ちょうど言いたいことが今週のも塔記事にありましたので、みそかさんをリブログさせていただきます。ありがとうございます。

 

本日のお題は

 

「戦闘種族」エホバの証人

さて、この「戦闘種族」って言葉にピンと来たそこのあなた!

さてはトレッキーですね?(笑)

わたしはそうですwww(わからない方はお許しを)

さて、JWといえば自称「平和の民」です。
JWは自分たちを「真のクリスチャン」だと主張します。
つまりは、キリストの弟子であり、キリストに従うものだと。

そして、イザヤの聖句を引用しては、「自分たちは戦いを学ばない神の民だ」といいますが・・・
本当でしょうか?わたしはとても疑問に感じています。

それはなぜか。

エホバの証人という名称自体が、彼らがキリストの弟子なんかではなく、「戦闘国家」だった古代イスラエルの神を崇拝する宗教であることを如実に物語っているからです。

その証拠に、JWが聖書以上にあがめる「ものみの塔」をはじめとする「出版物」は、盛んに「旧約聖書」(ヘブライ語聖書)から引用し、そこに登場する人物や出来事から「何を学べるか」を信者に教えています。

確か、キリストは「律法を釘付けにして取り除いた」のではありませんでしたか?

つまり、旧約聖書に登場するモーセの律法に従う古代イスラエル人の生き方はもはや無意味であって、救いには役立たないということですよね?

何度も言いますが、古代イスラエル国家は「戦闘国家」であって、ひっきりなしに周辺諸国と戦争していました。

そして、民の男子は例外なく「徴兵」されて、戦闘に加わりました。王自ら率先して戦闘にでかけました。ダビデなんか、生涯を通じて「敵」を殺しまくっています。

何をどう表現しようが、ダビデ王は「殺人者」です。ほかの王もそうです。

なのに、JWはそれらの王を「信仰の模範」とし、生き方を学ぶように教えます。

ひどい殺人者なのに、です。

真の神の民だから、その戦いは「正当な殺人」だと主張します。



そんなのは詭弁です。

人殺しは人殺し。その証拠に、現代のJWは軍隊に入ろうとしません。理由はなんであれ、戦争での殺戮は神から見れば「殺人」だと信じているからです。

なのに!古代イスラエルの戦争での殺戮は「神聖なもの」とみています。

そして、それらの出来事を「現代の模範」として、その殺人者たちの「忠節な殺人行為」を信仰の発露としてほめたたえています。


矛盾していると思いませんか?

この大きな矛盾を包含するJW教理は、信者たちの思考を大きくゆがめてしまっています。

つまり、神のご意志であれば、聖書が真っ向から禁じているはずの殺人も「神聖なもの」となってしまう、という矛盾点です。
おおよそキリスト教の博愛精神とはかけ離れた考え方です。

確かに、現代のキリスト教国でも軍隊を持ち、出かけて行って「殺人」をします。

国家であれば必ずそうなります。そうしない国家はすぐに他国から征服されるからです。


でも、エホバの証人はそれを強く非としているのではありませんか?

なのに、古代イスラエルの殺人行為は「神聖なもの」というのです。

だからでしょう、ハルマゲドンで神が人類の99.9%を抹殺することになるという教理なのに、それになんの疑問も抱かずに、逆に「楽しみですね~」とか、お気楽なことをいっています。

 

未曾有の人類大虐殺が楽しみだって?頭おかしいか、サイコパスです!


そして、信仰のためには「戦う」ともいいます。

もちろん、文字通りに武器を取って戦うのではありません。信仰の戦いのことです。

しかし!その背後にある精神は、やはり古代イスラエルの「戦闘国家」に流れる戦闘種族の精神です。

まさにエホバの証人は、その主張はどうであれ、基本的に「戦闘種族」だと思います。

反聖書的でおかしなJW教理に従い、その組織を守るためには国家に堂々と反抗し、逮捕投獄されても、それが神への忠誠、信仰だという、不屈の精神を埋め込まれています。
 

まさに、「戦闘種族」エホバの証人です。