ファイナルレポート『最後のジェダイ』 | アディクトリポート

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どんどん新作公開に対応してるようだが、

私はそんなに頻繁に映画を観ない。

 

「映画秘宝」のベストで観たのが半分くらい、

トホホはもっと減る。

 

映画秘宝 2018年 03 月号 [雑誌]

生賴範義 展

を鑑賞した2018/1/7に、

3回目の『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』

2D吹替版を、

109シネマズ木場 シアター7 I-9で観た。

 

かれこれ6回目の記事なため、

①『最後のジェダイ』をグラフで読み解く

②『最後のジェダイ』支持率トラップ

③『最後のジェダイ』最後の分析

④ネタバレビュー『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』

IMAX 3D『最後のジェダイ スター・ウォーズ』ネタバレビュー

さすがに出がらし状態なので、

鑑賞記は最低限にとどめ、

『最後のジェダイ』の総括をしてみたい。

 

前に「くり返し鑑賞でも眠くならない」

と書いたが、

この動画評によれば、SWは娯楽アクション作なんだから、アート映画みたいに、

「鑑賞を重ねるごとに味が出る」作りにするなんて間違っている。

 

生賴範義 展」でテンションが上がった後、

所用で木場と高円寺を往復したら、

上映時間ギリギリに到着。

 

さすがに疲れて、

中盤に少しウトウト。

 

まずは何より、吹替版の気付いた点。


●ルークがカイロ・レンに語りかける言葉、

「殺されたハン・ソロも、常におまえを見守っている」
姿を消す直前に

「また会おう」
で、
『エピソード9』がある程度予測できる。

●いまいちあいまいだった、
ファースト・オーダー対レジスタンスの構図が、
最後にファースト・オーダー対反乱軍(オリジナル三部作の図式)に落ち着く。

 

●「弟子は師を超えていく」

「未来は若く新しいものに」

という主張がより明らかに。

 

●BB-8は、頭部とボディが構造的に接続していないが、

冒頭の戦いで、Xウイング機体内の不調な回路に頭突きを喰らわす場面では、

頭部はボディ内部からの棒で突き出されており、

このドロイドには頭部の本来の置き所、

いわゆるホームポジションがあるんだと判明。

 

●太古のジェダイの書は、ファルコンの収納引き出しの中に、

1冊ではなく全冊まとめてあり、

フィンがローズにかける寝具を探す時に画面に映る。

 

もう一つ、訂正情報を付け加えると、

uissu

アクトー(Ahch-To)は高さの異なる二重太陽の惑星なので

ルークの臨終間際の二つの太陽のワンカットは、

彼が育ったタトゥイーンを思い出す心象風景ではなく、

その場の実際の風景だった。

 

ここらへんはざっと流して、

公開たちまちから今も尾を引く、

『最後のジェダイ』への、ファンとマニアの猛烈な反感について。

 

「思ってたんと違う」というヒステリックな反応の多くには、

そちらに賛同するよりもむしろ逆に、

「よくぞ誰も予想できない作品に仕上げたよな」

とは思う。

 

『フォースの覚醒』公開時の「ホビージャパン」記事、

●レイはカイロ・レンの妹で父はハン・ソロ、母はレイア

を筆頭に、

陰鬱なマイク・ゼロ(Mike Zeroh)のたび重なる妄言

●レイは腕を戦いで切りおとされ、機械の義手に置き換える

もハズレ、

●「カイロ」は、スカイウォーカーとソから。

●スノーク(Snoke)はSith No One Knew Existed(知られざるシス)

——も、否定こそされずとも、

まったく映画本編では触れられなかった。

 

タイトルで引き寄せる技のあるユーチューバーも増え、

「なんだ、またこいつかよ」

という苦い経験を積みながら、

自分なりにざっとまんべんなくチェックした、

YouTubeのネタバレ予想記事がことごとく外れた一方、

「衝撃の」と言う謳い文句から予想された、

トンデモ展開予想もまた外れた。

 

別の時期に異なるソースから聞いたウワサには、

●レイが暗黒面に堕ちる

というのがあり、

最新版では、

●レイは『最後のジェダイ』劇中で命を落とす

という、さらなるトンデモさえあった。

 

誰の予想も当たらなかったのは「さすが」だが、

それはさておき、

「いやあ、これは思いつかなかったよ。まいりました」

ではなく、

「こんなのありかよ。ふざけるな!」

と反感を抱かれたのはなぜか?

 

まずは何より、

「レイの両親はガラクタあさりで、飲み代がわりに娘を引き渡した」

というのは、ファンの二次創作からの拝借らしい。

読んだ記憶が飛んだのか、

本編に採用すれば、アイディアの持ち主が喜ぶと考えたのか…。

 

↓この動画では、

先行きが見えない指針の無さ(Directionless)が、

『7』で築いた土台をぶち壊し、

もはや『8』が文字通り「台なし」なだけでなく、

すでに『9』にも乗り切れない

——と分析している。

 

冷静で面白い見解をかいつまむと、

↓この動画では、

54:00あたり。

無重力で上下がないはずの宇宙空間なのに、

地球の地上と同じ物理法則が働く、

SWフシギ宇宙なら、

レジスタンス・ボマーから

「投下」された爆弾は、

ドレッドノートが船首(艦首)を下げさえすれば、

ゴロゴロと「前に」転げ落ちてくれたはずと分析する。

 

一方、他とは全く違う見解が

↓これで、

『最後のジェダイ』は、

「お気に入りのスープを飲んでたら、

すくったスプーンの中に髪の毛が混ざっていた気分だ」

と形容し、

「また髪の毛が混ざってるんではとビクビクせずに、

おいしくSWスープを飲むための考え方」

を提案している。

 

この人の主題は映画の「シンボリズム」

つまり映画の筋立てや設定は、

作り手が観客に訴えたいことが伝わるように、

意図的にそうなっている=象徴されている、

という考えに基づくもの。


自分なりの言葉で説明し直して、

11:20あたりからの要点をまとめておこう。

 

「誰もが特別な存在で、その人ならではの個性(資質や才能)=自己実現の可能性を秘めている。

自分のなりたいものになりぬく自己実現の自由があるから、気が済むようにやれば良い。

もしもそれができない場合、問題はその人自身にではなく、自己実現を阻む社会体制の方にある。

不公平や不平等がはびこったり、いびつな体制に迫害されたり、親から受けつぐ立場(身分)が社会的弱者の創造性を制限する」

 

「この考え方だと、個人に責任や問題がないので、もはや修行だとか鍛錬という自分磨きの必要がなくなり、社会的抑圧から解き放たれれば、すんなりと自己実現にたどりつく」

 

レイが完全無欠で、目立った欠点や弱点がない一方、

サイテーな身の上が原点なのは、

この構図を反映するためなのだろう。

 

この「逆転の構図」を理解できると、

『最後のジェダイ』への拒絶反応も、

いくぶんやわらぐのではないか。

 

思慮に富む考察だが、

そこまで考えて『7』と『8』が作られたというのは買いかぶりだと思う。

 

この分析どおりに『最後のジェダイ』が熟考の末の産物ならば、

SWファンにこれほどの反感を抱かれ、

嫌われなかったのではないか。

 

そもそも、人は何に対して怒るのか?

 

あるいは、誰かに猛烈に怒られた場合、

それはどうしてだったろう。

 

おそらくは、

ある人が大切にしていること、考えている領域に他者がズカズカと立ち入り、

シッチャカメッチャカにぶち壊すとか、

ないがしろに扱ったりすれば、

守る立場の人は猛然と抗議し、怒ると思う。

 

『最後のジェダイ』がこれほどSWファンの反感を買ったのは、

つまりはそういうことで、

SWで誰もが大切にしてきたことを

「いいじゃん、そんなの別に」

とぶち壊しまくったわりには、

では代わりにあてがわれたものがオリジナルを超えるかと言えば、

どうにも見劣りする、お粗末なものだったからではないか。

 

とにかくライアン・ジョンソンが提供したモノは、

ことごとく浅知恵で無造作で雑

海岸沿いにたたずむ奇怪生物から「搾乳」し、

グリーンのミルクを飲むルークに、

観客は笑っていいのか戸惑ってドン引き。

 

しかも悪趣味

 

「そういうのがアリなのはわかるが、

なにもよりによってSWでは見たくない」

ものばかりで、

「変えるのは歓迎でも、

こういう変え方はちょっと…」

と幻滅された。

 

中国では、公開わずか数週で、

あまりの不入りに上映打ち切り。

 

『ワイルドスピード』『トランスフォーマー』最新作がヒットするお国柄で、

SW熱は低いとは言え、

本作でしかけたこと、

すなわち、

重要キャラに中国/アジア系女優を起用したことが、

中国市場にまるで響かなかったのが大問題。

 

世界中が「なんで?」と疑問視した、

ローズ・ティコ/天童よしみ(ケリー・マリー・トラン)が、

中国で効果が出なけりゃ、どこで出る?

 

中国のガッキーこと、

栗子(龍夢柔=ロン・モンロー)さんの発掘がテレビ番組だったように、

中国だって、テレビや映画の主役は美男美女。

 

「フィン役がウィル・スミスだったら、SW新作も見るかも知れない」

という感覚があたりまえの国に対して、

ケリー・マリー・トランは、あまりにナメたキャスティングでは?

 

もしもローズ・ティコ役が栗子さんだったら、

『最後のジェダイ』も、

まだ中国で公開が続いていたことだろう。

 

ようやくというか、

脚本/監督のライアン・ジョンソンへの糾弾や責任論とは別に、

プロデューサーのキャスリーン・ケネディを疑問視する声も急増中。

作品がダメなのは、全てが監督のせいじゃない。

 

たとえばSWのトイは売れ行きが落ちまくっているが、

この責任は、キャスティングミスと、

「ローズのブサイクフィギュアなんて、誰が買うねん?」

アメリカ本国では、在庫処分でたったの1ドル!

 

ひとえにデザイナーのセンスの無さに起因しており、

立体感の凸凹に乏しい薄っぺらな二次元的デザインに、

ひっかき傷みたいな筋彫りが走っているだけでは、

カイロ・レンのTIEサイレンサーとか、

レジスタンスのスキースピーダーも、

セールならともかく、

正価で買う人の正気を疑う。

 

犯人は主任デザイナーのダグ・チャンと、
がっつ

配下のダメデザイナーたちなのは明らかで、

これは新三部作の『1』『2』(ついでに『3』も)から一向に改善していない。

 

『2』(2002)で解任されたダグ・チャンは、

『7』(2015)からの復帰について、

「自分の創作的自由を阻む障壁(プロデューサーのリック・マッカラム)が取り外された」

なんて都合の良いことを言ってるが、

自己鍛錬や精進もなしに、問題解決のスキルを習得しないままでは、

周囲の環境が改善されただけで、

事態打破の実力が身につくわけがない。

 

左から『ローグ・ワン』(2016)のAT-ACT、『最後のジェダイ』(2017)のAT-M6、『ジェダイの帰還』(1983)のAT-ST、『帝国の逆襲』(1980)のAT-AT。

 

ということを、

本ブログの開設以来、

なんどもくりかえし訴えて来たのに、

私がデザイナー志望だったのにかなわなかったイキサツから斜め読みして、

「ダグ・チャンへの羨望から愚痴っているに過ぎない」

という屈折した「2ちゃんねる的」認識には、

ほとほとイヤな気分を味わわされた。

 

私が猛然と腹が立ったのは、

自分が大切にしていること、考えている領域に他者がズカズカと立ち入り、

シッチャカメッチャカにぶち壊すとか、

ないがしろに扱われたから、

守る立場のこちらは猛然と抗議し、怒ったわけよ。

 

そしたらついこの前

2015年10月19日の記事(復帰の経緯/『フォースの覚醒』に期待できない!〈その4〉)に、

英語のコメントが!

 

いわく、

Best Design
Aw, this was a very nice post. Taking the time and actual effort to produce a superb article… but what can I say… I procrastinate a whole lot and never manage to get anything done.
 

先ほどのシンボリズムに話を戻すと、

私は「大成しないのは社会の仕組みのせいだ」などとひねくれずに自己鍛錬や修行を行い、

問題解決の技能を習得したが、

リドリー・スコットですら、「創作的な自由を発揮できる体制にない」とそっぽをむき、

かのジョー・ジョンストンですら夢を果たせなかった

キャスリーン・ケネディ支配下のルーカスフィルムが、

「そうなってない」状況はオレの責任じゃないだろう?

 

オレの抗議や作品批判が、

自分がやれなかった妬みが生み出すウップン晴らしだとしたら、

ついに、49パーセントまで落ち込んだ、

一般客の否定意見も全て、

自分がやれないことへのウップン晴らしとなるんでは?

 

あるいは

『フォースの覚醒』では、

ジョン・ウィリアムズの音楽が生彩を欠いた。

と評した人は全て、

自分がSWの音楽を担当できなかった腹いせだなんて、

どこのバカが曲解するのか?

 

原因の特定が明らかなのに、

問題人物がのさばり続ける、

ルーカスフィルムの腐敗体制が、

『最後のジェダイ』で噴出したといえよう。