうとしたら、300万円ほど必要でしたよね。

渡辺 大変でしたね(笑)。自分でも少し出したけど、人に借金をして。

 

彼が設立した会社「マックスファクトリー」は、

発売時期に最適で、他の模型メーカーではできない製品を送り出し続け、

DORO☆OFFメンバーの重鎮、

きゃー

あなざー

とちぎ

500

ふぃう゛ぇ

555214

ヤタ(竹内やすひろ)氏も現社員に迎えるなど、

べね

ぎゃりあ

こるど

ツボを押さえた経営を続けている。

 

会社経営とは別に、

MAX渡辺氏のモデラーとしての活躍も続き、

活躍誌は常にHJ(ホビージャパン)で、

これには因縁や経緯がある。

 

ストリームベースに抜擢されたのは良かったが、

HJ誌が独自に集めたその他のライターは、

「改造しちゃアカン」の松本州平氏や、

その松本氏と掛け合い漫才のようなトークを展開していた今井邦孝氏など、

口達者な個性派揃い。

 

そんなメインライター陣が一斉に造反し、

新雑誌MGに引き抜かれてごっそり移行。

 

HJ誌は事態急変に耐えられず、

2ヶ月ほどスカスカで、目も当てられない誌面になった。

 

そんな中、

MAX渡辺氏だけはHJに残留し、

その理由は、

「引き抜きのような裏切りは賛同できなかった」

そうだが、

実際は、MGへの移行離脱に声がけされなかったらしい。

 

山口真帆さんがNGT48で

あるいはキムタクがジャニーズ事務所で、

かつては“いじめ”の対象だったのと同様に、

MAX渡辺氏はHJ編集部では、後のMGライター陣からモデルガンの的にされていたと、

当時のモデラー界隈の噂で聞いた。

(※真偽のほどは保証せず)

 

業界で雄々しく羽ばたくには、

こうした「虐げられた時期」に、「なにくそ」という反骨精神が必要なのかも知れない。

 

やがてMAX氏はバンダイガンプラMGシリーズ第一弾のガンダム(1995年7月)やザクを監修。

 

それ以降はカトキハジメ氏(1996年4月)に役目を譲ることになっだが、

ザクで離脱の時に、

「(私抜きの)体制だと、今後の製品開発には不安が募る」

と不満を表明していた。

 

それ以外の模型界の展開では、

オオゴシ*トモエさんをHJ誌上で女性モデラーとして育て、

 

MAX渡辺&大越友恵のガンプラ大好き! (Hobby Japan mook)
MAX渡辺 大越 友恵
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MAX渡辺氏の2014/3/16のツイッターより。

 

同じ路線で黒田美礼

加藤夏希でくりかえすも長続きせず。

 

今のモケ女のYouTube投稿を先取りしていた。

 

 

 

 

他にも、MAX渡辺氏は、

バンダイミュージアム

のあった、

みぃーじまう

ピアザ松戸ビル内の地下に、模型工房を開設。

この場所は「超合金ガンダム」の販売所になったりもしたが、

 

とにかく工作スペースはミュージアム閉館よりも早く姿を消し、

今ではお台場のガンダムベース東京にコンセプトが受けつがれている。

 

MAX渡辺氏は、

『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)

 

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にえらく入れ込み、

マックスファクトリーからガメラのソフビ商品を企画するも、

原型の出来に感心せず、

改修続きで発売はたび重なる延期。

 

ついに本人自ら原型を手がけたが、

最終製品からはさほどの冴えが伝わらず。

 

これなら、別の人が手がけた原型の造形の方が良かった。

 

※個人の感想です。

 

と、このように、MAX渡辺氏は多方面に果敢にチャレンジするため、

たまにはうまくいかないこともあるのだが、

あまり一つのことに入れ込みすぎずに一定の距離を置き、

つかず離れず、忘れた頃に舞い戻る、

ブーメランな姿勢でモデラー業界を渡り歩いている。

 

私が直近でお見かけしたのは、

秋葉原の書泉ブックタワーで、2019年1/5・6のFBプラモデル愛好会 展示会で、6(日)に同時開催の、MAX渡辺先生&瀬川たかし先生のトークショウ&サイン会だった。

 

とにかく

  • 本名が誠
  • デビューのきっかけはホビージャパン
  • モデラー兼マルチクリエイターあるいはプランナー
——といえば、
「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の暴走副監督を想起させるが、
MAX渡辺氏は、あんな奴と比べるのは失礼な模型紳士と呼べるだろう。
 
この記事(最終決戦仕様の闇)のコメントを転載。
 
Yancy(ペタ返し遅れ気味)
 
もう、どうにもならないですね。
復活篇は、西崎のおっちゃんの色々な思惑があったにせよ、足枷になっていた部分も少しあったのでしょうか?
ディレクターズカット版で、その枷?が無くなり今の感じがより増大したかな。
もう、今更何をやっても彼は聞く耳持たないし通用しないでしょうね。